第4話

 学園は広い。

 貴族と国が認めた者だけが通えるとあって、広さも設備も超一流である。

「さて、そろそろ講堂に行こうか」

「そうですよ。ライオネル様は新入生挨拶も任されているのですから、その準備も必要でしょう」

 ライオネルの言葉にグラハムが神妙に頷く。

 その言葉にアスタリスはびくりと肩を震わせた。

「どうした?寒い?」

 アスタリスの顔を覗き込むようにライオネルが見つめる。

 言えるわけがない。ここがゲームの世界であり、自分が悪役令嬢であり、更にはこの入学式でライオネルはヒロインであるイオと出会うということなんて。

「……アス、大丈夫だよ」

「レオ様……えっと……」

 本日何度目かのハグにアスタリスは我に返った。ハグもそうだが、ライオネルの柔らかな声が強張った心をゆっくりと溶かしてくれる。

「はい、大丈夫です」

 今は。という言葉を飲み込む。

 どうしても『強制力』という言葉が頭から離れない。どこまで行ったら、それを振り払えるのかもアスタリスにはわからない。

 「うん、大丈夫。俺がついているからね。行こう」

 手を繋ぎ直す。どうしても信じきれない部分もありながら、この温もりに信じきってしまいたい気持ちも湧く。

 それはおそらく、宵星の巫女の性質のせいだ。

 ライオネルが抱く愛情が真実であるのがわかるからだ。

 きっとアステリアは苦しかっただろう。愛され大切にされたところから、仕方ないとはいえ、味方のいない世界に放り出された上、嫌われなければならなかったのだから。

 それに比べたら自分の悩みなど贅沢なのかもしれないとアスタリスは思うのだった。


 広い学園をライオネルに手を引かれ、友人たちと共に歩く。

 アステリアが諦めたことをアスタリスはあっさりと経験している。

 アステリアは一人で向かっていた講堂にアスタリスは婚約者と友人たちと共に向かう。

 これを贅沢と言わずなんと言えばいいのだろう。


 アステリアは孤独に胸を痛めながらも、身を潜めるように後ろの壁際に座った。しかし、闇属性であっても公爵家、その人間が端にいることが逆に目を引いてしまった。

 それ以降、アステリアは心を殺した。どう足掻いても自分はここに受け入れられはしないのだと。そうであるなら卒業まで公爵家の令嬢としての振る舞いだけしていよう。孤独であることが当たり前で、友人を望むこともできないのなら、ただそこにいるだけであろうと諦めたのだ。それがこの入学式であると後に映画化された時に語られている。


「私たちはこちらに行く。後ほどウォーレンもグラハムもそちらに合流するとは思うが、一旦、私について来てほしい。アス、またあとで」

 講堂の入り口に着くと、ライオネルは名残惜しそうにスリッと繋いでいたアスタリスの手を撫でてから離した。

「はい。レオ様、ご挨拶頑張ってください」

「っ!もちろんだよ!俺から目を離してはだめだよ」

 嬉しそうに微笑んだかと思ったら、耳元でそっと囁いて、ライオネルは手を振りながら講堂の舞台袖に続く通路へと去っていった。

「……アス様?お顔が」

 どうしても慣れない。前世でも恋愛は色々な部分で躊躇することも多くて終ぞすることがなかった。だから、このライオネルの甘さにはなかなか慣れるものではなかった。むず痒い。

「アス様、可愛らしい!」

 ミモザがキラキラとした表情で嬉しそうに微笑む。

 エシェリーにしてもそうだが、二人とも男であるアスタリスに対して結構「可愛い」を連発する。それにも慣れない。

 しかし、それが嫌ではない。このむず痒さがむしろ嬉しいのだ。

「い、行きましょう!」

 嬉しさと照れが混ざり、声が上ずる。

「ええ、行きましょう!」

 そんなアスタリスをミモザとエシェリーは微笑ましく見つめる。ここにライオネルがいたら、蕩けるように微笑みながらハグをして、その後恋人繋ぎでもするんだろうと想像しながら。


