第11話 月井白子Ⅱ
「巴江ちゃん、白子のことを罵ってみてくれない?」
「ごふっ!?」
期末テストを無事に受け終えて再開した一週間ぶりの部活。部室で好き勝手に過ごしていた雪葉は、突然、深刻な顔で遊びに来た白子の爆弾発言に、飲んでいた麦茶を吹き出す。幸いにも読んでいた漫画を濡らす事故はなかったが、気管に入ってしまいゲホッ、ガハッと咳き込む羽目になった。
「大丈夫ですか、雪葉くん? これ、使って下さい」
「いきなり何してんのよ、汚いじゃない」
「相変わらず、温度差が凄い」
背中を丸めて苦しむ雪葉の背中を撫でながら、未使用の予備のハンカチを貸してくれる世那と、苦虫を噛み潰したような顔で嫌そうにする白子。有難くハンカチを借りて口元と床を拭い、雪葉は引き攣った笑みを浮かべて遠くを見た。白子に嫌われている理由は分かっている。世那と共に過ごす時間が多すぎることだ。
あの一件以来、なるべく白子にも譲るよう心掛けているが、やはり今まで一緒に居た分、どうしても誘ってしまう。それに、雪葉を悲しませたくないのか、純粋に嬉しいと思っているのか、世那も雪葉の誘いには積極的に乗ってくれた。故に、雪葉はまた呪われないか内心で冷や冷やしつつ、世那と二人で遊んでいる。
「それで、どうして僕に罵倒してほしいなんてお願いをするのですか?」
「何だか最近、巴江ちゃんに罵られる夢をよく見るの。勿論、優しくて可愛い巴江ちゃんが、白子を虐めたことなんて一回もないわ。それはきちんと理解してる。でも、その時の巴江ちゃんがとっても素敵だから、現実でも一度味わってみたいのよ」
二リットルのペットボトルの麦茶を紙コップに注ぎ、一応、お客様へと差し出しながら本題に戻った世那に、白子が頰に手を当て恍惚とした面持ちで詳細を話した。その衝撃的な内容にまたもや麦茶を吹きそうになり、慌てて出そうな茶を無理に飲み込み喉を痛める雪葉。一人で勝手に苦しみながらチラリと世那を窺うと、何故か焦りの色を全く宿しておらず、平常な顔だった。
白子の夢に出て来る光景というのは、九分九厘、世良に強引に肉まんを食べさせられる姿だろう。あの夜の出来事をどうして朧げに覚えているのか。世良の存在が露呈しかけているが問題ないのか。脳漿に渦巻く疑問や懸念により、焦燥が雪葉の身体中を支配する。居ても立っても居られななくなり、早口で白子に断りを入れて、世那の肩を抱いて一緒に後ろへと方向転換した。
「ちょ、ちょっと待て! 一回、世那と作戦会議をさせてくれ!!」
「どうして巴江ちゃんだけじゃなくて、蓮見くんの許可まで必要なのよ?」
「そんな世那は見たくねぇからだよ!」
大好きな親友との間に割り込まれて不満を漏らした白子は、必死な形相の雪葉に何か思うところでもあるのか渋々と黙る。罵倒してほしいと懇願しつつ、やはり白子も見たくないのかもしれない。大人しく麦茶を堪能し始めた白子を確認してから、雪葉は世那と顔を近付け声を潜めて問い糺す。
「で、どういうことなんだ? 何で月井が世良のことを思い出しかけてる?」
「恐らく、僕との約束の記憶を残す為に、鍵をかけられなかったからでしょうね」
「鍵?」
「はい、記憶消去の際、普段は消したうえで鍵をかけるんです。それで、どれだけのヒントを得ようとも思い出せなくなります。ですが、一部の記憶を残したい場合、鍵をかけることができません」
泰然自若に麦茶を一口飲み喉を潤してから、狼狽の色を隠せない雪葉の質問に答える世那。怪訝な表情の雪葉に頷いて、記憶消去の秘密を暴露する。確かに、白子は異空間に行ったことだけでなく、結衣も見えなくなって呪ったことも忘れていたが、世那との約束だけしっかりと覚えていた。まさか、そんな代償があったとは。
