第13話 蓮見雪葉Ⅱ

 二階に辿り着いた一行だったが、教師を倒してしまって授業が始まっておらず、階段近くの三年三組の生徒に襲われた。他の教室からも出て来ると厄介な為、敢えて三年三組に飛び込んで鍵を閉め、応戦する。とはいえ、狭い教室内で飛び回る斬撃を受けないよう、雪葉は角の方で屈んでいるが。


『雪葉、戦わないの?』


「俺は世良みたいに何回も彼奴の斬撃を避けれる保証がねぇからな。戦略的撤退だ。近くに来た奴だけ結衣の力を借りるよ」


 折り曲げた脚を抱えて屈む自分の隣に同じ体勢で座る結衣に、物知り顔で言い訳をしてよく分からない変な知識を与える雪葉。次の瞬間、二人の前から蛍光灯の明かりを遮るみたいに夜の帳が下りる。何事かと視線を上げると同時に、結衣が気遣うように困ったようにボソッと呟いた。


『……でも、雪葉が一番狙われてる』


「そうだったぁぁぁぁぁぁぁーーッ!!」


 雪葉の絶叫すらも掻き消してしまうかと錯覚するほど、飴玉で出来た天井まで届く高さの波が襲ってくる。あまりにも絶望的な状況に少し涙目で結衣を抱き締めると、波に穴を開けて突き進む斬撃が真横すれすれに飛んできた。更に、雪葉の精神をまるで考慮していない世良の大鎌が、飴の山へと縦に真っ直ぐ振り下ろされる。

 半数以上の飴が異空間に姿を消し、パラパラと降ってきた残りの欠片も、周囲を埋め尽くすみたく床に撒き散らしていた。雲里まで助けてくれたのは想定外だった為、口を開けて唖然とした雪葉は、我に返った刹那、世良の手で唇を塞がれる。


「大声で騒ぐな。他の教室の奴等にバレるだろ」


「むぐっ」


『いけすかない男の破壊音で、もう皆にバレてはいると思う』


 口を抑えられた状態で首を縦に振る雪葉の側に、座ったままの結衣が派手に壊れた教室を見渡した。雪葉も瑠璃色の瞳を追い掛けて、大惨事な室内に目線を走らせる。雲里の攻撃は世良と違い、近くの人間や建物にも当たるうえ、飴を消すことが出来ないらしい。そんな教室を破壊しまくった男は、尻餅を突いた雪葉を見下し鼻で嗤う。


「情けねぇな、蓮見雪葉。何しに此処に来たんだよ」


「はあっ? こんな飴玉をどうにかする力ぐらい、俺だって持ってるっつーの。見てろよ! おわっ!?」


「なっ!」


 怒りの導火線に点火されて立ち上がった雪葉は、挑発に乗って結衣の力を借りようと一歩踏み出すも、床に転がったあまり欠けていない飴玉を幾つも踏んで転んだ。男達が火花を散らす間、近付いてくる飴玉を狩っていた世良に突っ込み、受け身を取れず巻き込まれた彼女と一緒に倒れる。


「いってぇ……悪い、世良。大丈――」


 痛みに顔を歪めたのも束の間、慌てて床に両手を突いて身体を上げ、下敷きにしてしまった世良に謝罪した。否、申し訳なくてしようとしたものの、予想外に世良の端正な顔と距離が近くて途中で止まる。押し倒された世良もキョトンとしていた。

 お互いに不意に近付いた距離に理解が追いつかず、上に乗った状態と床に仰向けに寝転んだまま見つめ合う。美少女だと認識していたつもりだったが、こうして至近距離から整った顔立ちを再確認した後だと、まだまだ認識が甘かったのだと分かる。


「……ッ、大丈夫だから早く退け!」


「ふぐっ!?」


 すると、綺麗な世良の顔に見惚れていた雪葉の鳩尾に、唐突に強烈な痛みを叩き込まれた。ほんの少しだけ頬に一重梅を咲かせた世良が、不愉快そうに眉根を寄せて膝蹴りを入れたのだ。数秒、遠のいた意識を手繰り寄せ、雪葉は再び床に崩れ落ちる。


「せ、世良。だから鳩尾は駄目だって……」


「前回も今回も自業自得だ、ろ……ッ!?」


「大丈夫か、世良。ったく、鈍臭いうえ役に立たねぇ幼馴染の介護なんて大変だな」


 唸る雪葉をどことなく照れを隠した顰めっ面で見ていた世良が、やれやれといった表情の雲里に横から掻っ攫われた。不意に横抱きされて目を丸くした世良を見下ろして、雲里が同情的に口角を上げながらやらかした雪葉のことを嘲笑する。


