第10話 木之橋凪Ⅱ

「今回の呪いで創り出された異空間は、悪霊の力を借りちまったようだな」


 唐突すぎる展開に雪葉とあさぎが呆然とする中、凪に起こっている異常を知っているのか、面倒臭そうに眉根を寄せる世良。明らかに結衣の時と違う超常現象を目の当たりにし、挙げ句、途切れることなく聞こえる凪の苦しげな叫び声に、雪葉の胸の奥から呪いに関わって初めて恐怖心が芽生える。


「あ、悪霊って何だよ?」


『自我を失った幽霊のことだ。人間の負の感情を利用して力を強引に貸し、対価として人間から魂や身体を奪って力を増やす』


「ああなった以上、悪霊を身体から追い出して、早々に除霊する必要がある。そうしねぇと、あの屑は完全に乗っ取られるからな」


 戦慄しながら震える声で漏らした雪葉の問いに、結衣と世良が黒い渦から目を離さず教えてくれた。ということは、凪は悪霊に取り憑かれている最中なのだろう。同じ考えに至ったらしいあさぎが、不安と心配を宿した顔で世良に尋ねた。


「乗っ取られたらどうなるのじゃ?」


「強くなった力で碌でもねぇことばっかしでかすから討伐対象になるな。つーことで、除霊担当の世那に替わるぞ」


 強張った表情をしたあさぎの質問に答えた世良が、軽く手を振って淡黄檗の瞳をフッと閉じる。しかし、凪を取り込み終えると強くなるのであれば、戦い慣れている世良の方が除霊に向いているはずだ。それに、大鎌で斬ってしまえば、異空間で浄化することも出来る。雪葉は人格の入れ替わりに待ったをかけた。


「だったら、運動神経が高い世良の大鎌で斬って、異空間に飛ばした方が良いんじゃねぇか?」


「いいえ。世良の異空間に飛ばすことは可能ですが、悪霊の浄化に時間がかかってしまうので、その間、大鎌で他の物を斬っても消すことが出来なくなります」


「……それは、困るな」


 既に交代していたらしい世那が瞼を徐に上げて、制服であるプリーツスカートのポケットから、正方形のミニポーチを取り出す。世良の大鎌に一番お世話になっている雪葉が、苦虫を噛み潰したような顔でポツリと呟く中、世那により開いたミニポーチから出てくる小さな壺とハリセン。

 ミニポーチを閉じてポケットに入れ直した世那は、腰を下ろし床に置いた壺とハリセンにそっと触れる。刹那、ミニポーチに入る大きさだった壺とハリセンが、五百ミリリットルのペットボトル並みに成長した。壺に至っては横も膨らんでおり、人間の頭に被せられそうな口になっている。


「そして、この巴江家の専門道具を使えるのは主人格の僕だけです。運動能力に自信はありませんが、世良に任せることは出来ません」


「俺もそれを使えるように出来ないか? 手伝わせてくれ」


「儂も手伝わせてほしいのじゃ」


 壺を両手で持って立ち上がり、ハリセンを脇に挟んだ世那に、雪葉とあさぎは曇りなき眼で協力を申し出た。世那の返答よりも先に、闇に呑まれた凪の咆哮が止まる。凪を乗っ取り終えた悪霊に視線を移した世良が、壺を逆さに持ち直して答えた。


「有難う御座います。でしたら、お二人は悪霊の動きを止めてください。この道具は僕の霊力を使って浄化する為、あまり何度も使えるものではありません。ちなみに、僕以外の人が使った場合、魂を消費するので、雪葉くんにはおすすめしません」


「そ、それは困るな……」


『さっきからそればかりだな』


 世那の代わりにどちらかの道具を使おうと考えていた雪葉は、背筋を走る悪寒により身体を凍り付かせ上擦った声で口ごもる。結衣にジトッとした目を浴びせられた後、邪悪な笑みを浮かべた悪霊が凪の身体を使ってゆっくりと近付いてきた。

 完全に蚊帳の外だったあさぎと目線を合わせて頷き、雪葉は彼女と同時に左右から凪を挟み撃ちにすると、羽交い締めにしようと両腕を伸ばして飛びつく。同じ頃合いで腰にくっついたあさぎのお陰で動きを制限され、凪の身体は雪葉に拘束された。

 今だ! と世那に視線で合図を送ったのも束の間、凪が雪葉の右手首とあさぎの左手首を掴み、人間だと思えない腕力で壁に向かって投げ飛ばす。受け身を取れず背中を強打して、雪葉は軽く脳震盪を起こした。詰まった息を何とか整える。


 自身を捕らえる邪魔者を投げ終えた凪が、雪葉とあさぎの状態を確認するみたく、顔を左右に動かした。男の雪葉よりも華奢で脆いあさぎは気を失ってしまっている。雪葉とあさぎが身動きできないのを確認し、凪は世那を狙って前に視線を戻した。

