第20話 白石杏子Ⅱ

 コンピューター室の椅子を幾つか並べて世那を寝かせ、本日何度目かの己の魂を犠牲にした回復作業に入る雪葉。世那から預かった回復用の道具は、霊力もしくは魂を糧に心身の傷を癒やす毛布だ。掛けた人の力を掛けられた人に渡すことで、傷付いた心身の回復に役立てるらしい。既に何回も魂を消費している為、結衣の力を借りているとはいえ苦しいが、世那の役に立てるのは嬉しかった。

 悪霊の攻撃を受け続けて今回は失神した世那に、優しく栗色の大きな毛布を被せて復活するのを祈るように待つ。一回目や二回目はすぐに治癒を終えていたが、段々とダメージが蓄積されていく所為か回数を重ねる毎に時間を有していた。当然だ。いくら回復しているからと言っても、何度も何度もの生身で人外から攻撃されていれば、大きな負荷をかけられ続けた身体は限界を迎えるだろう。


「……何度も悪意ある霊に触れるのは、想像以上にキツいですね」


「世那、目が覚めたか!」


 毛布の中からもぞもぞと出てきた世那が、放っておけない危うさを纏いながら儚げに微笑んだ。巴江家秘伝の道具を持って駆け寄った雪葉は、甲斐甲斐しく幼馴染の世話役に徹する。霊力を補充する錠剤を開けて世那に渡し、テキパキと新しい水のペットボトルを開けて待機。水を飲んでいる間に、抱き締めて彼女の身体を温める。

 

 少しの休憩時間を設けた後、世那により結果が報告された。幸か不幸か、あの白石杏子軍団の中に本物は紛れていないようだ。世那の能力により、一人ずつ深層心理を読んでみたものの、全員同じ感情しか持っていなかったらしい。紆余曲折や四苦八苦して挑んだものの、振り出しに戻ってしまった。

 偽物が持っていた感情は強い後悔。世那曰く、異界に来た杏子の胸中で一番強かった感情が、模倣した悪霊にも反映されたとのこと。呪いに手を出した動機は、財閥の令嬢だからと好きなだけ雲里に貢ぐ咲への嫉妬。貧乏でバイトを掛け持ちしている杏子からすれば、羨ましくて妬ましかったのだろう。

 だが、いざ呪いを発動させて異界に来た際、咲に対して激しく罪悪感を抱き後悔していた。つまり、話し合えば仲直りできるかもしれない。満身創痍で動けない世那を背負っていた雪葉は、拗らせた先輩達の仲を良好に戻せそうで安堵する。瞬間、ふと本物の居場所が分かっていないことを思い出した。


「つーか、世那を攻撃した先輩が全員悪霊なら、本物は悪霊に捕まってどこかに幽閉されてるのか?」


「い、一体どこに居るんですの?」


『分からない。此処以外に魂を感知できない』


 雪葉の指摘で酷く取り乱した咲が、不安げに落ち着きなく右往左往する。更に、微かに震えを帯びた声の結衣が辺りを見渡し、咲の精神を激しく揺さぶるようなことを小さく溢した。顎に手を添えて思考に耽っている結衣に感知できない。つまり、そこから導き出される答えはただ一つ。それに先に気付いた世那が、曇った顔で呟いた。


「まさか、悪霊に屋上から落とされて、此処を出てしまったんでしょうか?」


「だったら、佐倉先輩はどうやったら、異界から出られるんだ!?」


「一つだけ方法はあります。ですが、佐倉先輩の魂が現世に帰るまで、消えずに済むという保証はありません」


 周章狼狽する雪葉と咲と裏腹に、世那が神色自若として粛々と告げる。雪葉と咲は、唖然として口をポカンと開けたまま硬直する。不気味なほど静まり返ったコンピューター室で、暫く気まずく居たたまれない重苦しい雰囲気に包まれていた。が、咲がギュッと震える両手を絡めて、肩を強張らせながら恐る恐る口を開く。


