第28話 綱田奈津Ⅱ

「お、おおっ? ドーナツに捕まったら、つなにゃんが増殖したぞ!?」


「何だその新しい能力!?」


 咄嗟に壁を伝って軍団に飛び込んだ世良に救出された涼の驚嘆に、霊力卵を犠牲に道具を使って戦っていた雪葉も驚いて視線を向ける。目ん玉が飛び出しそうなほど吃驚する涼の言う通り、ドーナツ軍団の中央に奉られた神様みたく十人の奈津が居た。舌を打って大鎌での攻撃を中断した世良が、涼と雪葉の疑点を雲散霧消させる。


「白石杏子の時と同じだな。どういうわけか、異界を創るのに利用された悪霊が、呪いを行使した人間を増やせるほど強くなってやがる」


『異界を創る際、力を奪われることはあっても、増えることはなかった。誰かが意図的に悪霊に力を貸しているんだ』


「何だか真面目な顔で難しい話をしているけど、涼ちゃんが聞いちゃっても大丈夫なんだな!? 命を消されるなんて嫌だぞ!?」


 真面目な面持ちの結衣の補足まで耳に入れた涼が、余裕を失ってまごまごしながら的確な質問を問うた。確かに露見してしまうと不味いことかもしれないが、此処から脱出した暁には世那によって記憶を消去される。つまり、涼と奈津にどれほど情報を知られようと、特に問題はないということだ。雪葉は敵を去なし、問題なしと叫ぶ。


「大丈夫だ、消されるのは記憶だけだから!」


「それはそれで怖いんだが!?」


「今はそんな話をしてる場合じゃねぇ。今回は確実に本物が紛れてるんだ、探して引き剥がさねぇと一緒に浄化されちまうぞ」


「はにゃっ!? そ、そんなのどうやってやるんだい?」


 逆にますます慄然として気がおかしくなりそうになっている涼が、世良に更なる追い打ちをかけられてあわあわと目をグルグルさせた。今回、初めて呪われ異界に引き摺り込まれたうえ、大量の好物に襲われた挙げ句、後輩が増えたのだ。それに加えて本物の奈津を見分ける大役まで任されて、混乱するのは当然のことだろう。

 だが、学年が違う雪葉も初対面である世良と結衣も、偽物と本物を見分けられるほど奈津のことを知らない。故に、周章狼狽の真っ只中であろうとも、この場で奈津を助けられるのは涼だけなのである。結衣の力を乱発すると自分自身もドーナツになる為、本棚を利用して隠れていた雪葉は、走って敵を撒きつつ涼を説得した。


「大変かもしれないけど、このメンバーで綱田を一番よく知ってるのは涼だろ。悪霊に何とかして本物だと見分けられる行動をさせるから見分けてやってくれ」


「色々なことが同時に起きて精一杯だぞ? 本当に涼ちゃんに任せちゃっていいのか?」


「大丈夫だ、自分と綱田の絆を信じろ」


 不安の色を含ませた瞳を揺らし困っていた涼が、雪葉の強くハッキリとした口調により自信を持つ。奈津に化けた悪霊を斬ってしまうと使えなくなる為、大鎌の動きを制限されて苛立っていた世良も近くに着地し、得物の刃を鈍く光らせて敵に向けた。


「決まりだな。おい、ドーナツと悪霊共、私の大鎌に触れた奴は強制的に浄化させる。攻撃されたくなけりゃ、私達を襲うのは中断して従え。本物だと主張しろ」


 先程も述べた通り、世良の大鎌は悪霊を斬ると使用不可になる。しかし、世良に無双を許していたドーナツ軍団と十人の奈津に、そんな秘匿情報を知り得る術などない。次々と眼前で雲散霧消していく仲間達を見せられ、完全に異父に似た感情に打たれて怯えていた。十人の奈津が青白い顔でコクコクと何度も首を縦に振っている。


『さっきまで世良が片っ端からドーナツを消してたから言うことを聞いてる』


「ハッタリに騙されて怯えるなんて、悪霊の威厳が台無しだな」


「にゃはは、目の前で仲間をどんどん消されたんだ。そりゃあ、敵からすればせらにゃんが怖いだろうな」


 ポソッと呟いた結衣を真ん中に挟んで顔を寄せた雪葉と涼は、異界の緊迫感や怖さを灰燼に帰す光景に小声で言葉を交わした。その間も大鎌をこれ見よがしに回転させつつ、世良が威圧的な命令で隊列を組ませたドーナツの前に十人の奈津を並べる。本物一人以外、他の奈津は悪霊だろうに、今までの脅威感を全く感じさせない。


「おい、何をさせれば見分けられる? お前が指示を出せ」


「うーん、そうだなぁ。だったら一人ずつ、涼ちゃんを抱き締めてくれないか?」


 恐怖心や危機感を味わいたくないが、震えさせる存在であってほしい気もして、雪葉が複雑な感情の波に溺れる中。世良により奈津の前へと押し出された涼は、愛嬌のある笑みを湛えて申し訳なさそうに両腕を広げる。ありったけの薔薇みたいな眩しい笑顔に、本人を完全に模倣しているらしい悪霊含め全ての奈津が顔を色づかせた。


