第4話 月井白子

 周囲に配慮皆無な世良の前で生き残ることなど、不可能なのだと物理的に身体に叩き込まれていき、遂に最後の肉まんの集団が視界から消されていく。人に無害だと頭で理解していても、目の前を鋭い刃が通り過ぎるたび、雪葉の背筋を凍り付かせていたが、ようやく終わり胸を撫で下ろした。鎌を肩に担いだ世良が、地面に座り込みしょんぼりしている白子と目線を合わせる。


「ようやく気持ちが落ち着いたか?」


「うぅ。迷惑かけてごめんね、巴江ちゃん。白子、我慢できなくなっちゃって」


「主に迷惑かけられたの俺なんだけど」


「蓮見くんには謝らないわよ」


「デスヨネー」


 世良には瞳を潤ませて上目遣いで謝罪したのに、雪葉に対して嫌そうな顰めっ面で睨め付ける白子。分かっていてツッコミを入れた雪葉は、口元を引き攣らせて遠くに顔を向ける。世那が友好的に接してくれる為、気付いていなかっただけで、もしかして女の子に嫌われるタイプなのだろうか。世良にも白子にも冷たくされて、雪葉は異性への対応の仕方に自信を失う。


「別に謝罪は要らない。ただ、どうしても悪いと思ってるなら、私が今まで異空間に集めてきた肉まんを全部食べてもらおうか」


「えっ?」


 涙目で落ち込む白子に悪戯っぽく艶美に口の端を吊り上げた世良が、キョトンとする彼女の眼前に肉まんを一つ取り出して見せた。どうやら異空間に移した肉まんを犯人の胃袋に全て詰め込む作戦は本気だったようだ。淡黄檗の瞳に怪しい光を滲ませて含みのある笑顔を浮かべる世良と、憐憫の眼差しを送る雪葉を交互に見て、白子が困惑している。自分を脅迫しているのは大好きな世那の容姿だが、流石に少し白銀に瞳に恐怖を宿していた。


「安心しろ。異空間で浄化はしてあるから、人体に害を及ぼすことも、黄泉戸喫になることもねぇ。不安なら私が先に食べてやる」


「おい、待っ……」


 すると、戸惑う白子に場違いなほどふわりと柔らかく破顔した世良が、雪葉の焦燥に駆られた制止に従わず、異空間から出した肉まんを一口食べる。雪葉は世那の身体に何かあったらとゾッとし、背筋に冷や汗を垂らしながら呆然と経過を見つめた。開いた口が塞がらない白子と雪葉の熱い視線を浴びている世良は、何食わぬ顔で肉まんを食べ進めていき遂に完食する。

 雪葉が思わず身体を隅々まで観察すると、苦虫を噛み潰したような顔の世良に蔑まれた。めちゃくちゃ心配させたんだから、雪葉は悪くないと思う。最初、雪葉同様、気遣いを双眸に宿していた白子は、口をポカンと開けたまま世良の一挙手一投足に見惚れていた。恋する乙女みたいな恍惚とした表情を湛えていて、本当に世那のことが大好きなんだと一目瞭然である。


「次はお前だ。まさかあんなに大量の肉まんを、食べもせずに捨てるわけないよな? ほら、上を向いて口を開けな。自分から食べる勇気が出ないってんなら、私が一つ残らずお前の口に捩じ込んでやるよ」


「ひゃ、ひゃい。お願いします」


 そんな白子からの視線を一身に受けていた世良は、少し面食らった表情で目を瞬いた後、楽しそうに相好を崩して肉まんを彼女の唇に当てた。頬を色づかせて目をとろんとさせた白子が小さく口を開くと、躊躇なく熱々の肉まんを放り込んだ。一番好いている要素が世那の容姿なのか、同じ見た目の世良にも恋心に似た感情を持ち始めており、そんな拷問染みた食べさせ方にも胸を昂ぶらせて悦んでいる。

 湯気により出来たてほやほやあつあつだと分かる食べ物を、はふはふしながら世良に食べさせてもらうこと四回目。見慣れた水筒を取り出した世良が、白子に冷たい麦茶を差し出す。熱さと歓喜で涙目になりつつ世良に麦茶を飲ませてもらっている白子は、健全な男子高校生の理性に宜しくない甘い吐息を漏らして悦を感じていた。雪葉は段々と居たたまれなくなってきて、仄かに赤くなった顔を逸らす。


