第31話 黒猫涼Ⅲ

 涼を救出した翌日、雪葉と世那を含めた昨日の面子は、春祭り二日目で盛り上がる商店街の外れに集まっていた。昨日助けてくれたお礼ということで、涼に奢ってもらったドーナツを食べながら記憶消去の確認をする為だ。奈津と涼の絆が深まっていた感じだった故、世那と相談して全消去しなかったのである。


「昨日の事件で分かっただろうけど、涼ちゃんもつなにゃんのことを恋い慕っているのだよ、好いた相手が苦しんでいるのを見たくはないのさ。だから、もしもまだ涼ちゃんに恋心を抱いてくれているのなら、お付き合いしてくれないかな?」


「――お断りッス。僕は条件を達成してから先輩と付き合うって決めてるんスよ」


「つなにゃん」


 どんな内容に置換されているのか不明だが、無事に異界での出来事は事件として記憶されているらしい。なんて雪葉が安心感に包まれる猶予もなく、漫画でよくありそうなラブコメを披露する涼と奈津。不安と期待を滲ませた苗色の瞳で、申し訳なさそうに眉尻を下げて告白した涼が、凜然とした曇のない笑みを湛えた奈津の返答で、瞳を微かに潤ませ頬をほんの少し色づかせてときめいている。


「昨日食べた生クリーム入りのチョコチップメロンパンより甘い」


『あれも大概、甘さの暴力だったのに』


 苦い珈琲を飲みたくなるベタな口にドーナツで追い打ちをかけながら、雪葉は昨夜の夜食に食べたパンの味を思い出して苦笑を頬に含ませた。部屋に充満する歯を溶かしそうな匂いを体験した為、結衣が人間同士の恋愛シーンの甘さに驚いている。

 少女漫画の男女だと口元が緩む甘い空気も、現実且つ目の前でやられるとげんなりするという、無駄な知識を身を以て体験してしまった。恋人居ない歴イコール年齢の雪葉が、口元を引き攣らせ嫌みなほど晴天な空に遠い目を向けて、「お幸せに」と心の中で祝福の言葉を贈る中。世那がふと思い出したように、疑点を口に出した。


「昨日の事件は一件落着のようですが、祭りが始まっている頃に戻ってしまいましたよね? その後、大丈夫でしたか?」


「パパは黒猫商店街の創設者だから、毎年、ものすごーくお祭りの準備に力を入れてるのに、娘の涼ちゃんが買った材料をなくしちゃった挙げ句、準備も途中でサボるときたもんだ。一時間、正座でお説教だったぞ」


「大丈夫っスよ、黒猫先輩! 僕の所為でもあるので、一緒に言い訳を考えるし、今から先輩のお父様にも謝罪するっス!」


 途端、感動していた涼の端正な面持ちが、苦虫を噛み潰したような顔に変わる。昨日の説教を思い出したのかガックリと項垂れる彼女に、何故か今日は決然とした眼差しで頼りになることばかり言う奈津。しかも、涼の不安を払拭するような、安心感を与えるニッコリとした微笑み付き。年下ながら見習うべき女性への対応である。


「つ、つなにゃーん!」


「く、くく、黒猫先輩!?」


「よーし、善は急げなのだよ! 早速、二人でパパの説得にレッツゴーだ!」


「は、はは、はいッス!」


 雪葉を感心させたのも束の間、涼に抱き締められ神色自若な態度を崩された奈津が、そのまま手を握られて慌てふためきながら連れて行かれた。さっききまで「お前等早く付き合えよ」なんて思っていたが、ボディータッチで照れる初心な反応を見ると、まだ両片思いのままでもいい気がする。


「雪葉くんはどうでしたか?」


「昨日は何とか誤魔化したけど、俺は異界のことを言えないから、涼みたいに怒られるのは必須だろうな。ということなので、助けてください」


 などと恋愛経験もないのに人の恋路を考えていた雪葉は、世那から話の矛先を向けられてそれどころじゃなくなった。普段、世那を手伝う時は基本的に夜遅くで、自室から異界に向かって帰るまで誰も来ない為、露呈することもない。が、昨日は昼時且つ祭の真っ只中。手伝いもせず行き先も告げず消えて、怒られないわけがない。