「ふむふむ、なるほど。にゃはは、有難う。次のつなにゃん、どうぞ」


 太陽のように温かく優しい満面を綻ばせた涼に、世良から植え付けられた戦々恐々を緩和されたか、おずおずと彼女の両腕の中へと奈津達が飛び込む。一人ずつ本物に接するみたく慈悲深い態度で対応し、ニッコリ破顔して礼まで告げつつ、本物の後輩を見分ける為の作業を続けていた。

 順調に進んでいるかと思えば、九人目の奈津が離れた後、数秒経っても最後の一人を抱き締められずに居る。十人目となる奈津は困り顔で焦っており、緊張と戦慄を宿した空色の双眸を彷徨わせていた。その反応に目を丸くしていた涼だったが、花が咲き綻ぶようにふんわりと微笑んだ。


「最後のつなにゃん、君が本物だな?」


「……――――えっ!?」


「つなにゃんは告白してくれた日に二つ誓ってくれたのだよ。一つ目は学年一位になったらお付き合いをする、二つ目は……つなにゃんが涼ちゃんに触れてくれるのは、お付き合いが成立してからだ。ちなみに、涼ちゃんから触れるのは問題なしだぞ」


 顎が外れたように口をあんぐりと開けて耳を疑う奈津と、思いがけない展開に意表を突かれて驚く残りの九人の彼に、涼が勝ち誇った表情で口元に弧を浮かべてウインクをする。直後、開いた口が塞がらない状態になっていた奈津の顔が、溢れ出る歓喜と期待を滲ませ緩んでいった。引き締めようとしているが、ニヤニヤが漏れている。


「つまり、今まで何の躊躇もなく言うことを聞いた君達は、本物のつなにゃんではないということさ!」


「く、黒猫先輩!」


「命の危険があるにも関わらず、涼ちゃんとの約束を守ってくれて有難う」


 身も心も震える喜びで高揚感に包まれた奈津の身体に飛びつき、感激する一途な後輩と額を小突き合わせて愛おしそうに微笑む涼。耳どころか首筋まで恥じらいの色で染め、空色の頭頂部から湯気を噴きそうなほど顔を紅潮させ、奈津が気息奄々な状態で石像のように全身を硬直させている。二人の周囲だけ甘い嵐が吹き荒れていた。


「何だこれ、惚気か?」


「時間を無駄にしたな」


『ノロケって何?』


 空気に当てられて僅かに頬を赤らめつつ肩身の狭い思いをする雪葉の横で、世良がつまらなさそうに阿呆を見るようなジトッとした白けた目を突き刺す。見た目の幼さ通り難しい言葉を知らないらしい結衣に、純真無垢な眼差しで問いかけられたものの、親心を持ち始めてしまったのか何となく教えたくない気持ちになった。雪葉が誤魔化そうと口ごもりながら、居たたまれなさに包まれて黒い双眸を左右に泳がせる。

 刹那、見破られた九人の奈津が二人を引き裂こうと、黒い靄を身体中から溢して一斉に襲いかかった。どうやら涼の推測は間違っていなかったらしい。瞬発力を発揮して床を蹴り跳躍した世良は、空中で一回転して悪霊の群れを跳び越える。そして、慌てる涼と奈津の前に着地した後、二人を難なく両脇に抱えて後方に大きく後退した。


 顔面から強かに床へと落ちて怒髪衝天になった悪霊軍団が、涼と奈津を背の後ろに下ろした世良にターゲットを変更する。本棚と守るべき人間により後退できない彼女を九人で取り囲むと、そのうち二人が獲物に飛びつく獰猛な肉食獣みたく飛びかかった。世良の大鎌は悪霊と戦えない。雪葉は心慌意乱になりながらも、咄嗟に自分用のポーチから悪霊を祓うハリセンを取り出して、衝動的に世良の方へと走った。

 手元に残っている霊力卵の数は五個。悪霊軍団の数よりも少ないが、結衣の力を借りれば魂で補えるはずだ。世良を守りたい一心でハリセンを振り被った刹那、片方の悪霊が雪葉の真横を鉄砲のような速さで飛んでいった。もう片方の悪霊も世良の右隣に居た仲間を巻き込み、図書室の端まで吹っ飛び壁に激突している。振り下ろす前の状態で硬直した雪葉の視界に、右足を右側に真っ直ぐ伸ばした世良が映った。


 膝丈のプリーツスカートなのを気にせず、敵を蹴った後の体勢を維持していた世良に、更に怒りを漲らせた残りの悪霊が突撃する。残数は六。多対一故、悪霊優勢になるはずだが、世良にそんなもの通じず正面の悪霊の顎に跳び膝蹴りが入った。世良は浮いた身を右回りで旋回させ、強制的に天を仰ぎ見せられた悪霊を、図書室の壁際まで力いっぱい蹴り飛ばす。そのまま、近くの悪霊の頭に手を突いて、重力に従い下りてきた両足の裏を背中に当て強く押した。

 足で強かに押し出された悪霊が近くに居た悪霊の上に倒れ、三人の偽奈津により小さな悪霊の山を築く。突然、押されて仲間を巻き込んだ悪霊の背中に容赦なく足を乗せ、世良は次々と仲間を倒される光景に固まっていた最後の一人の胸倉を掴み、左回りで方向転換をした後、図書室の受付に向かって全力で投げる。派手な轟音を立てて落ちていった次の瞬間、抜けた魂みたく出た黒い靄が尻尾を巻いて逃げ去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る