第2話 ツラい現実、さらに追い打ち

 先々週の週末に行われた祖父の誕生会。

 しかし、その会は僕にとって、まさに針のむしろだった──


 ○


「この家の面汚つらよごしめが! よくも、おめおめと顔を出せたモノだな」


 屋敷の主でもある和服姿の老人──父、雷次郎らいじろうが、畳の上に座ってうつむいている僕の後頭部へ罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせてくる。そのうちに怒鳴り疲れたのか、聞こえよがしに舌打ちをしてから、その部屋を後にした。

 その父と入れ違いに、隣の部屋から兄弟たちが入ってくる。

 だが、それは悔しげに俯いている僕を慰めるためではない、むしろ、逆であった。


「こうなることがわかっていたから、お前は来るなと言ったんだ」

「そうそう、せっかくさっきまで上機嫌だったのに、とんだとばっちりだ。思慮しりょの足りないお前のせいで、俺たちまで八つ当たりされてしまうんだからな」


 そう追い打ちをかけてきたのは年の離れた長兄ちょうけい雄斗おと次兄じけい索弥さくやであった。さらに、もう一人、双子の弟、飛鳥あすかも僕の横にしゃがみ込んで、ささやくように──いや、周りの人たちにだけ辛うじて聞こえるように声をかけてくる。


「正直、困るんだよ。アンタみたいな出来損できそこないの双子の兄がいるだなんて、あまりおおっぴらに知られたくないんだ。俺だけじゃない、兄さんたちも含めて作り上げてきたエリート一族っていうイメージに傷がつくんだよ」


 三人の兄弟たちは、父とは違う形で、沈黙したまま下を向く僕を言葉でなぶり続ける。


「──あなたたち、いい加減になさい」


 りんとした声とともに、ブルーのツーピース姿の女性が姿を現した。

 僕たちの母親──須雅原すがはら 小百合さゆりである。

 僕以外の兄弟たちは互いに顔を見合わせてから、それぞれ服の細かい部分を直しつつ、年齢順に連なって部屋を出て行く。

 一瞬の沈黙。そして、僕も立ち上がろうと腰を浮かせたとき。


「あなたは会が終わるまで、この部屋に居てもらいます、お祖父さまたちには大学の都合でどうしても今日は来られなかったと伝えてあります」

「え、それは……」

「今日はマスコミ関係者も来ています。お祖父さまの百歳の誕生日を祝うおめでたい会ですからね。だからこそ、そんな場にあなたを出して雰囲気を悪くするわけにはいきません。それくらいはわかりますね」


 母親の冷徹な言葉に、僕は力なく座り込むことしかできなかった──


 ○


 ──僕は戒理かいりと共に駅へと向かっていた。


 思ってた以上に話が盛り上がり、美味おいしい焼肉でお腹もいっぱいになって上機嫌な戒理。

 僕もおおむねね同じ気分だったが、一方で、財布の中身が気になってしまい、純粋な満足感に身を委ねることができなかったのは、独り暮らしの大学生と実家住まいの中学生との差だろうか。


「……家に帰りたくない。鏡矢きょうや兄ちゃんのところに泊まりたい」


 ボソッと呟く戒理。

 だが、僕は小さく息を吐き出してから、ポンと戒理の頭に手を乗せる。


「……家に居るのが辛いのか?」


 駅へと直結した広場のような歩道橋の上、僕は戒理を促して手すりの近くへと移動した。

 下の大通りにはたくさんの自動車が行き交っている。


「……うん、正直言うとちょっとね」


 タハハというカンジの笑みを浮かべた戒理。

 だが、僕は、そこに影めいたものをみた気がした。


「そっか……」


 僕は、そう相づちを打つことしかできなかった。

 学校の内外で大人顔負けの活躍をしている戒理だが、実際のところは、まだまだ未成熟な中学二年生の子供にしか過ぎない。それを、戒理の周りの大人たちは失念しているのではないか。僕は怒りに似た感情が沸き起こってくるのを感じた。


「──あ、そうだ。肝心なモノを忘れていた」


 ポンと手を打ち合わせてから、僕は肩にかけていたカバンを下ろし、中から取っ手がついた紙袋を取り出す。


「もうひとつの優勝プレゼント」

「え?」


 僕が差し出した紙袋は、中身が重いこともあり三重になっていた。頬を紅潮こうちょうさせた戒理が、おそるおそる中から箱を取りだしていく。


「……これって」

「うん、チェスセット。いつだったか、囲碁や将棋の気分転換にやってみようかなって言ってただろ? お下がりで悪いけど」


 クリスタル製のチェスセット──僕が子供の頃にお祖父さまから譲り受けたもの。


「いやさ、チェスって、将棋や囲碁に比べたら、なんとなーく中二病ちゅうにびょう的なカンジしない?」

「鏡矢兄ちゃん……だから、リアル中二の俺にそういうこと」


 ほぼ同時に噴き出すように笑いはじめる僕と戒理。


「……ありがと、これ大事にする。そして、どこかのチェスの大会に出て優勝できるようにがんばる」


 そう言って笑う戒理に、慌てて「いや、そういうのは良いから」と言いかけた時、僕はひとりの若い男性が戒理の後ろに近づいてきていることに気づいた。


「オマエ、須雅原すがはら 戒理かいりだな」


 とっさのことだった──僕は、その男の声に振り返ろうとする戒理の前に割って入る。

 次の瞬間、僕の腹のあたりに鈍い衝撃、続いて燃えるような痛みが走った。


「ぐはっ」

「オマエ、ジャマをするなぁっ!!」


 声を荒げる男の手にはナイフのような刃物があり、それは僕の腹に深々と突き刺さっていた。


 ──キャアアアアッ!?


 異常な事態に気づいた通行人の女性が悲鳴を上げ、他の人たちも足を止める。


「鏡矢兄ちゃん!?」


 戒理の悲痛な叫びに、チェスセットが地面に落ちるガシャンという音が重なった。

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