第2話 巴江世良
「は?」
コンビニで買い食いをして帰宅した後、夕飯を食べて風呂に入ってから宿題をし、母が持って来てくれた肉まんを食べたら、夕暮れ時の見知らぬ小学校の校舎に居た。あまりにも突拍子もない不可思議な現象に、雪葉は夕日を浴びた廊下で一人立ち尽くす。唖然として周囲を見渡していると、近くの教室の窓から大量の肉まんが見えた。
人の顔程の大きさの肉まん達が、均等に並べられた椅子に座り、机上に教科書を広げて授業を受けている。十七年間、共に過ごしてきた己の目を疑う雪葉だったが、馴染みのあるチャイムの音色で我に返った。授業の終わりを告げる鐘の音を聞いて、一斉に席を立った肉まん達が、人語ではない言語を用いて挨拶らしきものをしている。
そして、天辺に長方形の籠を乗せた、教師らしき肉まんが教室から出て来た。当然ながら廊下に突っ立っていた雪葉と、バッチリ鉢合わせる。目鼻口も身体もなく表情を読めない為、宙に浮いた肉まん教師が何を考えているのか分からない。が、脳漿がガンガン警鐘を鳴らして、雪葉に逃げろと警告している。それに従って身体ごと方向転換し、全力で廊下を駆け抜けた刹那、肉まん教師が籠を投げ捨て追いかけていた。
「うおぉぉぉっ!? 何で見知らぬ場所で肉まんに追われてんだよ、俺!? つーか、教室に居た生徒達まで追って来てんじゃねぇか! 走る(?)の速ぇな!?」
雪葉に狙いを定めた肉まん教師を筆頭に、教室は出て来た肉まん生徒達も迫ってくる。しかも、足音で居場所をあちこちに知らせてしまい、通り過ぎる教室から続々と生徒らしい肉まん達が飛び出て来た。
世界記録を目指す勢いで廊下を走り抜け、四クラス分の肉まんに追われつつ昇降口に出る。そのまま階段を下りようとした直後、昇降口を挟んだ向こうにあるコンピューター室まで、肉まんを噴出した。あっという間に、四方八方を取り囲まれる。
「あっちぃ!? あっちぃな! 出来立てほやほやじゃねぇか!」
階段に辿り着く前に挟み撃ちにされた雪葉は、湯気を立てた大量の好物に揉みくちゃにされた。ただ浮いているだけの肉まんに殺傷能力は皆無だが、まるでコンビニで買ったばかりの商品みたく熱い。その状態でやたらと口を狙って突撃し、食べさせてこようとしてくる為、火傷狙いだろう。
「くそっ、口ばっかり狙って来やがって! 調子に乗ってるとマジで食い尽くすぞ!」
「お前、黄泉戸喫って知らねぇの? それとも、肉まんと住むのが夢だったのか?」
「あっぶねぇ! やたら口を狙って食わせようとしてくるのはそういう事かよ!? あと肉まんと住みたい願望はねぇよ!」
いい加減に苛立って肉まんを脅していた雪葉は、頭上から聞こえてきた呆れたような声で我に返り、慌てて口元に集まっている好物を手で払い除けた。怒涛の勢いで迫る肉まんに押し倒された雪葉の瞳が、半眼で己を見下ろす見慣れた制服姿の世那を捉える。思わぬ人物との再会に驚いて目を見開いた刹那、世那により大きく薙ぎ払われた等身大の大鎌が、仰向けに寝転んだ雪葉の顔面間近を通り過ぎた。
すると、鋭利な刃に触れた肉まんが、風船みたくパンっと破裂して消え去る。間一髪のところを何往復かしたところで、全ての肉まんが欠片も残さず雲散霧消し、ようやくゆっくりと上半身を起こす雪葉。激しく脈を打つ心臓部に手を当てて、自分が生きていることを確かめた後、恐怖と驚愕で乱れた息を整えてから、勢いよく起き上がって涙目で世那に詰め寄る。
「うおぉぉぉーーい!? こんな狭い場所で何の躊躇もなくそんな物騒なもん振り回すな! 死ぬかと思ったじゃねぇか!?」
「うるせぇな、生きてる奴は斬れねぇよ」
「それでも一言教えとけ! 顔面スレスレを刃物が往復するとか心臓止まるわ!」
涙目の雪葉に騒がれて鬱陶しそうにしていた世那は、小さく嘆息してから不機嫌な顔で幼馴染に抱きついた。突然の抱擁にキョトンとする雪葉の胸に耳を当て、少し落ち着いてきた心音に耳を澄ませる。そして、不満気な瞳で雪葉を見上げて呟いた。