 入学式の行われる講堂にはすでに新入生が集まりだしていた。

 アスタリスは映画のアステリアの心情を思い出し、キュッと心が縮まるような気がして入口で足を止めてしまう。

「……アス様、大丈夫です」

 エシェリーがそっと手を取り、目を合わせてくれる。

「そうですよ。行きましょう!」

 ミモザも背中に手を置いて、文字通り背中を押してくれた。

「ええ……」

 不安がある。アステリアの世界線ほどでなくても、闇属性の印象はさほど良くない。

 アステリアが講堂に入った時の水を打ったような静けさに、恐ろしいものを見るような視線、そして広がる囁きが思い浮かべられる。


 それでもミモザとエシェリーに促されてアスタリスは講堂に入った。

「……あ」

 一瞬こちらを向く視線に身構えそうになったが、何事もなかったようにただ誰が入ってきたのかを確認しただけだというように逸らされる。

 時折忌避するような視線は感じるが、それの方が少数であった。

「ね?大丈夫でしたでしょ?」

 ミモザがアスタリスの顔を覗き込む。

 それに頷くと、エシェリーが行動の中央付近の空いた席に導きながら口を開いた。


「アス様との婚約が決まる前からライオネル様はずっと六属性のあり方、特に闇属性に纏わる誤解とも言える能力についての正しい知識の周知を国をあげて行なっていたのです。闇属性の方と婚姻を結んだ方のご家族から話を聞いたり、そもそもの闇属性のあり方などを伝え続けていたのです」

「全て、アス様と結婚するためです。宵星の巫女についても古い文献を紐解いて調べ上げたとおっしゃってましたからね」

 ミモザもエシェリーに続く。

「本当に『闇』とか『黒髪、黒い目』というものの印象に引っ張られすぎですわ」

 おっとりお姉さんという雰囲気のエシェリーは闇属性のこと、特にアスタリスに関することになるとプリプリと怒り出すのはいつものことだ。

「ふふっ、二人ともありがとう」

 ミモザも今回は口にしていないが、闇属性の扱いについてはいつも苦言を呈していた。

 原作ではイオを嫌い、アステリアの名前と立場を利用してイオを虐めていた二人のモブ令嬢だったが、ここではこんなに心強い。

 アステリアのようには自分はできないとアスタリスは思っていたから、一人きりで孤独と戦わなくていいだけで、本当に救われている。


「…いいえ!こちらこそ、ありがとうございます!」

「ええ、本当に、私たちの方が感謝していますわ」

 アスタリスのはにかむような笑顔にミモザもエシェリーも心が温かくなるのを感じた。


 しばらく雑談をしていると、ざわめきが大きくなったように感じて三人は入口に目を向けた。

「あ……」

 声を上げたのは誰だっただろうか。

 アスタリスだったようにもミモザだったようにも思う。

 入ってきたのはピンクがかったブロンドのセミロングの髪をなびかせ、落ち着いたピンクブラウンの大きな瞳が印象的な可愛らしい少女だった。

「……あれが、花属性の……?」

 どこからかそんな呟きが聞こえてくる。

 アスタリスは無意識に見つめてしまっていたらしい。

「えっ?」

 座席を探していたのだろう彼女と一瞬目が合ったのだ。

 すぐに逸らされたが、アスタリスはなんとなく違和感を覚えた。


 ヒロイン、イオ・フローリウス。

 小動物を思わせるような愛らしさとヒロインらしい前向きで頑張りやなところがある一方で少々おっちょこちょいで、どこか垢抜けない。

 王道ヒロインでありながら、結果的に国を崩壊に導く存在で、第一部ではライオネルと共に人気を博したが、第二部が発売され、アニメ化、スピンオフの映画、公式ガイドブックなど情報が増えるにつれ人気を落としていったキャラである。

