第26話 黒猫涼
「…………頻度がえぐいな」
終業式と修行を終えて一週間後、黒猫商店街で行われる春祭りの準備中、近くの公園で休憩していた雪葉は疲弊を濃く滲ませた顔を伏せて嘆息した。コンビニで購入した大好物の肉まんに集中できず、ここ最近、毎日行っている異界の光景を脳内でループさせる。何故か終業式の後から、呪いの使用頻度が異常なほど増えたのだ。
「僕はお仕事なので行かなければいけませんが、雪葉くんは無理に付き合う必要はないんですよ」
「いや、世那が行くなら俺も行く。ただ、呪いの発動が頻繁すぎて、ちょっと寝不足で怠いだけだ」
右隣に腰掛け肉まんを食べていた世那が心配そうに気遣ってくれるが、雪葉の中に幼馴染を一人で異界に行かせるなんて選択肢など存在しない。世那と世良が行くというのであれば、地獄だろうが業火の中だろうが着いて行く所存だ。睡眠不足で下りそうな瞼をこじ開け、初志貫徹の為に改めて誓いを固める。
ちなみに、雪葉も世那と同じポーチを貰った為、霊力卵さえあれば以前よりも戦えるようになった。ただし、毎月送ってもらえる霊力卵の数は十個。前までの頻度であれば一ヶ月を十個で乗り切れただろうが、ほぼ毎日のように異界に行くことになると足りなさすぎる。
興味津々にコンビニフードを見ている結衣に、咲を霊体にした団子を入れて肉まんを差し出し、世那が黒いプリーツスカートのポケットからメモ帳を出した。春期休暇故、真剣な眼差しで捲る彼女は、上半身も制服ではなくベージュのシャツブラウスだ。雪葉もワインレッドのパーカに黒色のジーパンである。
「昼間、学校で調査をした結果、噂の内容が少し変わっていました。恐らく、それによって成功率が上昇しているのでしょう」
「内容が?」
「はい。以前までの方法は、強い憎悪と長い時間を必要としましたが、何故か妬みや怒りをぶつけて相手の好物を食べるだけで成功するよう、校内に蔓延る噂の内容だけでなく実際の呪い方すら変更されています」
団子により肉まんを食べられるようになった結衣の、キラキラと輝く瑠璃色の瞳を見ていた雪葉が首を傾げると、神妙な顔つきで頷いた世那にメモ帳を見せてもらった。以前までの内容は、『呪いたい相手の好きな食べ物を一日持ち歩き、魂と馴染ませて相手への憎しみを強く込める。規定値を超えた憎悪をその食べ物に送れば、対象は好物を食べた途端、異界に引き摺り込まれる』というものだ。
しかし、教科書に印字されている文字みたいな綺麗な字で綴られた内容は、『呪いたい相手への愚痴や嫉妬心を吐露して、その人の大好物を食べるだけ。そうすれば、相手が好物を食べていなくても、異界に引き摺り込める』に変わっている。あまりにも簡略化されていて、雪葉は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「ヤバいな、これ。呪いたいわけじゃなくても、喧嘩したり少し嫉妬しただけで、大切な人を呪ってしまう可能性もあるじゃねぇか」
「そうですね、早急に何とかしなければ不味いです」
ゾッとする状況に顔を引き攣らせた雪葉の言葉に首肯し、世那が苦い良薬を眼前にしたみたく刻んだ眉間の皺を揉む。黒幕の尻尾を全く掴めないまま悪化した噂と、それによって救出回数が増加したことでかなり参っていた。雪葉と結衣が顔を見合わせて心配を共有すると、しんみりとした空気を打破する元気な声を聴覚で捉える。
「おや、そこに居るのははすにゃんとともにゃんだな? お祭りの準備をサボって二人で過ごすとはやるじゃないか」
雪葉達と同じく商店街に実家を持つ
「サボりじゃなくて休憩中だ。そういう涼こそ祭りの準備はしなくていいのか?」