「止まってねぇじゃん」
「止めたかったのかよ! なんかお前、この場所だと、やたらと俺に冷たくね!?」
「当然だろ、私は世那であって世那ではないからな。お前に優しくする義理はねぇ」
「世那じゃない?」
見た目同じなのにいつもと違う態度を指摘した雪葉は、素っ気なく答えてツンとそっぽを向いた世那を観察する。腰まで伸びた真っ直ぐな淡黄檗の髪と瞳も、制服に包まれた体格や身長も世那と変わりない。もっとよく違いを探す為、彼女の頰に手を添え、茜色の空を見ていた顔を自分の方に移動させる。不意に触れられた驚きで瞬きを繰り返す世那(?)に、眉間に皺を寄せた難しい顔を目と鼻の先まで近付けた。
「確かに、よく見たら違——うぐっ」
「キモい、離れろ」
何となく雰囲気の違いを把握したところで、世那に似た女の足が容赦なく鳩尾にめり込む。地団駄を踏む子供みたく勢いよく急所を蹴られ、雪葉は堪らず鳩尾を両手で押さえながら蹲った。不愉快そうに雪葉を見下ろしている女子に、反省の色はない。
「距離感バグってた俺も悪かったけど、いきなり蹴ることねぇだろ!? 口で言え! 口で!」
「何も言わずにいきなり近付いてきたお前に言われたくねぇ」
「それはごもっともだな!? すまん!」
情けなく水気を含んだ黒い瞳で元凶を睨め付け、痛くて苦しい腹から声を絞り出して文句を言うも、論破され自分の行動の失礼っぷりを自覚する雪葉。確かに幼い頃から共に過ごしてきた世那相手ならともかく、さっき知り合ったばかりの女子にしていい触れ方ではない。見た目が世那の分、距離感を掴み辛く、複雑な顔で頭を掻く。
「世那じゃねぇなら、お前は一体誰なんだ? 名前は?」
「私は主人格である世那を守る為に生まれた副人格だ。名前は——……
「苗字は世那と同じなんだな。つーか、すげぇ嫌そうな顔で躊躇すんな、傷付く。どんだけ俺に名前を教えたくなかったんだ」
顰めっ面で渋々と名乗った副人格の態度に、雪葉はキュッと痛む心を手で抑えて項垂れた。幼い頃から気の置けない存在である世那の姿で、嫌そうな顔や罵倒を浴びせられると地味に効く。世那に嫌われている錯覚を起こして傷付いていると、世良がいつまでも腰を上げない雪葉に小さく嘆息し、待つのを止めたのか廊下を歩いてどこかに向かった。雪葉は慌てて追いかける。
「おい、どこに行くんだよ?」
「お前を呪った犯人のところ」
「つーか、肉まんはどうしたんだ?」
迷いなく突き進む世良の横に並び、肉まんが居なくなった教室を覗いた。机上に教科書や筆記用具が置かれたままの為、ほんの数分前まで居たのに突然消えたみたいで、教室内に不穏な気配を漂わせている。向かい側にある南館に伸びた昇降口前の階段を使い、三階に移動した世良が不快そうに顔を歪めて答えた。妙に苛立っている。
「お前を引き摺り込んだ犯人に全て胃袋で廃棄処分させる為に異空間に保管してる」
「それは黄泉戸喫にならないのか?」
「呪った奴は屋上から身を投げれば、何があっても現実世界に戻れるんだ。呪われた奴は犯人と一緒に落ちれば、大好物を食わされてねぇ限り帰れる」
「マジかよ。なら、急がねぇと——」
世良の回答を聞き焦りを滲ませた雪葉の言葉は、突如、放たれた無機質なチャイムの音にかき消された。休み時間の終わりを告げる合図にしては、あまりにも遅すぎる。ならば、このタイミングで響く機械音は、少なくとも二回目ではない。二回目は肉まんに揉みくちゃにされている間に鳴っていたらしい。
雪葉は脳漿に浮かんだとある可能性に、口の端を引き攣らせ乾いた笑みを湛えた。間違いであってほしいと胸中で祈ってみるが、隣に居る世良が面倒臭そうに舌打ちをした為、残念なことに高確率で正しい推測なのだろう。刹那、まるで巻き戻して再生したみたく、先程同様、教室から肉まん教師が出てきた。
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