第30話 巴江世那Ⅳ

「にゃはは、誰から涼ちゃんの仲間になってくれるのか楽しみだ!」


「ぬあぁぁぁぁぁぁーーーーッ!?」


 心臓を鷲掴みにされたような恐怖感で顔の筋肉を強張らせると、好戦的な瞳の涼から貰った黒棘の贈り物を飛び退いて避ける雪葉。先程の初手を思い返した限り、服を犠牲にすれば雪葉みたく汚染されずに済む。しかし、足下から規則性なく飛び出してくるうえ、殺傷能力が高く心を穢される鋭利な棘は中々にやっかいだ。

 雪葉の足下にだけ連続で咲く鋭い花から、悲鳴を上げながら涙目で逃げ回っていたが、何故か狙い撃ちされる焦燥と疲弊によって、足が縺れてすっころび顔から床に突っ込む。強かに打ち付けた鼻を手で抑えるも、顔の真横に失明を狙う勢いで黒い棘が芽を出し、気合いの雄叫びと共に屋上を転がって避ける羽目になった。

 ただの一般的な男子高校生である雪葉にいつまでも続けられる自信などない。服の汚れも気にせず転がっていたものの、遂に地面から飛び出した黒い棘の先端が太股に当たった。同時、奈津をテントに避難させ終えた世那が駆け寄ってきて、額に脂汗を滲ませて太股に走る激痛と気持ち悪さで苦しむ雪葉の頭に壺を被せる。


「雪葉君、霊力卵は幾つ残っていますか?」


「さ、サンキュー。卵は頻繁に使っちまってるから、あと五個しかねぇ」


 壺により浄化されて背筋を汗で濡らすほどの嘔吐感から解放され、雪葉は四つん這いで身体を落ち着かせつつ謝礼と質問の回答をした。掠っただけでも顔を歪めて崩れ落ちるほどの苦痛を与えられ、切っ先に軽く当たってしまうと気絶しそうなほどの悪心に襲われる。壺で助けてもらえるとはいえ、もう二度と刺されるのはご免だ。


「その貴重な霊力卵を四つほど犠牲にして、僕の足りない霊力分を補ってくれませんか」


「ああ、俺が使うよりも有意義だろうし、好きなだけ持って行ってくれ」


「すみません、ありがとうございます」


 吐きそうなぐらいムカムカしていた胸を何とか平時まで回復し、世那に丸くなった背中を撫でてもらいながら使用を許可する雪葉。常に謙虚な姿勢を崩さない世那が軽く会釈した刹那、壺を狙って二人の間から黒い棘が勢いよく生えた。雪葉は壺を被ったまま故、大丈夫だろうと、咄嗟に出した腕の皮膚を掻っ攫わせる。

 そして、パーカーの袖が赤黒く染まるのも気にせず、歯を食いしばって痛みも無視し、雪葉の行動に目を大きく見開く世那を横抱きしてテントに飛び込んだ。中で横になり休んでいた奈津が、慌てて出しっ放しだった救急セットを漁る。雪葉の頭から壺を取り治療を手伝った後、世那がポーチから四本の杭を取り出した。


「この杭のうち二本を屋上の隅に刺して下さい。広範囲の封印道具なので刺した瞬間、かなり霊力を失うことになります。霊力卵なら一本二個ずつです。本当にお手伝いをお願いしても大丈夫ですか?」


「問題ねぇよ。いざとなったら、自分の魂で何とかすりゃあいいんだ。頼ってくれ」


「ぼ、僕にも! 僕にもその作業を手伝わせてほしいッス!」


 正直、痛みと吐き気で今すぐ気絶したいところだが、世那のお願いを嫌な顔一つせず受け入れた雪葉に続き、弾かれたように飛び起きた奈津も封印役に立候補する。非現実的な攻撃を受けて出血と痛みを味わったうえ、悪霊の邪気で苦しい目にも遭ったにも関わらず曇なき眼だ。瞳の置くには涼を救出したい一心だけを燃やしている。


「黒猫先輩を取り戻す工程を安全な場所から見ているだけなんて嫌ッス! お願いします、やらせてほしいッス!」


 「安全地帯から出て屋上を走り回ることになるんだ、危険だからやめとけ」と、雪葉が言おうとしているのを視線で察したのか先手を打って決意表明をする奈津。告白までした慕わしい相手が悪霊に取り憑かれているのに、一人だけテントの中で待っているのは嫌なのだろう。雪葉だって世那が同じ目に遭っていたら同様だ。


「お前の気持ちはよーく分かる。それはもう痛いほど分かる。つーことで、この杭は綱田に任せたぞ」


「はいッス!」


 というわけで、世那から預かっていた杭一本と霊力卵二つを渡す。ぱあっと顔を太陽のように輝かせてやる気を漲らせた奈津に、世那が作戦の最終確認をしてから三人で一斉に外へと飛び出した。各々、自分の配置場所に向けて散り散りに走って行くと、テントから放たれた得物に肉食獣みたく目を爛々とさせた涼が攻撃する。


