第6話 巴江世那Ⅱ

 月井白子に呪われてから一週間後、雪葉は幼馴染の世那を招き、自室で期末テスト対策の勉強会を開催していた。黒を基調とした部屋の中央に置いた木目調のローテーブルに、テスト範囲を開いた教科書やノート、問題集などが広がっている。平均的な成績の雪葉と違って、常に上位に居る世那は、止まることなく問題を解いていた。

 が、不意にピタリと動きが止まる。苦手な問題に苦戦して頭を悩ませていた雪葉は、何かあったのかと問題集から顔を上げて世那を見た。険しい表情で全て解答済みのページを睨み、淡黄檗の瞳から微かな怒気を放っている。問題が分からない苛立ちではなさそうだ。雪葉は妙に深刻な顔をした世那に、恐る恐る問いかける。


「ど、どうした?」


「――君は記憶がなくなっていないので隠さずに言いますが、久しぶりに誰かが呪いを成功させてしまったみたいです」


「呪いって……」


「はい、好物を糧にして相手を異世界に引き摺り込むアレです」


 冗談だと笑い飛ばすにはあまりにも真剣な声色の世那に、嫌な予感をひしひしと感じつつも聞き返せば、案の定、脳裏に浮かんだものと同じ内容だった。雪葉は大量の肉まんに追い回された夜を思い出し、苦虫を噛み潰したような顔をする。

 余談だが、屋上からの紐なしバンジー後、世那は白子にのみ部分的な記憶消去を行っていた。故に、白子は当事者にも関わらず、世那と今度遊ぶという約束しか覚えていない。雪葉も消去の対象だったが、幼馴染権限で拒否させてもらった。


「マジかよ。どんだけ嫌いでも、相手を呪うのは間違ってるだろ」


「僕もそう思います。ということなので、勉強会は一時中断でも良いですか? 犯人が屋上から飛び降りる前に、呪われた方を救出しに行ってきます」


「待て待て待て、何で一人で行こうとしてんだ。俺と結衣も行くに決まってんだろ」


  仏頂面で憤る被害者に頷き、眉を顰めて腰を上げた世那の服を、置いてかれぬよう慌てて掴む雪葉。まさか同行を提案されるなど思っていなかったらしく、世那が不機嫌そうな顔をキョトンとさせた。少し見開かれた淡黄檗の瞳を何度か瞬いた彼女に、心配を色濃く含ませた不思議そうな声色で問われる。


「今回は食べ物に狙われないとはいえ、何が起こるか分からないので危険ですよ?」


「だったら尚更、着いて行く。幾ら世那と世良が強くたって、そんな危ないところに一人で送り込めるかよ」


『雪葉の言う通り。私の守るべき対象は、貴女も含まれている。放って置けない』


 覆す気のない固い意志を伝える雪葉に続き、結衣が半透明の身体で世那の正面に抱きついた。あの学校から戻って来てから、霊体である結衣を視認できるのは、宿主の雪葉と特別な力を持つ世那だけだ。試しに白子が観えているか確かめた際、雪葉だけ頭がおかしい人を見る目でドン引きされた。理不尽である。

 あの時の白子の汚物に向ける眼差しを思い出し、雪葉は半眼で口元を引き攣らせた。すると、雪葉の同行に悩んでいた様子の世那が、困ったような照れ臭そうな微笑を湛える。まるで、気遣いを喜んでいるみたいだ。やはり、幾ら強いといっても、あの場所に単身で挑むのは心細かったのかもしれない。


「でしたら、雪葉くんと結衣さんは、僕の代わりに探しものをお願いできますか?」


「探しもの?」


「噂を流した黒幕もしくは黒幕を断定できる決定的な証拠です」


 与えられた仕事内容の詳細を尋ねる雪葉に、世那は小さく頷いて顔を曇らせる。肉まんに追いかけられては、世那に助けてもらった記憶しかないが、あの場所にそんな変わったものがあっただろうか? 雪葉は両腕を組んで一週間前の出来事を遡る。

 ちなみに、黒幕は結衣ではない。爆速的な早さで流行った呪いが、結衣の力を勝手に利用して作った異空間に、雪葉を送り込んだだけだ。好物を糧として相手を送る場所は、適当な霊の力を借りて生まれるらしい。つまり、結衣も被害者なのである。


「あの噂は流行らせたい誰かによって意図的に流された。僕はそう考えています。幾ら学生の好奇心を擽る内容だとしても、あまりにも広まるのが早すぎるんです。それに、あんなに人がたくさん居るのに、誰から聞いたのか曖昧なのは変だと思います」


「確かに、誰から聞いたかぐらい、朧気でも覚えてるもんだよな」


『黒幕が記憶を消しているということか』


 恐るべき早さで広まったことを疑う世那の意見に、雪葉も「なるほど、確かにな」と顎に手を当てて同意を示した。しかし、結衣の口からさらりと告げられた可能性に、「いやいや、待ってくれ」と胸中でツッコむ。口に出さなかったのは、結衣の声が真面目だからだ。

 世良みたいに大鎌で肉まんを異空間に送ったり、世那のように霊を魂に憑けることができる人間が、何の変哲もない高校にそんなに何人も居てたまるか。と、心の底から否定したくなる自分を押さえ込み、非現実的な体験をしたことで微かに芽生えた半信半疑の自分を出す。


「普通の人間にそんなことできるのか?」


「一般人には無理ですね。恐らく黒幕の方は、僕や世良と同じく何かしらの力を持つ者、もしくは雪葉くん同様に守護霊に守られている可能性があります」


『誰かが呪いを発動する際の負の感情を取り込んで、現世に干渉できるようになった悪霊という筋もある』


「そうですね。呪いを広めたのは、力を手に入れる為かもしれません」


 雪葉の困惑した声色の問いかけにも、結衣の現実的でない案にも、世那は至って真剣な顔で首を縦に振った。どんどん着いて行けなくなる会話の内容に、混乱する頭を抱えそうなのを何とか耐える雪葉。二人の脳内をあまり理解できずとも、やるべきことは分かっているんだと、狼狽えている心を落ち着かせる。

 よく分からないが、取り敢えず、何か怪しいものを探すだけだ、何も難しいことはない。そう思えば、少し平静を取り戻すことに成功する。そこで、これ以上、自身の脳漿に負担をかけられるのを避ける為、雪葉はあくまでも楽観的に理解している風を装い、明るく笑って二人の難しい話を終わらせにかかった。


「なんかスケールがデカくなってきたな。まぁ、証拠を掴めばどっちか分かるんだ。世那の代わりに俺が目を凝らしておくさ」


『私も協力する、任せて』


「有難う御座います」


 結衣が雪葉に乗っかって決意表明をしてくれ、世那も喜色満面にふわりと相好を崩す。雪葉は強引に締めたことに僅かに罪悪感を感じつつ、無事に作戦が成功したことに密かにガッツポーズをした。同行許可をもぎ取って喜んでいると思われたのか、世那にもう一度「有難う御座います」と愛らしい笑顔付きで礼を受ける。

 「お前を一人で行かせるか」などと強気で啖呵を切ったからか、分かっていないのに何やら妙に頼りにされている気がするが、実際に現地に行けば何とかなるだろう。そんな嘗めたことを考えていて話を聞いていなかった雪葉は、いきなり視界の端に現れた大きな門に、何の心の準備もさせてもらえないまま吸い込まれた。

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