第14話 佐倉咲

 結衣のお陰で二人に追い着いた雪葉が第二音楽室の扉を開けると、教室の比でないおびただしい量の飴玉に出迎えられた。それに対応する雲里と世那の手錠が外れている。

 と、口をもごもごさせながら斬撃を連続で繰り出す雲里と、掃除機を振り回して飴を吸い込む世那に集中していた飴玉が、待ってましたと言わんばかりに雪葉の方へと突進してきた。


「ひぎゃあぁぁぁぁぁぁぁーーッ!?」


「雪葉くん!」


 情けない悲鳴を上げた雪葉の側にすぐ駆け寄ってきた世那が、自分の身体を盾にして掃除機で飴玉を根刮ぎ吸い込む。無音なのに吸引力がえげつない。一家に一台、販売すれば大繁盛しそうだ。などと、考えている間に、迫っていた飴玉は消えていた。


「大丈夫ですか、雪葉くん?」


「俺は大丈夫だ。それより、世那の方こそ道具を使い続けて良いのか?」


「この掃除機は家で貯めた霊力を使用するので、僕の霊力に影響はありません」


 後先考えず豪快に掃除機を用いて飴玉を処理している世那は、雪葉の気遣いに相好を崩して道具について教えてくれる。話をしつつも付近の敵をどんどん吸引する掃除機は、この後に控えているであろう悪霊戦を気にせずに戦えると知り、雪葉はホッと胸を撫で下ろした。刹那、妙案を思い浮かび、勢いよく世那に頼んだ。


「俺にもそういう道具を貸してくれ!」


「了解です!」


 鬼神迫る表情に瞬きをした世那は、謝礼を含ませた満面を緩めて、ポーチから出した二台目の掃除機を貸してくれる。すると、視界の端で足を上げ下げしていた雲里が、何個目かのレモン味の飴を口に投げ入れて叫ぶ。早くファンの女の子を助けに行きたいのか、額に冷や汗を滲ませて明らかに焦っていた。


「くそっ、数が多すぎる。おい、世良に替わってくれ!」


「世良はしばらく表に出たくないそうなので、此処からは僕が道具で皆さんをお守りします」


「そんなに俺に横抱きされるの嫌だった!?」


 残念そうに困ったように眉を下げた世那に、大鎌を使える世良に頼れないことを告げられ、雪葉は顎が外れたみたいに大きく開いた口から素っ頓狂な声を出す。雪葉だけ悪いわけではないだろうが、雲里だけ悪いわけでもない。世良引き籠もり事件は、二人とも同罪だ。いきなり距離感を近付けすぎたのだろう。

 反省しつつ世良を怒らせてしまった罪悪感に苛まれながら、雪葉は憂鬱な感情を雲散霧消するみたく掃除機を振り回した。一通り、第二音楽室の飴玉を仕留め終えた矢先、隣にある音楽準備室の扉がガチャリと音を立てて開く。警戒心を強めて肩に力を入れると、後方で一つに結んだ桜色の髪の女の子が現れた。


「井上様、お待ちしておりましたわ! 目的を達成なされたのですね!」


「無事だったか……」


「はい、私は一度も襲われておりませんので」


 その女の子は此方を見た途端、ぱあっと顔を輝かせて雲里に駆け寄り、胸中から歓喜を溢れさせた喜色満面な笑みで抱きつく。雲里も強張っていた顔から力を抜いて、喜んでいる女の子に微笑んで頭を撫でていた。あの子が呪いをしたファンだろう。


「俺の我儘で軽率に危ない目に遭わせて悪かったな」


「どうしましたの? 本当に何もありませんでしたわよ?」


 問題ないと告げたのに雲里にやたらと心配されて、不思議そうに首を傾げるファンの女の子。先にファンだと聞いていなければ、恋人か兄妹に見える雰囲気だ。ただの推しとファンに見えない二人に、雪葉は世那と結衣に顔を寄せて野次馬と化す。


