第24話 巴江楓華

 拷問かと思うほどの時間を乗り越え、第二試練を無事に合格した雪葉は、落ち着きを取り戻してから次に進んでいた。木の葉の渦でビリビリに破かれた制服は、どうやったのか全く不明だったが、楓李によって時を巻き戻したみたく元通りだ。普通に今後もこれを着て高校に通わなければならない為、ひとまず安心である。

 しかし、世那と幼い頃から共に過ごしていた故、他の同年代の男子より女の子に慣れていると思っていたが、やはり自惚れだったようだ。雪葉がハァと小さく溜息を吐いて、まだ少し熱い顔を手で扇いで冷ましていると、ふと周囲の光景が目に入る。洞窟の壁の至る所に霊力石が埋め込まれており、他の目的も思い出した。


「そういえば、霊力石は採取しなくて良いのか?」


「帰りに回収するので今は無視して大丈夫です」


 試練終了と同時に取り戻した声で疑点を尋ねると、久々に感じる世那の聞き慣れた声が鼓膜を震わせる。会話でコミュニケーションを取れることに、何となく安心感に包まれながら第三試練の会場に到着した。毛先を巻いた胸元まで伸びた桃花色の髪を揺らし、茶褐色の振り袖を着た幼女が嬉々として舞い降りてくる。


「あたしは巴江ともえ楓華ふうか、第三試練を担当する式神よ。待ちくたびれちゃったし、早速始めましょうか! 世那、世良と替わってくれる?」


「分かりました」


 どうやら次の試練では、世那ではなく世良と共に行うらしい。頷いた世那が淡黄檗の瞳を閉じると、数秒後、花が咲き綻ぶみたく徐に瞼を上げる。世良と入れ替わったのだろうが、以前よりも顔色が良くフラついていないように見える。悪霊の浄化を終えたのか? と、顔を覗き込んだ雪葉の鳩尾を殴った世良が、楓華を見上げた。


「何か用か?」


「悪霊の浄化もだいぶ進んで、以前よりは霊力の消費も平気でしょう? 今から貴女に術をかけたいの、いいかしら?」


「ああ、お前の好きにしてくれ」


 何をされるのか詳細を聞いていないのに、考える間もなく首肯して再び目を閉じた世良に、間髪入れず頷かれた楓華が面食らっている。楓華がチラッと困惑気味に雪葉に視線を向ける。雪葉は口を引き攣らせて静かに首を横に振った。同性に対して無防備なところ、危ないからいい加減に治してほしい。

 隙だらけっぷりを把握したらしい楓華は、「危なっかしい子ね」と呆れ顔でポツリと呟いた後、世良の前で生花を軽く振る。花粉を彷彿とさせる粉に包まれた世良が、一瞬だけ苦しそうに眉間に皺を刻んだかと思えば、ゆっくりと開いた双眸を雪葉の方に向けた。淡黄檗の瞳に何の感情も滲んでいない。


「うえあっ、世良!?」


 刹那、世良が徐に距離を詰めてきて焦茶色のブレザーの腰部分を掴み、戸惑う雪葉にとって嫌な音を立てながら容赦なく真ん中から引き裂いた。白シャツまで破られそうになり、雪葉は腹筋を使って身を起こすと、世良を振り落として何歩か後退する。


「あたしの試験は仲間が悪霊に取り憑かれた時の対処法を見るのが目的よ。催眠術によって貴方を世那の敵だと認識している世良を助けてあげなさい。あっ、あなたを傷つける事はないから安心してね。服を脱がされるだけよ!」


「世良に剥かれるとか今までで一番えげつねぇ!」


 何度も悲惨な目に遭わされたブレザーを見ていた雪葉だが、含みを孕んだ満面の笑みを湛えた楓華からの説明に絶叫した。その間に立ち上がった世良が一瞬で近付き、慣れた手つきで外したネクタイで雪葉の手首を縛る。そして、空中でクルリと一回転して雪葉を飛び越え、開いた口が塞がらない幼馴染を背中から地面に叩きつけた。


「ぐっ、マジで強すぎる。本当に悪霊の浄化で霊力を消費し続けてるのかよ!?」


『私の力でもっと霊力を吸えば、少しは動きを鈍らせられるかも』


「えっ、結衣の能力で吸収するのは魂だろ?」


 挙げ句、世良に跨がられて泣き言を漏らした雪葉は、珍しく冷や汗を垂らした真剣な結衣の提案に、希望の中に不安を織り交ぜた双眸を見張る。今までの試練と違って世良に服を狙われる為、躊躇している場合ではない。が、世良の魂を吸いたくない。