「気安く触んなっつっただろ、放せ」


「あんたが俺の言うことを聞かねぇのに、俺があんたの言うことを聞く訳ねぇだろ」


「あー、別に聞かなくていいぞ。俺が勝手に世良を回収するから」


 下手に暴れず口頭で窘める世良の揚げ足を取り、そのまま満足気に進もうとする雲里から、額に青筋を浮かべて大切な幼馴染を奪い返す雪葉。取り返した世良の柔らかく良い匂いの身体を横抱きし、紫紺の双眸に怒気を装填した雲里に、煽るようにベーッと舌を出す。

 小さな頃から一緒に過ごしたからか他人に指摘されることも多いが、世那と雪葉の距離感は幼馴染というより恋人みたく近い。それ故、雪葉にとって世那を横抱きするなど慣れているが、最近、彼と絡んだばかりなうえ無愛想な世良は当然ながら不慣れだったらしい。


「お前も許可してねぇんだよ、ボケ!」


「おぐっ!」


 鋭利な睨みを利かせた世良の容赦ない拳が、雲里に喧嘩を売っていた雪葉の顎に直撃した。戦い慣れた人の的確さと威力に、為す術なく強制的に天井を仰ぎ見る。それでも、幼馴染に怪我を負わせたくない一心で、世良は意地でも放り投げずに耐えた。


「……何で俺にだけ口より先に手を出すんだ」


「雪葉くんを気の置けない人だと認識しているからじゃないでしょうか」


 足を大きく開いて踏ん張った姿勢のまま痛みに震えつつ問うと、世良に手錠で拘束されていない手で優しく顎を撫でられる。世良の時は有り得ない行動だ。バッと勢いよく顔を伏せて、雪葉は泡を食ったような声を出した。


「えっ、世那!?」


「はい。世良が引っ込んでしまったので、ひとまず僕が表に出てきました」


「ふーん、すげぇな。見た目は全く同じなのに、性格がさっきと全く違うとは」


 頷いて「下ろしてください」と言う世那に従った瞬間、雲里が腰を境に上半身を前に倒し、無遠慮に近距離で顔を覗き込む。全く油断も隙もない。だが、雪葉が苛立ちを顕に助けようとするより先に、世那が妙に緊迫感を醸し出した真剣な顔で尋ねる。


「井上先輩。僕を口説く暇があるのなら、貴方のファンの居場所を教えてください」


「――此奴、先輩だったのか」


『世良に不快な思いをさせたんだし、敬語なんて使わなくて良いと思う』


「激しく同意」


「聞こえてんぞ、そこ」


 会ってから一度も敬っていない雪葉は、眉を顰めて結衣と小声で意見交換をした。ひそひそと話し合った結果、結衣の助言を採用して敬愛しない選択をすると、聞こえていたらしい雲里から律儀に怒られる。また対立しそうな険悪な雰囲気を、一人だけ神妙な顔つきをしている世那が破った。


「此処に来てから時間が経っています。もしかすると、早く出るように促さなければ、木之橋先輩みたいに悪霊に取り憑かれるかもしれません」


「マジかよ!? あんたのファン、めちゃくちゃピンチじゃねぇか!」


「……悪霊に取り憑かれるとどうなるんだ?」


「取り憑かれた直後であれば、僕が巴江家の道具で引き剥がせます。ですが、数十分も乗っ取られたままだと、魂と身体を完全に奪われてしまって離せなくなります」


 あの時の耳を塞ぎたくなる絶叫を思い出し、焦りと動揺を顕著に出した雪葉の反応で、ようやく理解したらしい雲里が厳かな声で世那に聞く。世那は強張っているが冷静沈着な表情のまま、凪いだ湖の如く静かな声色で知識を披露した。


「――……そうなれば、憑かれた人間ごと封印するか、成仏させる他ありません」


「……ッ!」


「わっ!?」


 そして、一度区切ってから最悪の結末を吐露した刹那、苦虫を噛み潰したような顔をした雲里が走り出し、手錠で繋がっている世那も一緒に駆けて行く。突然の全力疾走と誘拐に唖然としていた雪葉は、二人の背中を見送ってからハッと我に返った。


「お、おい!」


『手錠の所為で世那も連れて行かれた。早く追い掛けよう』


「そ、そうだな! 結衣、魂を感知して案内してくれ」


 無意味に見えなくなった背中へと腕を伸ばした後、見失った狼狽で思考をぐるぐるしていると、泰然自若な結衣に急かされて縺れそうな足を動かす。頼もしい守護霊から意見を貰ったことで、少し落ち着きを取り戻した雪葉は、結衣の手を借りて世那と雲里の後を追い掛けた。

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