「……世良が月井に肉まんを食わせてるだけなのに、なんか見てはいけないものを見てる気分になってきた」


「なら、手で目元でも隠してろ。助平」


「余計なことを言って白子と巴江ちゃんの至福の時間を邪魔しないで」


「この場に居る女子が誰も俺に優しくない件について」


 瞬間、興奮気味に餌付けしていた世良から汚物を見るような目を向けられ、涎を垂らし幸せそうに口を緩めていた白子から絶対零度の眼差しを向けられた。大事な幼馴染である世那と瓜二つな見た目の世良はともかく、白子に対して好意的な感情など小指の爪ほどもないのに、異性に冷たい視線を浴びせられたという事実だけで心にダメージを受ける。「落ち着け、月井は俺を呪った犯人だぞ」と自分に言い聞かせた。

 刹那、世良と白子の近くのフェンスが青白い光に包まれ、三人を軽い衝撃波で屋上の出入口付近まで吹き飛ばす。超人的な身体能力で持ち直し着地した世良と違い、受け身を取れずドアに背中を軽く打ち付けて息を詰まらせる雪葉。咳き込みながらよろよろと立ち上がり、神々しい光を放っている場所に視線を集中する。三人を吹き飛ばしたのは、年齢一桁ほどの幼女だった。雪葉を睨む瑠璃色の瞳が冷え切っている。


「せ、世良。なんかやばそうな子供が出てきたけど、どうするんだ?」


「さぁな」


「えっ?」


 雪葉は見るからに闇を抱えた幼女に顔を引き攣らせて縋るも、突然の幼女登場に動揺していない世良に、軽く一蹴されてしまった。今まで助けてくれていたのに、ここにきて愛想を尽かされたか!? と焦る。正直、世良の助けがなければ、幼女から逃げるどころか、此処から出るのも至難の業だろう。白子の心が落ち着いたとはいえ、肉まんだっていつ襲ってくるか分からない。

 一人で慌てふためきながら好感度を上げる媚び方を模索していると、安心感を抱かせる穏やかな微笑を湛えた世良に覗き込まれる。散々、冷たい態度を取られていた故か、不意に温和な笑みで見上げられて雪葉の胸が高鳴った。頬に一重梅を咲かせて狼狽える雪葉に小さく笑い、世良は雪葉の全身へと素早く視線を走らせる。いつの間にか、世良の手から大鎌が姿を消していた。


「怪我はないようですね。世良がきちんと守ってくれたみたいで安心しました」


「世那!?」


「はい。あの子を何とかするのは、僕の役目なので」


 眉尻を下げて困ったような安心したような笑みを携えた幼馴染に、心臓が飛びでそうなほど驚いて尻餅を突く雪葉。丁寧な口調で幼女を真っ直ぐ見つめる姿は間違いなく世那で、別に何も後ろめたいことなどしていないのに、妙な罪悪感に苛まれながら早鐘を打つ胸に手を当てた。

 何となく気まずくて世那から顔を背けていると、衝撃波を受けて気を失っていた白子が目を覚ました。痛みに呻きつつ上半身だけ起こし、不安で揺れる瞳で周囲を見渡す。非現実的な出来事の連続で理解が追いつかないのか、先程まで蕩けていた満面を恐怖に染めている。そんな彼女に温かい笑顔で近付いた世那は、片膝を突いて安心感を与えるように抱き締めた。


「白子さん、すみませんでした。雪葉くんとの予定を優先して、最近あまり遊べていないことに気付かず、寂しい思いをさせてしまいましたね。此処から脱出した後、久々に二人でどこかに出掛けませんか?」


「……うん!」


 怯えて強張らせた身体を震わせていた白子が、白銀の瞳を大きく見開いて涙腺を緩ませた後、喜色満面な顔を綻ばせて頷く。欣快に堪えない様子で照れ臭そうに嬉しそうに口元を緩ませており、雪葉も世那を独り占めし過ぎたことを少し反省した。

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