「にゃっはっは、涼ちゃんは仕入担当なのだよ。ほら、袋の中もちゃんとドーナツの材料だろ?」
雪葉が冷めた肉まんを囓ってから半眼を刺すと、両手に持った大型スーパーの手提げ袋を掲げて、得意満面な面持ちを悪戯っぽく綻ばせる涼。世那と揃って袋の中を見せてもらい、負けを認めた雪葉が肉まんを差し出すと、食べかけなど気にせず一口食む。商店街の人達とは基本的に幼い頃から知り合い故、今更、気になんてならない。
特に涼は同い年なのだ。年上や年下の人達より、断然に話しやすいうえ話題も合う。小さい頃も世那の次によく遊んでいた。そんな涼は肉まんをご満悦な様子で嚥下すると、袋を地面に置いて鞄に手を突っ込み白ブドウのジュースをくれた。有難く受け取った雪葉の左隣に腰を下ろして、晴天の青空を眺めながら儚げな微笑を浮かべた。
「それにしても、二人が話していた呪いの噂、凄いことになってるな。涼ちゃんもドーナツなんて大人気な食べ物が好物だから、うっかり呪われたりしないか不安だよ」
「俺も肉まんだから危ないかもな」
「僕は焼き魚が好きです」
「ただでさえ好物なんて人気なものが多いのに、挙げ句、呪いの方法が簡略化するときたもんだ。もう今は誰が呪われてもおかしくないぞ」
平常を保っているが苗色の瞳に微かな不安を宿した涼から呪いの話題を出され、どこまで聞かれたのか胸中で焦りつつも誤魔化すように取り繕って合わせる雪葉。肉まんを食べ終えて包装紙を丸めていた世那も冷静沈着に話に乗ると、涼が困ったように眉尻を下げて弱々しく切ない笑みを湛えた。
前と違って少しの負の感情で呪いが発動する。そして、雪葉以外、世那と世良に助けてもらえることを知らない。きっと噂を知っている全ての人達が、涼と同じく不安を心に抱えているのだろう。珍しく憂いを帯びた涼を元気付けたくて、雪葉は自身の脳にインプットされた適切な慰め方を探る。
その時、今まで視界に映っていたはずの涼が、まるで最初から居なくなったみたく姿を消した。目の前で起こったことをすぐに理解出来ず、雪葉の頭が凍り付いたように真っ白になる。得体の知れない畏怖に似た感情と焦燥に打たれ、悪寒が背中を駆け抜けて血の気を一気に引かせた。
異界に引き摺り込まれたのだと、頭で分かっているはずなのに、言葉に出来ない恐怖が胸を焦がす。何度も世那と共に異界に行って、悪霊と戦っている雪葉ですらこれだ。知識も経験も持たない人達の、大切な人が忽然と姿を消した際の絶望感など、計り知れないほど大きいのだろう。
「雪葉君、大丈夫ですか? 精神的負担が酷いようでしたら、無理せずご自宅に帰って休んで下さいね。僕は涼さんを助けに行ってきます」
「大、丈夫。呪いで人が消えた瞬間を初めて見て、ちょっと吃驚しただけだ。俺も涼を助けに行く」
人目に付かない場所に移動するのか腰を上げた世那の手を掴み、まだほんの少しだけ青ざめたままの顔で同行の意志を告げる雪葉。気遣いを色濃く滲ませた表情の世那を真っ直ぐ見つめ、意志を曲げるつもりなどないと目力で訴えると、世那が淡黄檗の瞳を閉じる。数秒後、瞼を上げた幼馴染は、心配など欠片もない冷たい色だった。
どうして異界に行く前から世良と入れ替わったんだ? そう問いかける前に雪葉の身体が持ち上がり、無言で横抱きして屋根を走る世良により巴江家に連行される。高所恐怖症ではないものの、屋根の上を走るなど普通に恐怖心を煽られ、雪葉は商店街の人々に露見しないよう、必死に溢れそうな悲鳴を堪えつつ世良にしがみついた。
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