第32話 柚月香奈
自分の頬を両手で二回ほど軽く叩き、気を取り直して赴いた異界。門を潜った先に待ち構えていたのは複数のクラゲ。油揚げの身体から無数のうどんを生やしており、雪葉と視界をかち合わせた途端、親の敵を見る目で襲いかかってきた。世良と交替する暇も道具を召喚する暇もなく、ひとまず逃げることにした雪葉と世那は、爆速で廊下を駆け回っている。遂に指名手配犯になったのか、世那も普通に狙われていた。
門を開いた北館から真っ直ぐ西昇降口を駆け抜け、目先にある六年三組の教室へと飛び込み、勢いよく閉めたドアの鍵をかけて時間を稼ぐ。クラゲ達がドアや窓をバンバンと叩いているが、すぐ蹴破ることはできないようで入ってこない。今の内に世那が世良と入れ替わると同時、少し平静を取り戻した雪葉の視界に映る二人の先客。
「香奈姉!?」
「チッ、被害者と加害者か」
『何だか様子がおかしい』
先客は短いウルフカットの黒髪の美女と、毛先を巻いたセミロングの栗色の髪の美女。前者の女性と知り合いの雪葉が泡を食ったような声で驚いた刹那、溝からドアを外したクラゲ達に侵入されて舌打ちをする世良。異世界から召喚した大鎌を構えて、全員を守るみたいに一人で前に出る。
突然、三人が教室に駆け込んできたうえ、謎のクラゲに硝子やドアを破壊されたのに、結衣の指摘通り雪葉の知り合いこと
「取り敢えず、話し合いの場にお前等は邪魔だ。消えな」
緊急事態らしき二人の女性も気になるが、そちらに集中させてくれるほど敵は甘くない。そう見越した世良が鋭利な瞳でクラゲ軍団を睨めつけ、先手必勝とばかりに得物を大きく横に薙ぎ払う。すると、鋭い刃で何匹か消されて激昂するかと思えば、無事だったクラゲ達は怒ることなく一斉に逃げ去った。
「あ?」
「異界の人外が世良の圧に負けて逃げんなよ」
『さっきまでうどんを食べさせようと躍起になっていたのに』
離れていくクラゲ集団の行動に、世良は怪訝な表情で鎌を肩に担ぐ。呆れを醸し出した表情で口角を引き攣らせる雪葉と結衣と違い、妙に険しい顔で逃走先を真っ直ぐ睨めつけていた。不安材料でもあるのかと雪葉が尋ねようとした刹那、縋るような切羽詰まったような声で話しかけられる。
「なぁ、そこの二人! そっちの用が終わったんやったら、うちの方を手伝ってくれへん!? 香奈が急に話しかけても何も答えてくれへんし、どっか行こうとして止まってくれへんねん!」
「まさか、操られてるのか?」
「特別に霊力卵を補充してもらえたんだ、俺が何とかする!」
虚ろな表情で教室を出て行こうとする香奈を、栗色の髪の女性が必死に縋り付いて止めていた。腰に両腕を回す関西弁美女を引き摺りながら、足を止めることなく突き進む意志を見せる香奈を見て、世良と雪葉は警戒と焦りで身体を強張らせる。
何をするつもりだったのか動く体勢に入った世良を止め、世那から貰った便利なポーチと霊力卵を一つ取り出す雪葉。ポーチに突っ込んだ手に触れたのは、キスマークを付すことで状態異常を解除できる口紅。思わず「うげっ」と苦い声が出る。
が、躊躇っている場合ではない。催眠状態になると力も強くなる王道設定により、同じぐらいの体格なのに香奈はズンズンと扉の方に向かっていた。雪葉は覚悟を決めて口紅を唇にはみ出しながら乱雑に塗りたくり、香奈の方に駆け寄って細い腕を掴む。そのまま、彼女の手の甲を己の唇に当てて軽く吸い、赤い花を咲かせる。
突然、友達の手の甲にキスをする男に、栗色の髪の女性が激昂するかと思いきや、苦虫を噛み潰したような顔で引いていた。催眠状態の解除に成功したのか意識を失った香奈を抱き締め、険しい顔で雪葉のことを警戒している。雪葉は変態のレッテルを貼られる前に慌てふためきつつ口紅の説明をし、何とか彼女の誤解を解いた。
