第7話  川崎航空機の多忙

 陸軍は北進論により対ソを重視しているが、世界を俯瞰することも怠らなかった。地上の機甲部隊や砲兵部隊の整備だけでなく、発展の著しい航空機にも注力するが、ソ連のI-16やドイツのBf-109に刺激される。当時の陸軍は九七式戦闘機を主力に運用した。九七式戦闘機は優秀な機体であるが、固定脚など保守的で将来性が見込めず、早々と新型戦闘機を志向した。


 陸軍は戦闘機を軽戦闘機と重戦闘機に分けている。前者は九七式戦闘機のように格闘戦を意識した。重戦闘機が不得意とするところを埋める補助戦闘機に定める。つまり、陸軍は原則として重戦闘機を主力機にしたいのだ。後者は高速で重武装による一撃離脱を意識して、I-16とBf-109に負けない本格的が要求されている。陸軍航空隊の主力戦闘機に期待した。


 これを基本に三菱、中島、川崎の三社に開発を命じる。三菱は海軍の次期主力艦上戦闘機を優先して辞退した。中島は軽戦と重戦を両立できるが重戦は経験が浅い。九七式戦闘機の実績と経験を重んじて軽戦に集中した。重戦は川崎に譲ることを逆に提案する。川崎は独自に重戦闘機の研究を行っているため、非常に丁度良く、陸軍も各社の事情を汲み取って了承した。


=川崎航空機=


 川崎航空機は陸軍の重戦闘機開発に土井武夫技師を充てる。


「土井さん。こいつは物になりますよ」


「私も想像以上の出来栄えに驚いている。これは陸軍も飛び付かざるを得ない」


「中島さんには悪いですが、軽戦闘機は不要として、時代は重戦闘機の一撃離脱です」


 土井技師は「今度こそは!」の闘志を燃やした。九七式戦闘機の採用前に行われた自社製キ28が中島製キ27に敗れたことが契機である。彼は「陸軍が軽戦闘機思想から脱却していれば」と臍を噛んだが、今回は重戦闘機を直々に命じられたことで、俄然とやる気を増していた。


「イギリスのロールスロイス社のPV12ことマーリンは良い物です。日英同盟のおかげでライセンス生産を許された上に自由に手を入れてよいと大盤振る舞い」


「愛知航空機さんに感謝しなければならない。うちで作るなんて無理だった」


「まったくです」


 川崎が重戦闘機を志向する中で肝心の発動機はキ28から引き続き液冷エンジンを採用する。キ28の反省を活かしているのだから当然のことだ。エンジンは自社製はおろか外国製を採用する。愛知航空機がライセンス生産するハ40(海軍名アツタ)だ。


 これはイギリスのロールスロイス社のPV12ことマーリンをライセンス生産している。日英関係は日英同盟が解消された以降も良好を堅持した。白色ロシアが成立して日中ロが反共を宣言する。日本が明確に極東の守護者を訴えると社会主義嫌いのイギリスは再びの日英同盟を模索した。実際に再び結ばれることはなくとも良好な関係は「見えない日英同盟」と言われる。


 日本陸軍はイギリスの液冷エンジンが優秀と知るや否やライセンス生産の取引を持ち掛けた。この時に海軍も同様に交渉を行っているため、イギリス政府の道徳的な働きかけにより、日本政府単位の代表として愛知航空機が獲得に成功する。愛知航空機は既に同社製ケストレルをライセンス生産して経験を豊富に有した。ロールスロイス社液冷V型12気筒マーリンを愛知航空機がライセンス生産する。海軍名はアツタと陸軍名はハ40と国産化した。


「土井さんが並行して開発している軽爆撃機と万能戦闘機もマーリンでいいんじゃ」


「そうだな。陸軍は空冷と液冷の両方で手広く構えたが、ここまで優秀だと液冷が勝る」


「あと、これは私の勝手なものですが」


「聞かせてくれ」


 この時の川崎航空機は大変な日々を送っている。新型の重戦闘機から双発万能戦闘機、双発軽爆撃機、襲撃機と多種多様な航空機の開発を要請された。それも三菱、中島、立川などと競争している。川崎航空機が負けるわけにいかない。土井技師は大半を兼任して普通は激務で倒れるところだ。彼の報国の心とキ28の悔しさが支えている。