「おっ、やっと出てきたな? 作戦会議をしていたみたいだが、ただの人間三人如きが涼ちゃんの攻撃を避けながら、そんな成功できるわけないだろ!」


「うあああっ!」


「ぐっ、いってぇ!」


「あうっ」


 まるで針鼠の背中を彷彿とさせるぐらい今までの非ではない量の棘を生やされ、

奈津と雪葉の太股を服ごと切り裂いて新たな傷を与えた。世那は飛び退いて回避に成功したものの、ギリギリだった所為か着地に失敗して盛大に身体を打ち付ける。

 軽度の脱水症状に陥った時みたいな気持ち悪さに襲われ、真っ暗になった視界がぐにゃりと歪んだ。雪葉は頭を抑えてグルグル回る視界を何とか戻し、勝ち誇った表情で愉快そうに口角を上げる悪霊を睨めつける。そして、一か八かの賭けに出た。


「結衣、世那から杭を預かってきてくれ。俺が代わりに刺す」


『……分かった』


 悪霊の妨害を回避しつつ杭を刺すなど、雪葉と奈津にとっては無理難題に等しい。戦闘慣れした誰かが攻撃を阻害しておき、その隙に杭役の二人で杭を担当すべきだ。そんな考えを理解してくれたのか、張り詰めた表情をしつつも頷いた結衣が、世那から杭を回収してくる。それを受け取ったのを見た世那が、ガバッと起き上がった。


「駄目ですよ、雪葉君! 霊力卵が足りないでしょう!?」


「このままだと、誰も杭を刺せねぇだろ。俺と綱田で担当するから、世那は涼を足止めしておいてくれ!」


「悪霊の足止めなんて危険な仕事、世那に任せるわけねぇだろ。私がやる」


 沈痛な面持ちで叫喚したのも束の間、世那の顔が涼やかな色に変わり、右手に召喚した大鎌を肩に担いで雪葉を睨む。世良に入れ替わったんだと察した刹那、戦闘慣れした幼馴染の副人格は涼に突進し、また苦しむことになるのに躊躇なく大鎌を横に薙ぎ払った。一瞬で距離を詰められて面食らった涼が、焦った表情で刃を避ける。

 そして、高まった緊張感により強張った顔で黒棘を足下から生やすも、世良に畑を耕すみたく上から下に振り下ろされた大鎌が瞬時に雲散霧消。更に地面を蹴って一歩で近付いた世良の膝蹴りを鳩尾に諸に受けている。涼の身体だからか、一応、手加減しているだろうが、容赦ない攻撃に悪霊から先程までの余裕が消え去っていた。


 微かに顔を引き攣らせて二人の攻防に釘付けになっていた雪葉は、ハッと我に返って杭を両手で抱えたまま真っ直ぐ角に全力疾走する。それによって、唖然としていた奈津も仕事を思い出し、目標の場所に駆け出した。杭役を視界の端に捉えたらしき悪霊が妨害しようとするも、襟首を掴んだ世良に身体をフェンスへと叩きつけられる。

 一本だけの奈津と違って杭を三本刺さなければならない為、全速力で右端に辿り着いた後、同じ速度で左端に向かう雪葉。悲鳴を上げて走るのをやめろと訴える肺も、少しぐらい休ませろと痛みで抗議する両足も無視し、乱れる呼吸で無理やり空気を取り込みながら左端に滑り込んで杭を突き刺す。両膝と両手を地面について肺にたっぷりと息を蓄え、「よしっ」と気合いを入れて最後の角に全ての力を振り絞って走る。


「さっさと涼から出て行きやがれぇぇぇぇぇぇぇ!」


「やめろ!」


 漲らせた怒りを糧に限界の身体を無理に動かし、悪霊の切羽詰まった声に構わず残った杭を刺した。途端、霊力卵を消費しきっていた為、魂を持って行かれた雪葉の身体が脱力する。急いで近くに来た結衣が分担してくれたのか、ぎりぎり意識を保つことに成功しているが、指一本も動かせず地面にうつ伏せで倒れた。

 それと同時に、淡い光を帯びた四隅の杭から真っ白な鎖が大量に伸び、世良に押さえつけられて必死に暴れる涼の身体をどんどん拘束していく。押し倒して馬乗りになっている世良には一切触れない故、悪霊にだけ反応する鎖なのだろう。耳を劈く喉が張り裂けんばかりの絶叫の後、鎖の消失と共に涼の意識が飛んだ。


「サンキュー、世良。正直、来てくれて助かった。世那ままだと説得に時間がかかっただろうけど、世良なら絶対にあの役目を俺に任せてくれるからな」


「当然だ、私がお前の心配なんてするわけねぇだろ」


「安心安定の即答だった」


 大鎌を異空間に戻して涼の上から退いた世良に、掠れきった声を喉から絞り出して謝礼を送る雪葉。鎖と光を失った杭がすっかり倒れており、封印を終えたのだと察せる。故に、勝利を分かち合いたかったのだが、相変わらず冷たい淡黄檗の瞳で肯定されたうえ、ゆっくりと目を閉じて早々に世那に替わられた。

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