第23話 巴江楓李

 ハートのクッションを取りに行って楓梅に返し、次の試練会場に赴いた雪葉達を出迎えたのは、濃紺の振り袖に身を包む柳色の瞳を持つ男児だった。またもや、年齢一桁ほどの子供の登場だ。式神というのは幼い子供しか作れないのだろうか? 式神の謎に関心を惹かれた雪葉に、少年が後ろで一つに纏めた柳色の髪を揺らして微笑む。


「私の名前は巴江ともえ楓李ふうり、第二試練を担当している式神だ」


 様々な色の葉吹雪の中、宙に浮いて足を組んで座り、楓梅と同様に洗練された美しさと気品を持っいていた。ふわふわと舞い踊る木の葉に囲まれた影響か、青空に飛び出してすぐに消えゆくシャボン玉の如く儚く見える。本当に眼前に存在しているのか、自分の目を疑ってしまいそうになった。

 高潔で清廉で清らかな雰囲気に気圧される雪葉に目を細め、楓李は周囲に浮かぶ一枚の葉を人差し指と中指の間に挟んだ。唇に持った葉を当てて小さく息を吸い、洞窟に響く美しい音色を奏でる。思わず聞き入っていた雪葉だったが、感嘆の声を漏らそうとした刹那、声が出ないことに気付いた。

 声帯を失うなどという初めての体験に瞠目し、焦燥に駆られた表情で幼馴染に助けを求めると、それに気付いた世那がポケットから携帯を取り出す。メモ機能を開いて素早く文字を打った後、雪葉に見せたことから、彼女も話せなくなっているのだと察した。画面には楓李の能力だと説明がある。


「第二試練は私の霊力を込めた宙を揺蕩う無数の木の葉を掴み、書かれた条件を二度満たせば合格だ。楓梅よりも簡単だろう? ただし、木の葉も捕まらないよう抵抗し、君の服を切り裂いて攻撃する故、気を付けたまえ」


(何でどいつもこいつも衣服狙い?)


「君を傷付けず鍛錬を行う為の配慮さ」


 演奏を終えた楓李が葉を口元から離して試練の説明をした挙げ句に、半眼を向けた雪葉の胸中でのツッコミにも揶揄うような口調で答えた。声帯を取り戻したのかと喉に手を当てて出そうとするも、相変わらず十七年も共に過ごしてきた声に再会できず、雪葉は怪訝な眼差しを送って心の中で疑問を問いかける。


(何で俺の心の声が伝わってんだ)


「私は自分の能力で声帯を奪った人々の心を読めるからね」


(まあ、いい。とにかく何か道具を使って、葉っぱを二枚ゲットするぞ)


 薄々、勘付いていた返答を貰ったことで、無理やり自分を納得させて気を取り直し、助言を出来なくなり不安げな世那から借りたポーチを開いた。先程みたく携帯を使う素振りを見せない為、今回、世那に道具の詳細を教わるのは禁止なのだろう。

 一人で何とかしなければならない状況になり、妙な緊張感に支配されながらポーチに手を入れた。現状を打破できる道具を求めた手に何か触れるも、それを引っ張り出すのに少し躊躇していた刹那、卵のパックを結衣が持った不思議そうに見てくる。


『楓梅から霊力卵も追加で貰ってるから魂の心配はない。早く何か出して』


(クッションを吹き飛ばしたからか、今度は十個じゃなくて五個だけどな)


『それは雪葉が悪い。むしろ、こんなに貰えたことに感謝するべき』


(ごもっともです。てか、何で結衣にまで心の声がバレてんの?)


『守護霊だからか貴方の声が伝わるだけ。普段は聞こえないから安心して』


 使いこなせるか微妙で躊躇っていたのだが、勘違いした結衣に励まされた雪葉は、鋭い指摘に縮こまりつつ心中ただ漏れなことを物申す。守護霊が魂と繋がっているのを実感させられる説明を受け、本当に普段の本音を聞かれていないか不安になった。

 変なことを考えるのをやめようと誓い、意を決してポーチから道具を取り出す。雪葉の為にポーチから登場した救世主は、中に薄透明の液体をたっぷり入れた霧吹きだった。霧吹きの使い方など一つだろう。試しに近くを舞う木の葉に吹きかけてみる。


 ひらひらと楽しそうに踊っていた葉っぱが、液体をかけられた途端に浮力を失い、風で散りゆく桜の花びらみたいに地面に落ちていった。霊や霊力を引き剥がす類いの道具らしい。一回吹きかけたからか、卵が一つ割れていた。

 雪葉は霧吹きを持ったまま、恐る恐る拾ってみる。触れても特に逃げない木の葉に、楓李の言っていた通り何か文字が書かれていた。それに目線を走らせた刹那、火が付いたようにボッと顔が熱くなり、焦りの色を濃くする。


(世那とロッカーに閉じ込められた状態で五分耐える!? な、何なんだよ! この条件!?)


