第9話 木之橋凪

 世良が無事に大鎌で全てのおにぎりを一掃した後、四人で体育館の扉を蹴破った。舞台の端で偉そうに腰掛けて足を組み、茶髪の男が踏ん反り返っている。結衣が他に魂を感知できない為、今回、あさぎを呪った犯人だろう。

 しかし、月井白子と違って見覚えがない男の登場に、雪葉は「誰だ、お前」という気持ちを前面に押し出した顔を顰める。一人だけ動揺も訝しみもしていないあさぎが、心なしか呆れを含んだ冷静な表情で教えてくれた。


「彼は木之橋きのはしなぎ。先週、儂に告白してくれた同学年の男じゃ。木之橋くん、何故このような呪いに手を出したのじゃ?」


「貴様が僕の告白を受け入れないからだ!」


「しょうもない理由だな」


「そんな理由で呪いに手を出すんじゃねぇよ、面倒臭ぇな」


 声を荒げて立ち上がった凪の呪った理由の暴露に、雪葉と世良は揃いも揃って嫌そうに眉間に皺を刻む。あさぎに会った際、予測していた男絡みで辟易した。そりゃあ、あさぎも呆れるだろう。世良の言う通り、変な嫉妬で安易に呪いに手を出して、幼馴染を危険な目に遭わせるのはやめてほしい。


「お主に恋心を伝える権利があるように、儂にもそれを断る権利があるのじゃよ。儂のことは諦めてくれんかのう?」


「僕を拒否する権利など存在するわけがないだろう? 貴様が此処から出られるのは、断ったことを反省し、僕の気持ちを受け入れたときだけだ!」


 逆撫でしない為か優しい口調で窘めるあさぎを鼻で嗤い、勝ち誇った表情で真っ直ぐな髪を手で払う凪。屋上から飛び降りる犯人にくっつかなければ、呪われた被害者は此処を出られない。それを利用し、傲慢な態度で脅してくる卑怯な手口に、雪葉は不快感を隠しもせずに舌打ちを一つする。


「屑すぎだろ」


「おにぎり百個の刑だな」


「酸っぱいのが嫌いなようじゃ。梅干し中心で頼む」


 世良が慣れた動作で指をパチンと鳴らして、大皿に盛られたおにぎりの詰め合わせを足下に出した。以前、白子に水筒を渡していたし、異空間に荷物を入れて持ち歩いているのだろう。どうして大皿を常備しているのかは不明だが。逆らうと出られないと分かっていても苛立ったのか、便乗したあさぎに弱点を吐露された凪が狼狽える。


「た、食べるわけがないだろう。くだらないことを言って、僕と水野あさぎの間に入ってこないでもらおうか」


「くだらなくねぇよ。私は毎回、此処で食料を無駄にした馬鹿には、胃袋で消費させてるんだ。逃がさねぇぞ」


「ひっ! な、なんだ、その大鎌は!?」


 動揺を露わに軽く身を引いて騒ぐも、淡黄檗の瞳を妖しく眇めた世良に大鎌を出され、面持ちを本格的に困惑から怯えへと変えた。雪葉は既に生きている人間を斬れないと知っているが、確かに何も知らずに鋭利な刃の武器を見れば恐怖を感じる。

 初めて助けてもらった時のことを思い出しつつも、欠片も憐憫など沸かない雪葉の脳漿には、「いいぞ、世良。もっとやれ」という応援しか浮かばなかった。胸中の声援を受け取ったみたく世良が大皿を持ち、腰が引けている凪の方へと徐に進む。


「ほら、おにぎりは用意してやったぞ。早く食え」


「や、やめろ! 僕に近付くな!」


「自分で食えねぇんだったら、私が食わせてやろうか? ほら、あーん」


 警戒の色を滲ませた顔を蒼くした凪の横に大皿を置き、おにぎりを一つ手に取った世良が、彼の足の間に身体を潜り込ませて差し出した。容姿端麗な美人に上目遣いで微笑を湛えられ、妖艶な色香を纏わせた含みのある視線に晒され、凪は警戒を強めながらも頬をうっすらと赤らめている。


「ぼ、僕の機嫌を損ねたりしたら、屋上に行かず体育館に居座ってやる! お前達は此処から出られなくなるぞ!」


 美少女に迫られて満更でもなさそうに赤面していたのに、腰を上げて舞台の中央まで逃げた凪が不機嫌だと喚いた。逃げられた世良が何度か目を瞬いた後、おにぎりを異空間に戻して舌打ちをする。世良なら言うことを聞かずとも帰れるだろうに引き下がった。この異界へと繋がる門は世良と雪葉しか通れないのかもしれない。


