第8話 水野あさぎ

 すっかり忘れていた今回の被害者の存在を思い出し、結衣に魂を感知してもらって向かった二階にある二年二組。誰も居ないのを確認して扉を開けた世良を先頭に、中に入って隠れていた呪いを受けたであろう人物の元に赴く。結衣曰く、雪葉や世良以外の魂の気配は、一番奥の机の下から感じるらしい。

 揃って覗き込んだ雪葉と世良の視線と、見知った顔の先輩の視線がかち合う。先輩の名前は水野みずのあさぎ。雪葉や世那の実家と同じ商店街で花屋を営むご近所さんだ。あさぎは水色の瞳を丸くして雪葉と世良を交互に見つめ、ホッと安堵の息を吐いて机の下から這い出てくる。既に何度か追われたようだ。


「世那ちゃんと雪葉くんも呪われてしまったのかえ? お客様に良い役務を提供するよう心掛けておったが、儂等の商店街もまだまだ発展途上のようじゃな」


「あー、成る程。先輩を呪った犯人は、商店街のアンチって線もあるのか」


 ポニーテールに結われた水色の髪を揺らしたあさぎの反省を聞き、犯人候補が校内だけとは限らない可能性に眉間に皺を刻む雪葉。それはそうだ。高校で噂を知った生徒達が、校外で家族や友達に話しているかもしれない。その内容を知った家族が、世間話のノリで更に広めれば、生徒や教師以外にだって呪いを発動できる。


「いや、美人は同性の恨みを買いやすいって聞くぜ。同学年の女じゃねぇか?」


『待って。あの人に告白して玉砕した男が、フラれた恨みで呪った可能性もある』


「世良の予想も結衣の予想も大いにあり得る。やっぱり、美人って大変なんだな」


「何だか世那ちゃんの雰囲気が違うような気がするのじゃが、人違いかのう?」


 面倒臭い予感に頭を抱えていた雪葉は、世良と結衣の容赦ない意見に考えを改めた。すると、三人の考察を聞いていたあさぎが、世良の脇に手を入れて持ち上げる。やはり同性相手だと無警戒なのか、世良は足をぷらぷら揺らしてされるがままだ。


「まぁ、人違いと言えば人違いだな。私の名前は巴江世良。詳細は伏せるが、世那の味方だ。あんたを助ける為に此処に来た」


『ちなみに、私は夜咲結衣。雪葉と世那と世良を守る為に憑いてる守護霊。この空間に居る間だけは貴女にも視えるから、一応、名乗っておく』


「お前ら揃いも揃って先輩に対してタメ口かよ」


「構わぬよ。校則故、目を瞑っておるが、本当は堅苦しい敬語など嫌いなのじゃ。儂の名は水野あさぎ、よろしく頼む」


 抱き上げられた状態で普通に自己紹介をする世良と、それに乗っかって名乗る結衣の生意気な態度に、雪葉が呆れた表情で注意をする。しかし、二人のタメ口を笑って許容したあさぎは、むしろ無遠慮な言葉遣いを望んできた。雪葉も視線で乞われたが、今更、縦社会の規律を破る気になれない。


「よし、次はさっさと犯人のところに行くか。今は授業中だろうし、おにぎりも追ってこねぇだろ」


「俺が逃げてる間に、チャイムが鳴ってたのか」


「ああ。休み時間に見つかれば襲われるが、授業中なら見つかっても教室から出て来ねぇ。行くぞ」


「なるほどのう。そういう仕組みじゃったのか」


 拘束から解放され地に足をつけた世良が、雪葉の疑問を肯定して扉に向かう。一番頼りになる彼女を先頭に、顎に手を当てて得心するあさぎを囲む形で、四人は二年二組を後にした。授業中で閑散としている廊下を進み、結衣曰く体育館から感じるらしき、雪葉達以外のもう一つの魂の持ち主の元へと急ぐ。

 階段に到着した刹那、すぐ隣の第一理科室の扉が勢いよく開いた。実験の授業を受けていたはずのおにぎり達が、雪崩の如く廊下に吐き出されて積み上がる。そして、驚いて立ち止まった雪葉に向かって、下敷きにしてやろうと言わんばかりに倒れてきた。咄嗟に飛び退いた雪葉は、逃げながら世良に問う。


「世良さん? 授業中は襲ってこないとか言ってませんでした?」


「今回以外、全部そうだったな」


「めちゃくちゃ敵意剥き出しで襲ってきてるんですが!?」


 隣を走りながら少し上を向いた世良から自分の記憶に不備なしと告げられ、聞いていた展開と違いすぎる現状に目を剥いて渾身のツッコミを叫ぶ雪葉。正直、自分に何らかの原因があるのだと、頭ではきちんと理解している。世良が悪くないのも分かっている。それでも、授業を放り出すおにぎり達に、ツッコまずには居られなかった。

 踊り場でグチャグチャに絡まっていたおにぎり達は、親の敵を見つけた復讐者みたく追いかけてきている。見間違いだと断定するには増えすぎている理由は、一階に降りた瞬間、横の図工室からも飛び出してきたからだろう。廊下を駆け抜けて逃げ続けていると、今度は世良に疑いの眼差しで尋ね返された。


「――お前、此処の空間に何したんだ?」


「少なくとも、異界の常識をぶっ壊すほどの悪さはしてねぇよ!」


「雪葉くんは儂よりおにぎりに好かれておるんじゃな」


 胡乱げな淡黄檗の瞳を浴びた世良に免罪だと吠え、雪葉は不思議そうにチラリと後ろを見たあさぎに釣られ、嫌な予感と共に恐る恐る振り返る。彼女の言う通り、後方のおにぎりからの襲撃割合は、呪われたあさぎより雪葉の方が圧倒的に多い。


「何でだぁぁぁぁぁーーッ!」


『雪葉、数が多すぎる。力を使って』


「くそっ、あんまり使いたくないのに!」


 ギュウギュウ詰めになり中身を出しつつも、なりふり構わず飛びついてくるおにぎりに、雪葉は強張った顔の結衣に従って手のひらを目の前で翳す。瞬間、雪葉の手が青白い光に包まれて、眼前のおにぎりが何個か姿を消した。「おお、凄いのう。儂にも何かできぬじゃろうか」と、あさぎが呑気に感心して両手を見ている。

 口に体当たりしてきたおにぎりを回避し、ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、驚いたのか固まっていた周囲のおにぎりが、一斉に雪葉に向かって突撃してきた。雪葉は白米の波に呑まれて身動きできなくなり、流れの早いプールに捕われたたみたいに廊下を流される。為す術もなく非常口から外まで放り出された。


「ぬあぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーッ!?」


「今の反撃で怒らせたみたいだな。助けてやるから、ちょっともがいてろ」


 北館と体育館を繋ぐ道でおにぎりに揉みくちゃにされる中、飛んできたのは重い腰を上げて大鎌を振るう世良の有難い言葉。大量のおにぎりに熱々の身体を押しつけられ、雪葉は制服の裾を伸ばして手を隠して追い払った。


「だから、あっちいんだよ!? そんな出来たてなんて食えるか!」


「米粒一つでも口に入れば、黄泉戸喫になるから気をつけろよ」


「難易度が肉まんより高ぇ!」


 ブンブン両腕を振り回したり、結衣の力を借りて、ほかほかの米を遠ざける雪葉に、廊下であさぎを守る世良が遠くから追い打ちをかけてくる。殴り飛ばしたり振り払ったおにぎりが潰れ、顔面に降りかかってくる米粒を腕で拭って、絶望的な状況に騒ぎながら世良の助けを待った。

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