 何日も誤魔化せると聡明ではないと自負している。故に、情けない姿を晒しつつも、頭を下げて両手を合わせながら素直に助けを求めた。幼馴染の優しい性格に甘える自分を恥じていると、いつまで経っても返事を貰えないことに気付き、恐る恐る伏せていた顔を上げる雪葉。驚いて点にした双眸を何度も瞬く世那と目が合った。


「えっ、どうした?」


「……雪葉くん、世良と会って素直になりましたよね」


「わ、悪い! 情けない姿なんかしょっちゅう見せてたら幻滅だよな」


「いいえ、雪葉くんに助けを求めてもらえるのは、幼馴染冥利に尽きます。困った時はいつでも僕を頼って下さい」


 吃驚されることを言ってない故、焦って尋ねると、世那に遠回しに縋る機会が増えたことを指摘されて、雪葉は恥ずかしくなり紅くなった顔をバッと逸らす。居心地の悪い含羞に支配されて消えてしまいたくなったが、世那は何故か嬉しそうに破顔して慈愛に満ちた瞳を柔らかく眇めた。

 自己嫌悪に陥って暗く曇っていた心が、一瞬で温かくなり安堵感に満たされる。確かに、雪葉も世那に助けを求められた時、嬉しいし、絶対に何とかしてやろうと気合いが入りまくった。本当は逆がいいが、女子に縋る展開に羞恥心を覚えつつも、折角だからとお言葉に甘えることにする。


「そっか。サンキュー、世那。それじゃあいっちょ、言い訳を考えますか!」


「僕もお手伝いします」


『私も手伝う』


 照れ臭く思いながらも頬を緩ませ、改めて世那の知恵を借りたい旨を伝え、立候補した結衣も含めて誤魔化す方法を考えることにした。涼から貰ったドーナツを食み、穏やかな笑みを向け合いながら案を出す。そんな一生続いてほしいと感じるほど心地良い雰囲気は、突如、世那の険しい表情によって崩壊の一途を辿ることになった。


「……雪葉君、話し合いの途中ですみませんが、残念なお知らせです」


「……――――呪い?」


「……はい」


 楽しい時間に水を差されたようなうんざりした顔を見て察し、口に出すのを躊躇したことで生まれた長い沈黙の後、尋ねると、見事、世那から肯定を貰い両手で覆った顔で天を仰ぎ見る雪葉。サンサンと降り注ぐ太陽の光が、指の隙間から眼光を攻撃してくる。が、そんなこと気にならないほど気が滅入っていた。

 この際、二日連続――というか、ほぼ毎日の如く怪異に巻き込まれるのはいい。ただ、タイミングを考えてほしい。商店街の外れで集まっていようが、一応、年に一度しかない春祭り二日目の真っ昼間なのだ。三人で言い訳を考えて両親の追撃を乗り越え、昨日参加できなかった祭りを楽しむ予定が台無しである。


「年に一度の春祭りの邪魔ばっかしやがって。犯人もお祭り気分なのかよ、ふざけんな! せめて夜に呪えよ!」


「雪葉くん、落ち着いて下さい。昼でも夜でも人を呪うのは駄目です」


『そもそも、今は呪いが簡易化してる。意図せず発動したかもしれない』


「――うん、ごめん。分かってるけど、叫ばずにはいられなかった。行くか」


 頭を抱えて空へと咆哮を撃った雪葉は、取り乱す自分を冷笑するみたく、落ち着いた表情の世那と結衣に宥められ、怒りを込み上げる羞恥に覆される。一人だけ過剰なリアクションを取った挙げ句、沸々と芽生えた怒号を吐き出してしまい、物凄く居たたまれないまま、虚しさと恥じらいを誤魔化すように出発を促した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る