第3話 走馬灯とともに現実世界が遠ざかる

「これは……なんのつもりだ……」


 腹に突き刺さった刃物を見下ろしてから、僕は目の前の男に向かって声を振り絞る。

 一瞬怯み駆ける男、だが、逆に僕の襟元えりもとを掴みあげてきた。


「こいつが、僕の大切なアイちゃんをたぶらかしたんだよっ!」


 男はそう叫びながら、僕の身体を歩道橋の手すりへと押しつけてきた。


「だから、俺が、天誅てんちゅうを……だからっ、ジャマをするなっ!!」

「アイちゃん……?」


 それは、最近人気急上昇中の若手アイドルの名前だということを思い出す。

 そう言えば、先週あたり、テレビの情報番組の企画で、剣道王子こと戒理かいりくんとかなんとか、そういうノリでインタビューしていたのを見かけた記憶がある。


「なんだよ、ただの逆恨みかよっ!」


 僕は怒りのあまり痛みを忘れ、逆に男の襟を両手でつかんだ。


「な、なんだコイツ、クソッ!!」


 男は困惑の叫び声を上げ、ナイフを握る手にさらに力を込める。

 そこへ、戒理が男の背中へと飛びついた。


「おいっ、ヤメろよ! 鏡矢きょうや兄ちゃんから離れろっ!! 誰か、助けて、手伝ってっ!!」


 必死に助けを求める戒理、しかし、歩道上の人々は困惑したまま遠巻きにしたり、動いたとしてもスマホを取り出して撮影したりするだけだった。

 そんな中、腹から下、下半身の感覚が消えていく。それでも、僕は大事な甥を守るため、必死に男にあらがった。


「!?」


 不意に身体が浮き上がり、僕は声にならない声を上げてしまう。

 完全に逆上した男が、僕の身体を歩道橋の外へと押し出したのだ。

 戒理が叫ぶ。


「アブナイっ、ヤメろっっっっ!!」


 僕は状況を把握した。

 このままだと、下の車道に落とされる。

 そして、男の標的は戒理へと移ってしまう──


「そうは……させるかっ!!」


 最後の力を振り絞って、僕は男の服を握りしめて引き寄せる。そして、右足を上げて戒理の身体を男から押しがす。


「兄ちゃんっっ!!」


 戒理の泣き叫ぶような声が聞こえた。

 僕はチラリと見えた甥の顔に笑いかけると、そのまま男ともつれ合うようにして背中から落下していく。

 そして、折り悪く交差点の信号の変わり目でスピードを上げた大型トラックが走り込んできた。


 激しい衝撃音が響き渡ったと思った瞬間、僕の意識は暗闇に落ちた。



 ──お腹が痛い。


 闇へと落ちる意識の中、僕の脳裏のうりに昔の光景が再生された。


「きみっ、大丈夫かね……誰か医務室から人を呼んできてくれ!」


 大学共通テストの会場で、突然、激しい腹痛が僕を襲った。さらに強烈な吐き気が胃の中からジャンプしてきて、あらがうまもなくその場に吐いてしまう。さらに、症状は治まるどころかひどくなる一方で、係員の判断で病院へと緊急搬送されてしまった。


「なに? 検査結果では何の以上もないだと? ストレスが原因の精神性疾患だ!?」


 特別病室内に不機嫌さを隠そうとしない父の怒声が響き渡った。

 恐縮しきりの医師が退室した後、父の怒気を含んだ視線はベッドに横たわる僕へと向けられる。


「試験ごときで醜態しゅうたいさらすとは……この恥知らずがっ!!」


 鏡矢は何も言うことができなかった。

 父親に対する恐怖が一番の原因だったが、それ以前に、点滴てんてきを受けているとはいえ、激しい腹痛や嘔吐おうとの繰り返しで、体力の大半が奪われていたのだ。

 とりあえず、一晩ほど様子を見て退院することができたのだが、このことが新たなプレッシャーとなってしまったのか、追試験の会場でも同じような症状に襲われてしまった。


「く……くうっ……」


 僕は必死に耐えながら受験を終えた。だが、結果は散々だった。

 そして、そんな僕を家族の誰ひとりして慰めてくれなかった。それどころか、逆に容赦ようしゃない言葉で責め立ててきたのだ。

 激しくののしるだけの父、冷たく突き放す母、冷笑れいしょう混じりにおとしめてくる兄弟たち。


 ──由緒ゆいしょある須雅原すがはら家の一員としてあってはならない失態だ、と。


 だが、一通り責め終わって冷静になると、家族たちも不本意ながら次善じぜんさくを探らないといけないと気づいた。

 第一志望の有名大学受験に失敗したからといって、今どき、大きな恥になるということもないだろう。むしろ、とりあえず、どこでも良いから適当な大学に通いつつ、一年間の猶予を得て、もう一度、上の大学を目指せば、挫折からの復活という美談びだんにもなり得るだろう──という、結論に至ったのだ。


 でも、今度は、その期待がさらなる重荷となってのしかかってきた──


「勉強そのものは苦じゃないんだけどなぁ」


 過去の光景を第三者視点から眺めながら、僕はため息をついた。

 おそらく、これは走馬灯そうまとうというヤツなんだろう。死ぬ間際に見るというアレだ。

 正直なところ、生まれてこの方、死にたいと思うことは何度もあった。特に大学受験で失敗してからは酷いものだった。なので、いざ死ぬとなっても自分には未練など何一つないと思っていた。


 だが、そんな僕の脳裏に、最後に別れた甥っ子の顔がよぎる。

 周りからは優秀だ、神童だなどともて囃され、本人も必死に期待に応えている。いや、そう演じている。

 だが、そんな少年の芯は銀の糸のようにもろい。


 ──戒理、ごめん。


 誰か、自分の代わりに彼を救って欲しい。

 最後、その思いだけが暗闇の中に残った。

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