第16話 巴江世良Ⅲ

 雪葉も在籍中の高校は、菓子類の持ち込みを許諾している。何なら、休み時間や放課後であれば、皆で分け合って食べても良い。そんな緩い校則の学校故、本日のバレンタインデーは、男女どちらも浮き足立っている。窓を開けていない校舎内の至る所から、甘い匂いが漂っていた。

 そんな廊下を進みながら部室に向かっていた雪葉の視界に、見覚えのある二人の男女が映る。向こうの記憶は世那によって消えているが、異空間で出会った木之橋凪と水野あさぎだ。ストローを咥えてパックの林檎ジュースを飲むあさぎの前に、凪が立ちはだかって道を塞いでいる。


「水野あさぎ! 今日はバレンタインデーだからな、僕にチョコレートを贈るのを許可してやる! さぁ、寄越せ!」


「そんな許可は要らぬ。ありがた迷惑じゃ」


「何故だ! この僕が直々に貰ってやると言っているんだぞ!?」


「必要ないと言っておるじゃろう」


 にべもない拒否と共に方向転換したあさぎの前に移動し、凪は周囲の目を気にしないで彼女からのチョコレートを求む。それでも、厭わしさを隠さず、間髪入れず断るあさぎ。異空間での出来事を消された後、一体、あの二人に何があったのだろうか、


「分かった! この際、手作りや高級な物でなくていい! コンビニのお菓子でも一口チョコレートでも良いから!」


「何じゃ何じゃ。お主、偉そうな口調は変わっとらんようじゃが、あの無駄に高かったプライドが消えておらぬか?」


 遂に膝立ちになって彼女の腰にしがみつき涙目で縋り付く凪に、関係が気になり見ていた雪葉もあさぎ同様に口元を引き攣らせる。悪霊に取り憑かれる前の凪の横暴な態度と全然違い、あさぎは困惑気味に凪を引き剥がそうと奮闘していた。

 その先の展開にとても関心を引かれるが、部室で世那を待たせている為、後ろ髪を引かれつつ足を進める雪葉。キョロキョロと周囲を興味津々に見渡していた結衣も、雪葉の後ろをふよふよと着いて来つつ、理解できない疑点を尋ねてきた。


『雪葉、今日はチョコレートを食べている人をよく見かける。何故だ?』


「ああ、バレンタインデーっていって、女子が愛する男子にチョコを渡す日だからだ。まぁ、女子同士や男子同士で交換する友チョコとかもあるし、異性同士でも込められた感情が恋愛とは限らないけどな」


『人間は複雑なんだな』


「そうだな」


 由来や本当の理由を知らない為、曖昧な知識を披露した雪葉は、振り返って凪とあさぎを見る結衣にしみじみと頷く。部室に着いたらバレンタインデーについて調べてみようかと考えつつ先に進むと、凪とあさぎ以外にも廊下で熱烈な告白をしている人が居た。緊張した面持ちを紅潮させ、包装されたチョコレートを持った咲だ。


「井上様! あの、これ……私の手作りチョコレートですわ」


「サンキュー、咲。毎年、嬉しいぜ」


「光栄ですわ! 今年も腕によりをかけて作りましたの。是非、堪能して下さい」


「おう」


 差し出された夜色の長方形の箱を受け取り、雲里が温和な笑みを湛えて咲の頭に手を置く。ぱあっと喜色満面な面持ちを輝かせて喜ぶ咲に、異界での屑っぷりなど雲散霧消させて優しく目尻を和らげた。女誑しの屑野郎だが、幼馴染だけは特別らしい。

 周囲の女子達も殺気立った鋭利な視線を突き刺す気配がなく、雲里に手を出された彼女候補達に認められていると分かる。女子というのはよく分からない。物陰に隠れて眺めるファンらしき女子達に疑問を抱く雪葉は、結衣に控えめに声を掛けられた。


『雪葉、少しの間だけ私に身体を貸してほしい』


「別に良いけど、そんなこと出来るのか?」


『守護霊だからな、宿主が許諾すれば可能だ。私も雪葉と世那と世良にチョコレートを渡したい』


 面映さを滲ませた瑠璃色の瞳を横に逸らした結衣が、両手の人差し指の腹同士を突いてもじもじと吐露する。快く身体を貸すことを了承した雪葉の胸に、ブワッと抑えきれない愛しさと幸福感が溢れ出した。我が子から初めて贈り物を貰った両親も、こんな感情に満たされているのだろうか。


「……かわいいな、お前」


『何だ突然、気持ち悪い」


「辛辣」


 欣快の至りで涙腺を緩めて結衣の頭を撫でる雪葉に、結衣が冷め切った視線で嫌そうに眉を潜める。百年の愛も冷めるような厳しい言葉に、雪葉の涙と愛情の色も一気に消し飛ばされた。だが、世良に何度も何度も罵倒されたことで、知らぬ間に段々と耐性をつけてきていたのか、結衣の冷酷な態度にそれほど心が痛まない。

 甘ったるさが漂う三年の教室を抜け、四階の最奥にある部室の戸を開ける。一足先に部室へと来ていた幼馴染が、腰まで伸びた淡黄檗の髪を揺らし、愛想のないつまらなそうな顔で振り返った。部室で世那の仏頂面など見たことないが、異界でならしょっちゅう見てきたその表情に、雪葉は違和感を覚えて恐る恐る名を呼ぶ。


「……――世良?」


「よく分かったな」


「世良、自分から会いに来てくれるのは初めてじゃねぇか。ていうか、悪霊の浄化で霊力を消費してるんだろ? 休んでなくていいのか?」


「少しぐらいなら平気だ。それに、お前に会いに来たわけじゃねぇから、用事が終わればすぐ世那に替わる。受け取れ」


 凪いだ湖の如く静かな瞳で肯定した世良が、嬉しくて駆け寄った雪葉の腹部に足裏を当てて距離を離し、シンプルな包装に包まれた物を差し出した。相変わらず遠慮のなさ過ぎる鳩尾への攻撃に呻きつつ、雪葉は世良の手から贈り物を受け取る。

 焦げ茶色の小さな長方形の箱に茶色のリボンを施したそれは、此処に来る途中、廊下でよく見た包装紙を彷彿とさせた。脳裏に過った光景をヒントに軽い箱の中身を予想した雪葉は、驚きで目を大きく見張って居心地悪そうな世良に問う。


「――まさか、チョコレートか?」


「勘違いするなよ、特別な意味はない。今後、世那と私を守ってくれることへの前払いだ。言っとくけど、守り切れなかったら、ボッコボコにするからな」


 木で鼻をくくったような態度でキッと睨みながらも、信用を全面的に押し出してくれる世良に面食らう雪葉。パチパチと何度か黒い瞳を瞬いた後、ジワジワと込み上げてくる喜悦で、自然と口元が綻んでいく。薔薇みたいなありったけの笑みを咲かせて、愛嬌の欠片もない顔の世良に本心を告げた。


「信じてくれてありがとな、世良」

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