「そ、そういうことやったんか、おおきに。普段の香奈とは思われへんぐらい力が強なってて、ほんまにどないしようかと思ったわ。あっ、うちの名前は
「俺は蓮見雪葉、こっちは巴江世良と夜咲結衣です。お二人はどうして此処に?」
半信半疑つつも警戒を緩めた栗色の髪の女性に名乗り、雪葉は被害者と加害者を見定めようと質問を投げかける。加害者に呪われて異界に飛ばされた被害者は、例外である雪葉と同じく動く食べ物に狙われるのに、クラゲ達に撤退された所為でどちら狙いだったか分からない。理緒は目線を彷徨わせて少し逡巡してから、自罰的な色を宿した複雑な表情で口を開いた。
「ここ一ヶ月、香奈は悪質なストーカーに悩まされてんねん。だから、うちが香奈を呪って、絶対来られへん此処に避難しようってなったんよ。危険やろうけど呪ったうちが一緒に居れば大丈夫やと思っとってん」
「そしたら、うどんに襲われたのか?」
「いや、襲われへんかったで。鉢合わせになったのに、何もしてこんとどっか行って、その後に香奈がおかしなってもうてん」
不完全燃焼なのか物足りなさげな顔で、暇そうに大鎌を回転させる世良の質問に、理緒が軽く身を引きながら首を横に振る。この女の子、一体何者? みたいな怯えた目で見られても、雪葉にだって世良の身体能力が異常に高い理由など分からない。取り敢えず、理緒の顔が引き攣っている為、世良に大鎌回しをやめさせた後、先程、聞いた話を思い出しながら話を戻す。
「被害者である香奈姉に何もせず逃げた……?」
『さっきも世良の圧に負けたんじゃなくて、この人を傷つけない為に引き返したのかも』
「今回、異界に力を貸した悪霊は、いつもと違うみたいだな。身体を奪うというよりは、心を欲しがってるのかもしれねぇ」
怪訝な表情で顎に手を当てて香奈を見つめる雪葉に倣い、結衣と世良も苦々しい面持ちで今回の被害者に目を移した。異界に関しての知識を豊富に持つ世良が、厭わしさを顕に舌打ちをしてボソッと呟いたが、顔を見合わせて首を傾げる雪葉と里緒。まだ断定できないのか面倒臭いのか、世良に説明する気がなさそう故、自分で何とか考察を始める。と、香奈の寝顔に目を落としていた雪葉は、あることに気付いた。
「そういや、クラゲに会うと操られるんだとしたら、何で遭遇した俺達と佳奈美さんは無事だったんだ?」
「発動条件があるか、その女だけが目的なんだろ。ひとまず、お前が操られたら、結衣に身体を渡せ。そうすりゃ、かかった暗示は解ける」
「わ、分かった」
気絶したままの香奈を一瞥した後、結衣へと目線を合わせた世良に頷く。バレンタインデーの日、雪葉と世那と世良にチョコレートを渡したいと言ってくれ、雪葉は守護霊である結衣に身体を貸してあげた。主導権を引き渡すと真っ暗な精神世界に落ちるが、自室にあるもの全て揃っていた為、割と快適に過ごせる。
「けど、世那と世良はどうするんだ? 正直、二人が操られたら、俺は何をしても勝てる気がしない」
「得意げに言うな、むかつく。私達も入れ替われば解けるから問題ねぇよ」
「へぇー、二重人格って便利だな」
華奢で細身な女の子一人に情けない話だが、山椒は小粒でもぴりりと辛いのだ。世良に勝てる未来を米粒ほども想像できず、雪葉は開き直って胸を張った。癪に障る態度だったらしく世良に冷ややかな眼差しを突きつけられたが、それと一緒に解決方法も投げかけてもらえて胸を撫で下ろす。すると、訝しげな表情で首を傾げた世良が、舌を巻く雪葉の目を丸くするようなことを言った。
「二重人格? 何言ってんだ、私は世那の守護霊だぞ?」
「……――――えっ?」
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