記憶を全て消去できない弊害により完全に封じられなかった脳漿が、同じ容姿を持つ世那と毎日対面することで世良を思い出したのだろう。巴江家の記憶を雲散霧消させる力の強さ故か、あまりにも不鮮明で夢だと勘違いしているが、いつ消した記憶を思い出すか分からない。雪葉は世良の身を案じて、手に汗握りながら問う。
「月井の記憶ってまた消せるのか? 世良の存在って知られても平気なのか?」
「そもそも、世良のことは別に隠していないので、呪いや僕達の力を覚えてなければ消す必要はないです。思い出したのなら、世良に代わりに罵倒してもらいましょう」
察したらしい世那が安心感を与える微笑を咲かせて、心配無用だと教えてくれた。世良が現実世界で極端に表に出て来ないだけで、特に秘匿な情報だったわけではないらしい。緊張の糸を緩めた雪葉は、ドッと疲弊感に襲われて脱力する。
「そんなことで呼んでやるなよ」
「ですが、僕は罵るなんてしたことないですし……」
「まぁ、それはそうだな」
白子の望みを世良に託そうとする世那に苦笑するも、困ったように眉を垂らす彼女の正論を聞いて肯定した。幼少期から共に過ごしているが、世良みたいな口調で話していた記憶も、喧嘩した際、相手に罵詈雑言を浴びせていた記憶もない。
幼き日々を思いだし物思いに耽っていた雪葉だったが、突如、隣から容赦のない強い力で誰かに押し飛ばされる。無防備だったところに不意打ちを受けて横に倒れた雪葉は、床に脇腹を打ち付けた痛みに一瞬だけ呻いてから世那の方を見た。
「いつまで白子の巴江ちゃんを独り占めしてるのよ! 返して!」
「いや、月井のじゃないだろ」
いつの間にか世那の前に膝立ちしていた白子が、頬を膨らませて大切な親友を強く抱き締め、不満を顕にして好敵手である雪葉を睨めつけている。身体を起こし足を投げ出して座りながら、雪葉も少し不平を滲ませた半眼で白子を見上げた。
「お前のものでもないけどな」
「おわっ、世良!? 急に替わるなよ、びっくりするだろ!」
「何で私がお前に配慮してやる必要があるんだよ」
瞬間、白子の腕の中で大人しくしている世那の口から、世良を彷彿とさせる口調で雪葉への否定が飛んでくる。目玉が飛び出そうになる雪葉に相変わらず辛辣だった。世那の時、おおよそ見ることのない不機嫌そうな淡黄檗の瞳に晒されていると、白子がぱあっと顔をキラキラと輝かせて興奮気味に頬を擦り寄せる。
「意地悪な巴江ちゃん! 言うこと聞かない白子を躾けて、無理矢理、出来立てほやほやの熱い食べ物を食べさせて!」
「無防備に誰にでも飛びつきすぎじゃね?」
「巴江様だからですよ!」
案じているようで抱擁を嫌がっている風に見える世良にお構いなく、両手をガッシリと強く握り締め全身から歓喜を溢れさせて絡んでいた。欣喜雀躍する白子の弾んだ声で馴染みのない敬称をつけられ、世良が眉を潜めて訝しげに小首を傾げる。
「……様?」
「女王様的な意味だろ」
「お前を踏んでやろうか」
雪葉が揶揄を孕んだ黒い瞳を細めて解説してやると、世良からその界隈の人に悦ばれそうな目で蔑まれた。世那と世良がそんな特殊性癖の輩と関わるのは不愉快だが。なんて思っていると、世良に虐められた願望を持つ白子から、嫉妬と羨望を含ませた顔で物凄く敵視された。
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