第22話 巴江楓梅
「そういえば、口調があさぎ先輩と同じなんだな」
「儂は世威様を真似ておるだけじゃ。あさぎなぞという人間は知らぬぞ?」
平静を取り戻した雪葉がふと気付いたことをポロッと溢すと、近隣住民といえ面識を持たないらしい楓梅に小首を傾けられた。試験管を勤める式神は、基本的に本家から出ないのだろうか。確かに、昔から巴江家と接点を持つ雪葉もこれが初対面だ。
「まあ良い。早速、試練を始めさせてもらおうかのう。第一の試練は、世那が弱体化した場合、お主はどのようにして目的を達成するかを見る試験じゃ」
不思議そうにしていた面持ちを冷静沈着な表情に戻し、楓梅が梅色の瞳に妖しい光を滲ませて妖艶に口角を上げる。そして、袂から苺らしき赤い飴玉を詰めた瓶を取り出し、蓋を開けて一つ口に含んだ後、世那に反対の手を向けた。
雲里も似たようなことをしていたのを思いだし、何か能力を使うつもりかと身構える雪葉の前で、世那がポンッとという軽快な音と共に白い煙に包まれる。かと思えば、すぐに晴れた白煙の中から、年齢一桁ほどの世那が現れた。
「お、おおっ? 小さい頃の世那だ」
「このころのぼくは、まだしゅぎょうをしていないので、れいりょくをうまくつかえません」
記憶の中と相違ない懐かしい容姿に動揺する雪葉と裏腹に、特に取り乱すことなくブカブカになった制服を見ている世那。白シャツしか身に着けていないのを回収され、楓梅の手で茶色の花を散りばめた卯の花色の振り袖を着せられている。結衣は自分と同じ背丈になった世那に気分を高揚させ、可愛さに胸を鷲掴みにされていた。
世那に頼れない状況なんてどうやって作るのか訝しんでいた雪葉は、全く戸惑いを見せない綺麗に着付けられた世那を見下ろして得心する。慣れない小さくなった身体なうえ、霊力を上手にコントロールできないなら、普段は無力だと嘆く雪葉より戦闘不可能だ。むしろ、世那にどれだけ我儘を言われようと雪葉が絶対に戦わせない。
「弱体化ってこういうことか」
「ちなみに、せらものうりょくがつかえません」
「マジかよ。実際にこんな事態に陥ったら、相当ヤバいじゃねぇか」
「それを想定した試験じゃからのう。守護霊の力は使っても構わぬし、世那のポーチに補充された道具も利用して良い。儂からも特別に、霊力卵をくれてやろう」
脇の下に手を入れて持ち上げた小さい世那に、危機感を煽られて弧を描いた口元を引き攣らせた雪葉へと、楓梅がポイポイと加熱前の卵を数個乱雑に投げ渡す。突然飛んできた十個の卵が雪葉の顔面に直撃してから、本物だったら大惨事になる落ち方で洞窟の地面に着地した。だが、そこは巴江家の卵。傷一つない綺麗なままだった。
「霊力卵?」
「れいりょくせきのれっかばんです。つかうときにわれてよごれるので、このおてふきでふいてください」
「何で卵にした」
抱っこした幼馴染を下ろして地面の卵を一つ手に取ると、袂に入れたポーチから卵と同数のお手拭きを取り出す世那。最新版の霊力石と違って手を汚してくるアイテムに、雪葉はジトッとした眼差しを卵に突き刺して物申す。割れれば卵白と黄身で汚れるなんて、開発段階で分かりそうだが、気付かないほど忙しかったのだろうか。
「それでは、早速始めようかのう。儂の霊力を込めたぬいぐるみ達の妨害を避けながら、このハートのクッションを手に入れれば合格じゃ」
「ぬ、ぬいぐるみ?」
何とも言えない表情で卵を熟視していた雪葉は、楽しそうに悪戯っぽく笑う楓梅の合図に、首を傾げて困惑気味に鸚鵡返しする。椅子にクッションを置いた楓梅が指を鳴らした直後、雪葉の疑点を一気に解消すべくぬいぐるみに襲われた。
「どわぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーッ!?」
高く跳躍して上から流星群みたく降ってきた人形に叫喚し、雪葉は咄嗟に世那を横抱きして飛び退く。柔らかい綿を詰めた布のはずなのに、地面に激突した瞬間、窓を激しく叩きつける暴風雨のような音がした。ぬいぐるみ達がゆらりと立ち上がる。
「よし、やってみるか」と微かなわくわく感に包まれた雪葉の、闘志を漲らせた黒い瞳に映った卵は一つ。投げ渡された場所に視線を向けるも、ぬいぐるみの軍団に埋もれて何も見えない。痛恨のやらかしに気付いた雪葉の脳漿が焦りに支配される。
「ちょっ、卵! 卵が一個しか拾えてねぇ!」
「そのひとつをしょうひしてどうぐをつかい、ほかのたまごをとりにいくしかないですね。ぽーちのなかのどうぐはじゆうにつかってください」
「サンキュー、世那!」
挙措を失った雪葉は他人事な世那からポーチを受け取り、やけくそ気味に謝礼してから幼馴染を肩車した。失敗すれば最後、魂を代償にしなければならないうえ、結衣に半分補ってもらえても動けなくなる。絶対に間違えられない。もっと慎重に取捨選択したいが、ぬいぐるみ達がそうさせてくれそうになかった。
