第25話 巴江世良Ⅳ

 霊力を自然回復したことで目を開いた世良から、きっちりと鳩尾に回し蹴りを何発か受け取った後、まだ疲弊気味の彼女を背負って奥に突き進む雪葉。霊力石が埋め込まれた洞窟内を真っ直ぐ走り抜けると、神秘的で風光明媚な場所に迎えられた。補足だが、見るも無惨な姿にされた制服は、今回もきちんと元通りになっている。


「世良、洞窟の一番奥に着いたぞ! 此処が、封印の間か?」


『雪葉、世良の意識がない』


「嘘だろ!? おい、しっかりしろ!」


 切羽詰まった問いかけるも返ってきたのは結衣の不安そうな声で、慌てて気絶した世良をそっと地面に下ろし脱力した身体を揺らした。端正な寝顔を披露してうんともすんとも言わなかった世良が、鬱陶しそうに眉根を寄せて寝起きの掠れた声を出す。


「……――うるせぇ、耳元で騒ぐな。もう一回、蹴るぞ」


「世良、大丈夫か!? 既に悪霊を浄化する為に消費してるのに、俺がギリギリまで霊力を吸っちまったから……ッ」


「霊力は全部なくなっても死なねぇよ。それに、ほっとけば自然に全回復する」


「そ、そうか」


 轍鮒の急を告げるみたく叫んで安否を確かめた雪葉は、世良に弱々しい張り手で頬を叩かれて緊張の糸を緩めた。よろよろと危うげに立ち上がった世良が、封印の間の中央に広がる澄んだ泉に進む。雪葉と結衣も急いで後を追い掛けると、大鎌を召喚し泉に刃先を向けて縦に振った。瞬間、凪いだ水面が神々しく輝き、洞窟内を照らす。

 透き通っていた水が真っ白に濁り、ブクブクと無数の気泡を浮かべ始めた。グツグツと煮立った鍋の湯みたいな水面を熟視していた雪葉は、世那のような優しい注釈を求めて世良の方にチラリと視線を向ける。残念ながら、世良は口を閉ざしたままだ。泉から放たれる光が収束した後、大鎌を戻し、冷たい色を宿した表情で言葉を紡ぐ。


「もう帰っていいか? 世那の時間を奪ってまで、お前と同じ空間に居たくない」


「――なぁ、俺の何が気に入らないのか、いっそハッキリ言ってくれよ。頑張って直す努力をしてみるからさ」


 ようやく喋ってくれたと思ったら拒絶を受け、雪葉は傷心で泣きそうな顔を手で隠し項垂れた。初めて会ってから一秒も経たず嫌われ、思い当たる節など全くもってない為、精神的苦痛だろうと聞いた方が改善も早いはずだ。

 しかし、いつまでも世良から望む回答を貰えず、「まさか、もう帰ったか?」と恐る恐る目線を移す。面食らって淡黄檗の瞳を瞬く世良の腰に、結衣がくっついていた彼女の腹部に顔を押しつけたまま、ボソッと本音を溢す。


『まだ世良のままで居てほしい』


「……洞窟を出るまでだからな」


「おい、無視すんな。教えてくれよ、頼むから」


 虚を突かれてきょとんとした世良は、小さく溜息を吐き仄かに相好を崩した。が、半眼で縋る雪葉を視界に入れた途端、僅かにはにかんだ笑顔が仏頂面に戻る。言いたくないなら聞き出す必要はないかと、雪葉は少し黒い瞳を潤ませて肩を落とし諦めた。それに、生理的に無理なんて言われた暁には、ショックのあまり寝込みそうだ。


「そういや結局、あんまり強くなれた気はしないな」


「お前は霊力がないからな。避ける訓練と道具の使い方の練習を中心にしたんだろ」


 気を取り直して天を仰ぎ見ながら鍛錬のことを思い返すと、世良が結衣を引っ付けたまま明かし外に向かって足を進める。結局、生まれつき霊力もズバ抜けた運動能力も持っていない雪葉じゃ、試練の道で修行をしても大して強くなれないらしい。道具の使い方や敵の避け方を少し練習できただけでも良しとするべきだろうか。

 割と大きな期待を持って挑んだだけあって、一気に陰々滅々とした気分まで沈んでしまい、背中を丸めて世良と結衣の後ろを追い掛ける雪葉。封印の間から出て細い道を抜けた先、第三試練を受けた試験会場に、三人の式神が勢揃いしていた。どこから持ってきたのか、ローテーブルとソファーを用意してお茶を楽しんでいる。