「そうだ、大人しく僕に従え! 此処では僕が最強なんだ!」


 世良を退けることに成功して自信を取り戻した凪は、畏怖を完全に消滅させ驕慢な態度で胸を張って威張る。嫌そうに眉を寄せた世良に、溜息と共に大鎌と大皿を雲散霧消させ、調子に乗って居丈高に命令まで始めた。


「取り敢えず、金髪の女はそこにに居る冴えない男に、さっきのおにぎりを食べさせておけ。手ずから食べさせるのが嫌なら口移しでも良いぞ」


「調子に乗ってんじゃねぇぞ、てめぇ。世良で下品な妄想するんじゃねぇ」


「な、何故怒る!? 無愛想で暴力的とはいえ、美少女におにぎりを食べさせてもらえるんだぞ!?」


 雪葉が威圧感を乗せた低い声で憤怒の炎を燃やすと、やはり世良の接待にご満悦だったらしい凪に、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で驚愕される。「やっぱり悪くなかったんじゃねぇか」と、見ていて不快だった世良の色仕掛けを思い浮かべた。冷たくされた記憶しかないのに、自分以外で楽しむ世良を見たくない。

 脅しているつもりだったのか、世良は凪の暴露にキョトンとしている。もう少し自分の顔面偏差値の高さを自覚すべきだ。と、少し世良の貞操観念を気遣いつつ、雪葉は勝ち気な瞳でフッと余裕綽々に口の端を釣り上げて答える。


「その美味しい展開はお前が見てない時にじっくり堪能するさ。おい、世良。あの男は俺が引きずってでも屋上に連れて行くから、従う必要はねぇぞ」


「私がお前なんかと美味しい展開になってやるわけねぇだろ!」


「ぐえっ!」


 勝利を確信して凪の元に駆け寄ろうとした刹那、雪葉の鳩尾に世良のローファーがめり込んだ。強烈な蹴りを諸に急所に入れられて、潰れた蛙みたいな悲鳴と共に崩れ落ちる。何度か咳き込み息を整えてから、掠れた声を絞り出して世良を咎めた。


「せ、世良……鳩尾は駄目だろ、鳩尾は」


「お前の頭が沸いてたから、冷ましてやったんだよ」


 蹲って苦しむ雪葉の丸まった背中に降ってきた世良の声は、急所を狙ったことに対して悪びれる様子など欠片もない。確かに変なことを口走った雪葉が悪い為、世良からの謝罪なんて求めていなかったが、鳩尾を蹴るのは過剰防衛だと思う。


「ふ、ふはは。頼りになる男手も失ったようだな! 水野あさぎ、此処から出たければ、僕を振ったことを土下座で懺悔した後、付き合ってもらおうか!」


 引き摺って連れて行ける唯一の男子の撃沈に、口をポカンと開けた間抜け面で唖然としていた凪が、得意満面に高笑いをして勝利を確信した声であさぎに手を伸ばす。あさぎは両腕を組んで苦虫を噛み潰したような顔で溜息を吐くと、覚悟を決めた水色の瞳を真っ直ぐ凪に突き刺した。


「儂がお主の手を取れば、もうこのような事件は起こさぬと約束しくれぬか?」


「勿論だとも。そもそも、僕だってこんな不気味な呪い、もう二度とやりたくない!」


「……――そうか」


 決然としたあさぎの芯のある透き通った声で紡がれた条件に、凪が興奮気味に鼻息を荒くして即答で肯定する。それを聞いたあさぎは、顔を伏せて一歩踏み出した。凪の言う通りにするつもりだと、この場に居た全員が悟った。

 小鼻を膨らませて胸を昂ぶらせながら、息を荒げて舞台から飛び降りる凪。爛々と輝く茶色の双眸に期待と劣情を滲ませ、舞台の前で両手を広げてあさぎを待つ。あさぎが毅然とした迷いのない足取りで凪の元に到着した刹那。


『我ガ霊力ヲ使ッタノハ貴様ダッタカ』


「えっ?」


 不意にしゃがれた重苦しい声が体育館に響いた。瞬間、戸惑う凪の周囲に闇色の渦が旋回を始める。その闇はどんどん大きく膨らんでいき、近くに居たあさぎを雪葉の法に吹っ飛ばした。雪葉は反射神経を駆使して彼女の元に駆けつけ、自分の身体を下敷きにする。あさぎに怪我の有無を尋ねようとした途端、凪が喉が張り裂けんばかりの大声で絶叫した。

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