「……ど、どういった方法ですの?」


「世良に鎌で異空間に飛ばしてもらい、現実に戻ってから出してもらうんです」


「ちょっと待ってくれ。世良は今、悪霊の浄化で霊力を消費してるんだろ?」


「僕の残っている霊力を全て預ければ、一回分、補うことができると思います」


 恐怖心で瞳を揺らす咲の疑問に粛然とした声色で答えた後、焦燥に駆り立てられながら世良を気遣う雪葉に補足説明をし、手の平サイズのパンダのぬいぐるみの口に唇を合わせる世那。唇を伝って霊力を受け取ることに成功したのか、うつ伏せに寝転んだ可愛らしいぬいぐるみが光を帯びる。世那が厳粛な雰囲気で双眸を伏せた。


「ですが、一度きりです。此処に残って僕達が帰還の方法を見つけるのを待つか、一か八か世良に斬ってもらって異空間に行くか、佐倉先輩はどちらにしますか?」


「……――現実に戻りたいですわ」


「それでは、佐倉先輩には一時的に幽体になっていただきます。世良の大鎌は生きている人間を斬ることはできませんので」


「分かりましたわ。覚悟は出来てますので、貴女方に全てお任せ致しますわよ」


 少しの逡巡の後、意を決して自分の望みを口にした咲は、ポーチから団子を取り出した世那に強かな笑みを浮かべる。凜々しい表情で腹を括った咲が、何の躊躇もなく受け取った団子を食んだ。ゆっくりと咀嚼して嚥下すると同時に、華奢な体躯が結衣と同じく半透明になる。それを見届けた世那は、淡黄檗の瞳を閉じて人格を替えた。

 世那と交代した世良は瞼を徐に押し上げて、緊張した面持ちの咲へと流し目を送ると、どこからともなく背丈より長い大きな鎌を召喚する。得物を肩に担いで改めて咲の方に仏頂面を向けた世良に、咲が愛想のない冷たい瞳で変化に気付いて感付いた。


「先程、蓮見様に忠告していらっしゃった貴女が、大鎌で異空間に飛ばして下さる世良様でしたのね」


「ああ、さっきは自己紹介できなくて悪かったな。文句は全部、約束を破った此奴にぶつけてくれ」


「世那を危険な目に遭わせたのは事実だから何も言い返せねぇ!」


『雪葉はもう少し鍛えるべきだと思う』


 世良に大鎌の柄の裏で頬をグリグリされながら、雪葉は自責の念に駆られて悔しさを顕に縮こまる。忸怩たる思いで悄然とする主人に、結衣が追撃をお見舞いして完全に撃沈させた。肩を落として酸鼻を極める雪葉の視界で、世良がパンダのぬいぐるみに優しく唇で触れる。恐らく、世那が託した霊力を体内に取り込んでいるのだろう。


「悪霊と違って力が弱い人間の魂は、此処の食い物と同じで浄化が早い。時間との勝負だ、すぐに帰れるようにしておけよ」


「分かってる」


 落ち着き払った様子で門を準備しながら補足する世良に、雪葉は咲本人より緊張し震えそうな膝を叱責して首肯する。門を開いてから咲の方に向き直った世良は、鎌を持つ手を振り上げて刃を横に薙ぎ払う。瞬間、幽体である咲の半透明の体躯が消え、残りの霊力を全て使い切った世良も倒れた。雪葉は素早く世良を横抱きし、結衣と分担して道具を持つと、現実と繋がる巴江家の門に飛び込んだ。


 門を潜ってからの行動は迅速だった。世良が大鎌を使って咲を異空間から出し、

浄化されすぎて弱っている彼女の携帯電話を借りて専属執事の男性に迎えを要求。

迎えの車の到着までに咲の記憶に鍵を掛け、世那は杏子の安否を確認しに行った。

 そんなドタバタとした日から一週間後、様子を見に行った雪葉と世那の視界に、廊下で雲里と談笑している咲を捉える。元気な姿に胸を撫で下ろすと、杏子が涙目で咲の首に飛びついた。廊下のど真ん中で人目も多いのに、気にせず泣きついている。


 杏子の記憶は一部残して封印したらしく、咲に対する後悔を覚えている状態だ。故に、一週間も寝込んでいた咲を物凄く心配していたようで、何度も謝罪を繰り返しながら熱い抱擁を交わしている。杏子の涙声で紡がれる謝罪の合間に、雲里に対する金遣いについて反省の言葉を述べている咲も、桜色の瞳に微かに水気を含ませていた。

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