 すると、雪葉達と同時刻に動いていたらしく背後に居た世那が、気を取られた凪の頭にカポッと逆さにした壺を乗せた。壺が陽光の如く眩い光を放ったかと思えば、その光の塊から失神した凪を軽く弾き出す。近くに居た世那も舞台上に飛ばされた。


 舞台に投げ出されて臀部を打った世那が痛みで呻いていると、怒髪天を衝かれたみたく蛮声を張り上げる悪霊の本体らしき靄。真っ黒なモヤモヤを手の形にし、凪を引き剥がした世那の細い首を掴む。最早、人型でない悪霊に首を絞められ、世那が苦しそうに眉間に皺を刻んだ。


「く、うう」


「世那!」


 窒息の苦しみで動けない世那の細身な体躯に、靄が次々と絡みついて身動きを封じていき、頭から血の気を引かせて声を張り上げる雪葉。あれではハリセンで除霊するなど無理だ。否、それどころか、世那が窒息死してしまう。自分の魂を失う恐怖よりも世那を助けたい感情が勝り、よろよろと立ち上がり世那に向かって手を伸ばした。


「世那、その道具を俺に投げ渡せ!」


「……ッ、すみません!」


 世那もどうしようもないと思ったみたいで、心底申し訳なさそうな悔しそうな表情で、手首だけを動かしてハリセンを雪葉の方に投げてくれる。雪葉は手前に落下するハリセンに駆け寄り、床に着地する前に掴んだ勢いで悪霊に突進した。

 このハリセンをどう使って成仏させるかなど分からない。それでも、悪霊へと無謀に突撃してしまうほど、雪葉の脳漿は世那を助けたい気持ちしかなかった。床を蹴って階段も使わず舞台に跳び乗り、天井に届くほど成長した靄に突っ込む。


「世那を放しやがれぇぇぇぇーーッ!!」


 これで叩けばどうにかなるだろうと予測して、世那を苦しめる敵への怒号を飛ばしながら、雪葉は大きく振りかぶったハリセンで悪霊を強かに叩いた。途端、身体中から力が抜けていき、意識も遠ざかっていく。

 着地に失敗して腹部を床に強く打ち付けると同時に、新月の夜みたく黒かった悪霊を真っ白な光が包み込んだ。声にならない声で金切り声を上げる悪霊と、どんどん体育館に広がっていく温かく眩い白い光。雪葉は目を開けていられなくなり、もう意識を戻せない可能性に苦笑しつつ瞼を閉じる。


 数十秒後、徐々に体育館から白い光が消えていき、恐る恐る黒い瞳を瞼から覗かせる雪葉。うつ伏せで倒れたまま顔を上げても、視界の中に悍ましい靄は映らない。悪霊を倒せたのだと察して、安堵の息を吐いた刹那、身体の脱力感と意識の朦朧が治っていることに気付く。


「あれ、生きてる?」


『あの道具が雪葉の魂の大半を吸収していたから、咄嗟に雪葉の魂を半分奪い返して私の魂で補った』


「そうだったのか。サンキュー、結衣」


 いつの間にか側に座っていた結衣に礼を言い、ほんの少しだけ泣きそうな顔の彼女の頭を撫でた。世那と世良に懐いていると思っていたが、意外なことに手を振り払われない。雪葉は面食らって目を瞬いた後、胸中から湧き上がる歓喜で口を緩める。

 「何だ急に、気持ち悪い」「照れるなって」とニヤニヤしながら、仏頂面の割に撫で撫でを享受する結衣に絡んでいると、反対側の横に世那が駆け寄ってきた。酷く思い詰めたような瞳に涙を浮かべ、後悔を孕む淡い表情と切なげな声で謝罪を紡ぐ。


「すみません。雪葉くんの魂が無事だという保証がないのに、最後の最後にお任せしてしまいました」


「謝る必要ねぇよ。そもそも、俺は世那を手伝う為に着いてきたんだ。何でも一人でやろうとせず、危険なことだろうと遠慮なく頼ってくれ」


 雪葉は痛む上半身を何とか起こして胡座をかきつつ、此処に来てからずっと思っていた本音を伝えた。初めて異界に連れて行かれた際、結衣の為に身を張っている姿を見た時から思っていたことだ。大切な幼馴染をなるべく命の危機に晒したくない。


「ありがとうございます。ですが、危険なことを頼むのは嫌です」


「何でだよ! 俺は世那が危険な目に遭うのは嫌なんだって!」


「僕だって雪葉くんに危ない目に遭ってほしくないです」


 反省の色を見せず危険なことをやろうとする世那に食ってかかると、世那に珍しくムッとした顔でハッキリと拒否される。雪葉と世那のお互いを気遣い合った喧嘩は、早く帰りたいあさぎに仲裁されるまで続いた。

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