「……何やってんだ?」


「世良の言う通りじゃ、儂等がお主に課せる修行なぞほとんどない。では何故、世那から話を受けた際、了承したのか。それは、お主に世那と世良を任せられるかどうか、儂等の肉眼でじっくり確認しておきたかったからじゃ」


「聞いてたのか。あと、今は傷心中だから無視しないでくれ」


 楓梅が粘りつくような双眸を突き刺した雪葉の質問に答えず、白無地の縁に金色を散りばめたソーサーとカップを持ち上げた。精神的に打ちのめされて胸を両手で押さえていた雪葉は、新しい紅茶茶碗と受け皿を用意した楓李の手招きに応える。濃い赤褐色の液体を満たしたカップと盆を雪葉に渡し、楓李が満足気に頬を緩めた。


「君は常に世那と世良を気遣っていたね。故に、合格祝いとして、私から餞別を渡そう」


「おお、サンキュー。ちょうど、喉が渇いてたんだ」


「あたしと楓梅からの餞別は霊力卵よ。貴方の家に一パック十個入りの霊力卵を、これから毎月二パック定期便で届けるわ」


 楓李の試験以外、色々な意味でほとんど騒いでいた為、雪葉がカラカラに渇いた喉に美味しい紅茶を流し込むと、カップを唇から離した刹那、楓華にクッキーを挟まれる。霊力卵を毎月十個も手に入れられるお得な情報に、喜色満面な笑顔を咲かせて弾んだ声で反応したいところだが、挟まれたクッキーによって阻害されてしまった。

 上上唇と下唇の間にねじ込まれたクッキーを口内に送れば、バターとココアの風味が口いっぱいに広がり噛むたびにサクサクと音を立てる。咀嚼しながら机上へと顔を向けた雪葉の瞳に、バター生地とココア生地で作られた市松模様のクッキーが映った。最後までじっくり味わってから嚥下した後、雪葉は楓梅に首を傾けて尋ねる。


「いいのか? すっげぇ助かるけど……」


「構わぬ。しかし、劣化版といえど霊力卵も未だ現役じゃ。早々に使い果たしたとて、追加で送ってやることは出来ぬ。無駄遣いせぬよう厳重に注意するんじゃぞ」


「おう!」


 結衣を引っ付けていて手を使えない世良に、楽しそうに餌付けしていた楓梅の肯定を聞き、雪葉の期待に満ちた面持ちがぱあっと輝いた。便利道具の継続的な供給権利を手に入れ、雪葉は愉悦に浸る。が、仄かに面映ゆさを滲ませつつも、されるがままクッキーを食べている世良を見て、楓梅のポジションをやってみたい欲が芽生えた。

 察した楓華からクッキーを一枚貰った為、恐る恐る艶やかな唇に近付けると、嫌そうに眉間に皺を刻んだ世良がフイッと雪葉から顔を背ける。塩を振った青菜みたく悄然として顔を伏せた瞬間、雪葉の手にあったクッキーが雲散霧消した。勢いよく目線を上げた雪葉の希望溢れる双眸の先に、目を逸らしたまま咀嚼する世良を見つける。


 自分の手中にあるクッキーを食べてもらえたことに、欣喜雀躍したいほどの歓喜を胸中から溢れさせる雪葉。欣快に至り自然と緩んだ口元を隠さず舞い上がってしまい、結衣の股の間から飛んできた世良の足に膝を蹴られる。何度もゲシゲシと蹴られていると、桃花色の瞳をキラキラさせた楓華に顔を覗き込まれた。


「ちなみに、封印の間には歴代の悪霊を浄化した泉があるの! その水で魂を清めた元・悪霊は、あたし達のお手伝いをしてくれるのよ! 悪霊を百匹倒すまで出られない最終試練も、ついでに受けていってみない!?」


「悪霊じゃねぇのに道具でどうにかできるのか?」


「いや、最終試練で道具を使うことは許可できない。この竹刀と己の身体能力を用いて、たった一人だけで百匹の穢れなき幽霊を倒すんだよ。挑戦するかい?」


「結構です!!」


 興奮気味にグイグイ来る楓華から逃げるべく背中を逸らしつつ、少し湧き上がった好奇心に押されて疑点を提示した雪葉だったが、竹刀を持った楓李の揶揄うような回答を受けて腕でバツ印を作る。世那の便利道具を使うことができず、尚且つ、結衣も世那も世良も共に戦えないなど、一般の男子高校生にはとても荷が重い。

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