 しかし、正直、既に悪霊の浄化で霊力を消費している世良から、更にその力を奪うのも躊躇われてしまう。きっと苦しいだろう。そんな葛藤で悶々とする雪葉から、様子を見ながら歩いて近付いて来る世良に顔を向け、結衣が頭の中に語りかけてきた。


(世那と世良の場合、体内を守る霊力を全て奪わないと魂は吸えない。初めて敵対した時も、世那から取り込んだ力は魂ではなく霊力だった)


(……ちなみに、俺の身体に霊力が入ったらどうなる?)


(分からない。でも、霊力を持っていない雪葉が吸い過ぎると、強くなりすぎて耐えきれなかった魂が霊力と一緒に弾けるかも)


(やっぱり代償が怖すぎるんだよなぁ。まぁ、やるけど)


 結衣に倣って心の声でも聞こえるのを利用した雪葉は、憂いに満ちた面持ちをした守護霊の気遣うような声色で、ある程度、想定内だった回答を聞き苦笑を頬に含ませる。食べ物を吸収し過ぎれば食べ物になり、霊力を取り込み過ぎれば魂の破裂とは、なかなか思うように上手くいかないものだ。何も出来ないよりはマシだが。

 顔を引き攣らせて思案に暮れていた雪葉は、手を緩めることなく白シャツを裂いた世良に、覚悟を決めて縛られたまま手のひらを向ける。瞬間、フラリと傾いた世良の身体を慌てて受け止め、呼吸と脈を確認して愁眉を開いた。意識を失っているだけだ。雪葉は早速、状態異常を治す道具を願いながら、ポーチに手を入れる。


「……――――は? 何これ?」


 ポーチから助けに来てくれたのは、黒の入れ物に入った赤い口紅だった。人生で初めて見た化粧品に目を点にして、道具の使い方を模索する雪葉。口に塗るものだと分かっているものの、塗った後、どうすれば世良を救えるのか理解できない。顰めっ面で口紅を睨めつけていると、意識を取り戻したらしい世良にベルトを奪われた。


「は? ちょっ、世良の回復早くね!? 一回待って! これの使い方が全く分からねぇからハンデをくれ!」


「とっても面白そうだから教えてあげる。それを貴方の唇に塗った後、世良にキスマークを付ければいいのよ」


「そんなの許可なく付けたら、鳩尾に蹴りどころじゃ済まねぇよ!? てか、キスマークってどうやってつけんの!?」


『知らない』


 茶目っ気たっぷりにウインクをした楓華の弾んだ声に捲し立てた雪葉は、勢いよく振り返って何故か幼女の結衣にやり方を問いかけるほど混乱する。キスマーク自体を知らなさそうな結衣には、厭わしさを顕にして一刀両断された。それに悲観する間もなく、世良が押し倒してズボンを狙ってくる。


「世良ストップ、頼むから一回止まってくれ! キスマークのやり方を調べさせてください!」


『次、世良の霊力を吸ったら、そろそろ雪葉が危ないかも』


「ヤバいヤバい、いろんな意味でヤバい! ごめんな世良、ちょっと待っててくれ」


 焦燥に駆られながら、もう一度、手を向けて霊力を奪い、失神した世良を受け止め携帯を取り出して検索をする雪葉。更に焦りを増幅させる結衣の言葉に顔を真っ白にし、寄りかかっている世良を気にしつつキスマークについて調べる。


「わっかんねぇよ!? 彼女居ない歴イコール年齢の高校生を嘗めんなよ!」


『誰にキレてるの?』


「こうなったら、一か八かぶっつけ本番でやってやらぁ! どうせ失敗しようが成功しようが、鳩尾を凹まされるのは確定だしな、畜生!」


 鬱憤を爆発させてぶん投げた携帯をキャッチした結衣から呆れられつつ、緊迫感に全身を支配されながら自身の唇に口紅を塗って世良の手を取った。気を失った世良にゴクリと生唾を飲み、綺麗で滑らかな手の甲に唇でそっと触れる。心臓を跳ねさせつつ口を窄めて強く吸うと、銀世界みたく美しい手の甲に赤い花が咲いた。

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