遊んでほしい子供みたく走ってきた人形が、行き手を阻むべく足下に群がる。膝裏に体当たりされ尻餅を突いた隙に、両足のローファーを持って行かれた。靴下も脱がそうとするぬいぐるみを蹴散らし、逃げ回りながらポーチへと視線を落とす。緊張感に包まれて生唾を飲み、ポーチのチャックを恐る恐る開けた。
「ポーチの中身が異空間!」
「いま、いちばんほしいものを、あたまにおもいうかべてください。ゆきはくんをたすけてくれるどうぐがでてきます」
「えー、あー……今の状況を乗り越えられそうな機能って何だ?」
チャックをスライドしてファスナーを開いた先に広がる宇宙空間に、鍾乳洞の水滴に不意に項を襲われたみたく驚嘆して大袈裟に叫ぶ雪葉。頭のてっぺんに顎を乗せて足を揺らしていた世那の助言を受け、正常に回らない脳で必死に状況打破を目指す。
敵を一カ所に集められる道具を求めて手を入れると、指先に爪程の小さな箱が触れた。そっと出してみた手の平の上にあったのは、玩具箱と書かれた目覚まし時計程の箱。迫ってくる群れの中央に投げてみれば、湯船を彷彿とさせる大きさに化ける。しかし、それ以上、何も起こらない玩具箱に、肩透かしを食らった雪葉は頭を抱えた。
「何の機能を持ってるのか全然分かんねぇ! っていうか、手が卵白と黄身だらけなの忘れてた! 俺の髪の毛ベッタベタじゃねぇか!」
「あれは、なかにはいったてきをじょうかするはこです。ぬいぐるみをかたづければ、なかにはいったれいりょくをうばえるとおもいます」
付着した卵を拭いつつ詳細を伝える世那に髪の救出を任せ、中央に鎮座するカラフルな箱に足下の人形を投げ入れてみる。飛んできた得物を食んだ箱に何の変化もないが、そこからぬいぐるみが出てくるような気配もない。数を減らせるのなら好都合だと拳を握って勝利を確信し、箱に近付こうとするも制服を引っ張られてよろけた。
途端、肩に乗せた世那の体重が軽すぎて重しにならず、グイグイ引っ張られていたブレザーを奪われる。コアラみたく太股にくっついていたぬいぐるみが、丸い手で一生懸命にベルトを外そうとしており、引き剥がして玩具箱に投げながら怒鳴った。
「何でさっきから俺の服を脱がそうとするんだよ!?」
「安心するが良いと言ったじゃろう? お主を痛めつけることはせぬよ。特に制限時間は設けておらんかったが、その子達に全裸にされた時点で負けとしようかのう?」
「女の子の前で脱がされそうになって、心が痛めつけられてるんですけど!?」
宙で足を組んで座り揶揄を孕んだ面持ちを綻ばせ、心底楽しそうに笑いながら意地悪く首を傾ける楓梅。上半身の白シャツを狙っているのか、足に絡みつく人形の重みで地面に打ち付けた顔を上げた雪葉に、突如、笑顔を雲散霧消して白けた目を刺す。
「成人もしておらぬ小僧の全裸に興味なぞない」
『私も雪葉と離れられないから、貴方の身体なんて見慣れている』
「ぼくもへいきです。ふくのことはきにせず、くっしょんをめざしましょう」
「俺の味方が一人も居ないの久しぶり!」
容赦なく絶対零度の眼差しを向ける楓梅と、慰めているように見えてトドメを差す味方に、雪葉は取られたネクタイを取り戻して吠えた。女性陣に辱めを受けつつも開き直り、脱いだ白シャツを広げてぬいぐるみを掬い上げて投げる。その後も、白無地のタンクトップ姿で暴れ回り、靴下やネクタイを奪われつつ人形を箱に入れ続けた。
「あっ、白シャツも取られた! けど、卵を一個だけ確保できたぜ!」
何回か繰り返して数を減らしていた雪葉だったが、白シャツを敵視した人形達に協力して持って行かれる。代わりに、散らばった卵を一つ手に入れて口角を上げ、眼前のぬいぐるみ達を退ける道具を望んでポーチの手を突っ込む。霊力卵を犠牲にポーチから出てきた道具は、雲里を助ける際に使用した巨大な扇子。
巨大な扇子から放たれた暴風により、蜘蛛の子を散らしたように吹き飛ぶぬいぐるみ。高貴な身分を持つ人々が歩くレッドカーペットみたく、雪葉の眼前から全ても障害物が消え去った。だが、大風で空中に舞い上がり壁にぶつかったクッションが、物凄い勢いで真っ直ぐ飛んでいき入り口から出て行ってしまう。
「――あのクッションは儂のお気に入りなのじゃ、取ってきてもらえぬか? そうすれば、第一試練は合格で構わぬよ」
「……はい、今すぐ取ってきます」
使ったことがある道具の登場と期待通りの展開で調子に乗った雪葉は、後先考えず扇子を使ったことで楓梅の私物を乱雑に扱ったことを反省し、意気消沈した状態で肩を落として項垂れながらトボトボと洞窟から出た。
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