「面白いだろう? 最近、第三試練を担当する式神が、夢中で読破中の漫画を参考にしたのだよ。これなら、君を傷付けることなく、条件を課すことができる」


(もっと別のものを参考にしてくれ!)


「掴んだ木の葉の条件は絶対、問答無用だ。ということで、えいっ」


 顔一面に満悦な感情を咲き渡らせた楓李に、燃え盛る炎みたく真っ赤な顔で反論する雪葉。距離感が狂っていても恥ずかしいことだってある。ギャーギャー騒いで抗議していた雪葉の眼前に移動した楓李が、パチンと指を鳴らして学校でよく見るロッカーを召喚してから、雪葉と世那の手を掴んでそこに押し込み、扉を閉めてしまった。

 勢いよく突っ込まれた所為で、壁に押しつけた世那の顔付近に両手を突き、大股に開いた世那の足の間に右足を差し込んだ状態になる。更に、想定以上に狭いロッカー内に二人も居る為、上半身が一寸の隙間もないほど密着していた。世那の頼りないほど華奢な体躯や、女性特有の柔らかさや温かさが、直に伝わって理性を削っている。

 眼下にある世那の淡黄檗の髪から、桜みたく甘い花の香りが漂ってきた。横抱きや抱擁をよくしているからと、世那とのスキンシップに慣れているなど自惚れだ。脳髄に直接叩き込まれる人肌の温もりや柔らかさ、ちょうど良い濃さの匂いにより心拍数がどんどん上がる。密着していて世那に伝わっていると思うと、ますます上昇した。


 目を白黒させて息苦しいぐらい鼓動を早めながら、真っ白になった頭で長すぎる五分間を過ごす。一心不乱に耐えていると、不意にロッカーが消えた。全身汗びっしょりだ。しかし、出してもらってホッとしたのも束の間、呼吸を休める暇もなく、何故か先程までと違って洞窟内の全ての木の葉に襲いかかられる。


(何で突然、めちゃくちゃ攻撃的になってるんだよ!?)


 仲間を攻撃されて堪忍袋の緒が切れたか、自由に泳いでいた木の葉が周囲で旋回した。葉っぱの渦に呑まれた雪葉の服だけが、肌を傷付けることなく切り裂かれる。さっきのぬいぐるみの比ではない勢いで破られ、雪葉は焦燥に駆られて血の気を引かせた。渦の中は強風で目も薄くしか開けていられず、霧吹きの狙いを定められない。

 適当に三度ほど吹きかけてみても、霊力卵を三個犠牲にしただけで避けられる。ブレザーのジャケットをノースリーブにされ、制服のズボンも小学生の少年が履いてそうな丈にされていた。このままだと、無言で気遣いの眼差しを送っている世那の前で、裸を晒すことになる。雪葉は無我夢中で制服に霧吹きの液を吹きかけてみた。


 予想通り、服を切ろうとしていた木の葉が数枚、渦から離れて地面にゆっくりと落ちていく。雪葉は急いで飛べなくなった葉を一枚掴み、制服を犠牲にする覚悟で渦を正面から突破した。中々に悲惨な格好になってしまっているが、何とか木の葉を目的の数、入手して胸を撫で下ろす。最初の条件を達したからか、木の葉も静まった。


(体温計を使わず世那の体温を計って報告せよ? 体温計なしでどうすればいいんだ? 手だと性格には分からないだろ)


『体温計以外の道具に頼るのはありだと思う』


 特に書かれた条件を見ずに掴んだ木の葉に目を落とし、訝しげに首を軽く横に倒した雪葉に、隣から覗いていた結衣が妙案を告げる。望みを胸中で考えつつポーチに手を入れ、体温計を使わずに条件を達成できる道具を取り出した。


(おお、また使い方がよく分からないものが出てきたな。冷却シートっぽい感じだし、額に貼って世那の額と合わせればいいのか?)


 見慣れた冷却シートの透明フィルムを剥がして自分の額に貼り、世那を手招きして木の葉の文字を見せる。納得を示した世那が前髪を上げてくれた為、冷却シート越しに己の額をくっつけた。数秒後、そろそろ良いかと離れようとしたが、世那に後頭部を軽く押されて拒否される。どうやら、まだ体温を計れていないらしい。

 至近距離でじっと見つめ合っていると、また心臓がドキドキと鼓動を早めて暴れ始める。世那の上目遣いなんて見慣れているのに、まだ上昇するのかと恐怖を覚えるほど、心拍数の増幅がとどまるところを知らない。時間がかかる道具らしく、森閑とした洞窟内で、結局、五分近く近距離で視線をかち合わせる羽目になった。

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