 第三部まで一通りの情報が出揃った後では不人気というよりも嫌いなキャラとして定着してしまったヒロインである。


 しかし、一瞬だったがアスタリスが彼女から得た印象は違った。

 愛らしさはある。しかしどこか落ち着き払っているような雰囲気がある。

 そして、思い出すのは原作のイベントである。


 入学式の前にライオネルとの出会いのイベントがあり、ここまでライオネルに連れてきてもらうのだ。

 その時はオドオドとこの環境に慣れていない雰囲気があり、ライオネルがその様子を微笑ましく見守るという感じだったが、今入ってきたイオにはその雰囲気はなく、どちらかというと堂々とこの空間に溶け込んでいった。


 その違和感を吟味する時間もなく入学式が始まり、新入生代表の挨拶ではライオネルが登壇した。

 その内容にアスタリスは恥ずかしくてどうしていいのかわからなくなっていた。


 端的にいえば、今年は王族である自分と、花属性、闇属性の公爵家からも入学してきた、少々稀有な年であるということだけだった。


 しかし細かな内容があれだった。

 そのためか式が始まる前に合流したグラハムとローレンの方を見れば頭を抱えているし、ミモザとエシェリーは胸の位置で手を組み、お祈りのポーズで瞳を輝かせてライオネルの言葉に頷いていた。

 さらには強烈な視線を感じてアスタリスが後方の様子を伺えば、イオが睨むように壇上を見つめていた。


 そんな状況であるが、壇上でスピーチをするライオネルはというと全体を見ているようで全くそんなことはない。アスタリスを視界の中心におさめて、あとは文字通り背景としていた。


 アスタリスは下手に目を逸らすこともできず、だからと言って見つめ返すこともできず困ったように苦笑いするしかできなかった。


 最初は良かったのだ。

 新入生として入ってきたこと。王族だからと言って忖度は必要ないことや花属性という特殊属性の新入生がいるがこの学園の生徒なら平民出の彼女にも親切であるだろうということを伝えた。

 しかし闇属性の話になったところからちょっとずつズレていった。

 今年は自分の婚約者でもある闇属性の公爵令息も入学しているということ。そこから闇属性の人間、特にノワーダルク家の優秀さについて熱弁を振るった後、さらに我が愛しの婚約者殿であるアスタリスについてどれほど素晴らしいか、学園に共に通えることへの感謝などを語りに語ったのだ。


 あまりのライオネルの熱弁ぶりにスタンディングオベーションするのではないかという拍手で終わったのだが、アスタリスはどっと疲れていた。

 感情が忙しい。

 嬉しいやら恥ずかしいやら、アスタリスにとっては当たり前のことをしてきたため謙遜もあるし予想していたものとは違う形での目立ち方でアワアワするしかできなかった。


「……アスタリス様、申し訳ありません。ラオネル様を止められませんで」

 グラハムも式前から比べると疲労を隠せていない。

「あはは……うちの王子様は熱烈だな。本当、どうしてああなったんだろうな」

 ウォーレンも笑うしかなかったのだろう。しかしその笑いは乾いたものだった。


 入学式後は帰るだけだったので、門前でミモザやエシェリーたちと別れて、ライオネルとグラハムと共に帰宅したはずだ。


 曖昧なのは、ハッと気がついた時は次の日の朝だったからだ。

 ライオネルに感想を求められた気がするが、それにちゃんと答えられただろうか?

 メイドのメイに入学式はどうだったか聞かれたがどう答えたっけ?

 それは両親や兄弟たちにも聞かれた気がするが、本当に朧げである。


「……朝ぁ」

 考えなければいけないことがあった気がするのに、日が変わってしまった。

「アスタリス様、起きてくださいって起きていたのですね。おはようございます」

「あ、メイ。おはよう」


 メイがカーテンを開けると朝日が差し込む。

 いよいよ今日からは学園生活が始まる。

 まだ不安はあるが、今はできることをやっていくしかないとアスタリスは小さく拳を握りしめた。

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転生者たちは悲劇の悪役令嬢を救いたい〜我ら悪役令嬢強火担です〜 和水 @nagomi-369

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