「双発か単発かを問ないで軽爆撃機と襲撃機は統合して良いんじゃないか」


「ほう。それはどうして」


「正直を言って、無駄な気がします」


「軽爆撃機が襲撃機の仕事が重なるから無駄」


「そうです」


 ソ連の地上部隊を叩き潰すために重爆撃機、軽爆撃機、襲撃機の三種が存在した。これに軽/重戦闘機や万能戦闘機も含められるが、原則として、この3種であることにご留意いただきたい。


 重爆撃機は中島の九七式重爆撃機に代表されて高速爆撃機と活動する。高速で重武装を以て敵戦闘機を寄せ付けない。敵の地上部隊を大量の小型爆弾で吹き飛ばす思想を有した。現に中島が九七式の後継機としてキ49を開発中である。主に大陸の運用を想定して航続距離は重視せず、高速と重武装、豊富な爆弾積載量に割いた。


 軽爆撃機は川崎航空機が担当する。しかし、社内から「軽爆撃機を開発する必要があるのか」と疑念が呈された。双発機か単発機かを問わず軽爆撃機は後述の襲撃機と役割が重なる。川崎の開発力を食い荒らす点が嫌悪された。双発機は輸送機や訓練機に切り替えるべきであり、単発機は軽爆撃機か襲撃機のどちらか一方に統合すべきである。この軽爆撃機と襲撃機の問題は陸軍も悩んだ末に機種を統合した方が効率的の結論に至る。後に陸軍から軽爆撃機を襲撃機に統合する方針が示された。


 襲撃機は軽爆撃機と被ると言うが、実際は明確に用法が異なり、襲撃機が未熟なため曖昧にされた。ソ連軍は低空から侵入して敵地上部隊を奇襲するシュトゥルモヴィークを定める。これを陸軍が倣って負けじと襲撃機兼偵察機の開発を三菱に命じた。川崎は九八式軽爆撃機の後継機構想を練ると独自開発を始める。九八式が優秀な性能を発揮するが整備性に難がある故に失敗機と評価された。若い社員は自社と陸軍の事情を鑑みて九八式軽爆後継機構想と双発軽爆構想(キ48)を襲撃機に変えることを提案する。


「陸軍は空冷星型エンジンを指定した」


「はい。中島社のハ25を提示しました」


「うちは空冷星型エンジンの経験が無い。愛知のハ40が想像以上に良いエンジンだから液冷V型エンジンで行こう」


「よろしいのですか?」


「君が言い始めたことだろう」


「いやあ、まさか、採用されるとは」


 川崎は液冷エンジンの搭載機を多く開発して熟知する。その割に九八式軽爆撃機は失敗したが、失敗の経験から得られる反省を活かし、堅実な液冷エンジンの搭載機を開発できるのだ。陸軍は空冷エンジンの搭載機を要求しているが、川崎は不慣れであることを掲げ、液冷エンジンが好ましいと反訴する。


「重戦闘機、万能戦闘機、軽爆撃機襲撃機の全てを液冷エンジンに定める」


「開発の遅れは…」


「そんなものは24時間働くことで縮められる。中島や三菱が開発していることは考えない。川崎は川崎の独自性で勝負するんだ」


「わかりました」


 土井技師は若手社員の自分勝手な提言を掬い上げた。陸軍から命ぜられた現在進行形の単発重戦闘機、双発万能戦闘機、軽爆撃機/襲撃機は要求に反して液冷エンジンの搭載を決める。空冷エンジンの搭載機は三菱と中島、立川が開発している。航空機の心臓たるエンジンから差別化する独自性を打ち出した。


 エンジンを空冷から空冷又は液冷から液冷に変更する時点で大変な労力を伴う。空冷から液冷に変更することは多方面に波及した。設計を根本的に見直すことから大幅な遅延を強いられる。多少の遅延はまだしも大幅な遅延はいただけない。


「そうと決まれば即行動です。土井さんの名前で動かしますよ」


「恨まれても構わない。やらねばならぬ」


 川崎航空機は多忙である。


続く

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