第2話

 永遠と続くものにとって、ただの一瞬は何も感じないのだろうか。

 星明かりが照らす薄暗い中で、宙に浮くモニターを見つめる瞳は次の展開に思いを馳せている。微笑みを1つ浮かべてモニターを指でなぞれば、物語の続きは始まった。



「藤田さん、大丈夫ですか?」

「え」

 藤田このみの口から気の抜けた声が出た。目の前には白衣を来たいつもの主治医の先生が心配そうに彼女を見つめている。今日は精神科の定期受診の日だった。

「すっすみません。少し、ぼーっとしてました」

「大丈夫ですよ。ちょっと血圧を測ってみましょうか。あと、そうですね……今回から少し強めの薬に変えてみましょう。1週間……いえ、2週間後に様子を診させてください。大丈夫ですか?」

「大丈夫です。よろしくお願いします」

 彼女は看護師から血圧を測ってもらいつつ、薬の説明を聞いた。副作用や注意事項、疑問を質問する。いつも分かりやすく丁寧な説明をしてくれるので、彼女も理解するのが早かった。

「では、何かありましたらすぐに来てくださいね。お大事に」

「ありがとうございました」

 彼女はお辞儀をして診察室を後にした。ゆっくりとした足取りで待合室の椅子に座る。無事に診察が終わり、思わずため息が出た。それと同時に『まただ』と目を伏せる。

 時々あるのだ。眠りから急に醒めた時のように、意識が戻れば時間も日数も過ぎている事が。認めたくない。考えたくない。それが、『自分が死んだ』後に起こる症状だということを、彼女は誰にも言えなかった。簡単に、言えることではなかった。血の味、痛み、徐々に冷たくなる体、何も見えなくなっていく視界。曖昧な記憶の中でも、強烈な死の感覚は確かに覚えていた。

「――円のお釣りです。お大事に」

 彼女は心を落ち着かせて、病院と薬局の会計を終わらせた。帰路につく足取りは重い。このまま帰るのもどうかと考えていると、何かを感じて振り返った。

「ネコ」

 離れた場所で茶白のネコが座っていた。じぃっと彼女を見ている。その無機質な瞳に彼女は恐怖を感じた。

――いけない、水……。

 急激な喉の渇きに、水の入りのペットボトルを急いで鞄から取り出した。

「あ」

 震える手からペットボトルの蓋が落ちた。しかし、構わず彼女は水を飲んだ。一気に飲み干し、目を瞑る。深呼吸を繰り返し、喉が潤ったことで少し落ち着きを取り戻した。ゆっくりと目を開ける。ネコはもういない。代わりにペットボトルの蓋があった。落としたペットボトルの蓋だ。拾い上げ、一瞬悩んだ後に近くにあった自販機のゴミ箱に両方とも捨てた。まだ、安心はできない。

「うにゃー」

「……え、お福さん?」

 聞き慣れた猫の声に驚いて足元を見るとぽっちゃり気味なサビ猫――お福さんがいた。尻尾をぴーんっと真っ直ぐにして彼女の足元に擦り寄っている。このお福さんは、彼女が何度も通っている猫カフェの看板猫だ。そして、店長さんの愛猫でもある。人見知りせず面倒見も良い大らかな性格のため、子猫から成猫と人からも大人気な老猫だった。普段は猫カフェ内か店長さんの自宅内のどちらかにいるはずだ。それが今ここに、外にいる。何故と彼女は考えた後、ある事を思い出した。

「お福さん、今日はお散歩してたの?」

「ん〜」

 お福さんは彼女の足元に擦り寄って座り、目をゆっくり閉じながら見上げた。その表情はそうだと言っているように上機嫌である。

 お福さんは元野良猫だと店長さんは言っていた。自宅の庭で弱って倒れていたところを保護したそうだ。店長さんはお福さんを完全な室内飼いの家猫にしようと訓練していた。だが、外に出れないストレスで毛が大量に抜けるという症状が何ヶ月も続いてしまい、苦慮した結果、家と外をいつでも自由に出入りできるようにしたと言う。そのおかげかお福さんのストレスは無くなり毛が抜ける症状も無くなった。何とも難しい問題である。しかし、外に出ても必ず店長さんの元へ帰り、猫カフェを開業後は店長さんと共に出勤していた。店長さんとお福さんの絆はとても強く素晴らしいものであった。

 そんなお福さんを彼女は微笑みながら撫でた。猫好きにはたまらない時間だ。お福さんも気持ち良さそうに目を閉じている。しばらく撫でて、彼女は立ち上がった。

「うん……ありがとう、お福さん。でも、そろそろ帰らないと」

 それを聞いたお福さんは彼女の足をちょいちょいっと前足で触れると、少し離れた場所まで走り、そして彼女の方を向いて座った。尻尾を大きく振っている。これは、猫カフェへのお誘いだ。彼女は一瞬悩んだが、今1人になるより猫カフェに行った方が良いと判断した。何より猫たちに会いたい。

「そう、だね。一緒に猫カフェ行こうか、お福さん」

「うにゃ〜ん!」

 お福さんは満足げに鳴いた。彼女がゆっくりと歩き出し、隣に来たのを確認してからお福さんも歩き出した。二人は時折り互いを確認しつつ、猫カフェへ向かうのだった。


 もう、彼女から恐怖や不安は無くなっていた。

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