「どういう関係なんだろうな」


「普通のファンという感じではありませんね」


『相思相愛だな』


 疑いと好奇心を含む視線をただならぬ空気を纏った二人に刺し、雪葉に倣って顔を近付けてからコソコソと意見を出す世那と結衣。三人揃ってジーッと熟視しながら観察を続けていると、熱い視線に気付いた雲里が振り返りファンの女の子を紹介する。


「此奴の名前は佐倉さくらさく。俺と咲の関係性は、あんた等と同じだ」


「――お前、そんなに大事な幼馴染が居る癖に、世良を口説きまくってたのかよ」


『その女の子が可哀想』


「そこのコンビはさっきから俺を蔑みすぎじゃねぇか?」


 そこまで声を抑えていなくて聞こえていたのか、三人の疑いの眼差しから読み取ったのか、名前だけでなく二人の関係性まで暴露してくれた。そんな彼の行動を顧みて顰蹙した雪葉と結衣は、催した嫌悪感を誤魔化しもせず雲里の過去を批判する。流石に何度も半眼で責められて傷付いたのか、雲里は堪忍袋の緒が切れるどころか心臓部を手で押さえていた。反撃できていない間に、世那が顔を綻ばせて咲に声を書ける。


「ひとまず、佐倉先輩もご無事で何よりです」


「そうだな。咲、さっさと帰ろうぜ」


「そうですわね」


 話題を逸らした世那に首肯した雲里が手を差し伸べると、大輪の花が咲き綻ぶみたいに柔らかく微笑んで握り返す咲。そのまま、全員で屋上に向かう流れになるのかと思いきや、繋いだ雲里の手を軽く引っ張ってよろけた彼を抱き止める。ガッチリと腰に腕を回して幸せそうに腹部に擦り寄る彼女に、雲里が困惑気に名前を呼んだ。


「咲?」


『おい、雪葉。何故、私の目を隠すんだ』


「結衣にはまだ早い」


「耳も塞いでおきましょう」


 咲から攻められるのは初めてだったようで、動揺する雲里の頬にうっすらと刷られる朱色。桃色の空気を醸し出した男女に目を凝らしつつ、雪葉と世那は戸惑う結衣の目と耳を手で塞ぐ。しかし、誰もが期待していた展開に発展することはなかった。


「……ッ、ぐ。お前、咲じゃねぇな?」


「何を仰られておりますの? 早く還りますわよ」


 冷や汗を垂らして恐怖と苦悶を混ぜた表情の雲里が、呻吟しながら腕の中から抜け出そうと藻掻き始めたのだ。態度を百八十度変えた幼馴染に桜色の瞳を瞬く咲に違和感を抱き、雪葉は硬い顔で猜疑の視線を向ける。険しい表情の世那もポーチから壺とハリセンを取り出すと、咲の身体から煙のような黒い靄が一気に解き放たれた。


「悪霊!」


「こんなパターンもあるのかよ!?」


 完全に此方の虚を突いた相手の罠に嵌められ、忸怩たらざるを得ないのか悔しそうにする世那と、思いも寄らない新しい登場方法に周章狼狽する雪葉。呪われた雲里を闇に堕とす為に咲の姿を模倣した偽物なのか、咲の身体を乗っ取って演技力を身につけた悪霊なのか、雪葉には判別できない。

 ともかく、強化された悪霊の演技により、世那すらも気付くのに遅れてしまった。かなり最悪の状況だ。雲里を覆うように漂う真っ暗な靄が、確実に道連れにする動きをしている。火事の際、炎と共に人体に影響を及ぼす煙みたいに、全身巻き付かれた挙げ句、足も膝まで影の中に沈んでいた。


「放、せ!」


「嫌ですわ。一緒に還りましょう、井上様――」


 底なし沼に囚われたみたくジワジワ影に呑まれながら、雲里が苦痛に耐えるように歯を噛み締めて強気に対抗する。もう完全に化けの皮が剥がれた悪霊は、全身の骨を折る勢いで強く強く抱き締め、恍惚とした咲の口から冷たくしわがれた声を出した。

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