第30話 これは浮気に入りますか…?

 朝食後「既に遅刻確定だからゆっくりしよう」と竜胆さんからの勧めもあり、コーヒータイムを挟んでリラックスした後、僕たちは玄関まで出て来ていた。


「宮沢、忘れ物はないか?」


「うん。大丈夫だよ」


 ここに来る際に持って来たものといえば貴重品を入れたミニポーチくらいだった。


「…俺、本当に宮沢宅にお詫びに行かなくてもいいのか?」


「いいって、気にしないで」


 泊めて欲しいと頼んだのは僕の方であって、竜胆さん側に何の責任もない。


 昨夜僕からああいう話を聞いたばかりなのに竜胆さんは律儀だ。


 まあそこが竜胆さんの良さでもあると思うんだけど。


「ほら竜胆さん、いこ?」


「あぁ…あ、宮沢。ちょっと」


「ん、どうしたの?」


「髪にホコリがついてる」


「え、ほんと?とって、とって」


 チュッ


「……へっ?」


 唐突な頬への柔らかい感触に思考が停止する。


 今なにが起こったの…?


 髪に付いたホコリを取ってほしさに竜胆さんの方に身を寄せたらいきなり影が覆ってきてそれで…


「……」


 確かな感触がした頬を僕は手で押さえた。


 ドクドクッと熱を孕んでるように熱かった。


 チラッと目の前にいる竜胆さんを窺うと耳が真っ赤だった。


 どうかしたか?という白々しい表情を浮かべているが。


「なに、今の!?」


「キスだ」


「そんなのわかってますが!?」


 もしかして僕のこと馬鹿にしてる?


「なら…いいんじゃねえか」


 何ひとつ全然良くないんだけど…


「……」


 まさか竜胆さんがいきなりこんな事をしてくる人だとは思わなかった。


 や、いきなりサラッとイケメンなセリフを吐いてきたり、安心させるためとはいえこちらにナチュラルにボディタッチをしてきたりと思い返すとまあまあ…。


 でも流石にキスは積極的すぎるでしょ!


 だけど、なんだろう…不思議と嫌な感情は湧かなかった。


 代わりに心臓の鼓動が先程から急加速している。


「それに昨日言ったろ?もう我慢しないって」


「……そんなこと言ったっけ?」


 初耳だと思うけど。


「……言ったぞ?」


「んー…?」


 レスポンスが遅れた竜胆さんを怪しみつつ昨夜の記憶を漁ってみる。…がしかし該当箇所は見当たらなかった。


「…すまん、やっぱ言ってねぇわ。俺の記憶違いだった。だがまあ…そういうことだ」


「どういうこと?」


 つい真顔で僕は聞き返してしまう。


「……まあ俺も人間だってことだ。昨日きっぱり振られたけどさ。ずっと好きだったんだよお前のこと。だから好きな男と昨日は一緒に寝て何もしないってのは健全な女子高生的には我慢の限界だったんだ」


 嘘か誠か本当のことは分からないが、そう語った竜胆さんは後頭部を掻きバツが悪そうにしていた。


「……」


 なんだかそういう言い方をされるとこちらも罪悪感が刺激され何も言い返せなくなるな…


「ほんとすまん。嫌ならもうしない」


「竜胆さん…」


 頭を下げて謝罪した後、ふにゃっと力なく微笑んだ竜胆さんの表情を見て、思わず胸がキュッとなった。


 キス…


 竜胆さんと…


 これが最初で最後…


「あ、あのっ」


 あれ、僕今何を言おうとしている?


「…宮沢?」


「い、いいよっ」


 やば、止まらない。


「?」


「き、キスッ、し、したいならっ」


「は?」


「かっ、勝手に、したい時にすれば良いじゃんッ!」


 じゃん…じゃん…じゃん…


 残響となって玄関内でこだまする。


「はっ…はっ…」


 心拍数が際限なく上昇し呼吸が荒くなってくる。僕は激しい体力の消耗を感じていた。


 竜胆さんは衝撃の事実を知らされた人みたいな表情を浮かべて固まっている。


「なななっ自分がなにを言ってるのか分かってるのかっ!」


「わ、分かってるよ。恥ずいからわざわざ聞き返さないでよ…馬鹿」


「わ、わるい」


 僕がこのような許可を出したのは決して竜胆さんとのキスがこれで最後だと思うと寂しいからだとかそういうんじゃなくて。その、罪悪感が凄いからっ。そう、それだ!僕は極力竜胆さんの望む事をしてあげたいんだ。それが恩返しに繋がると考えているから。他意はない。うん、そう。絶対にない。


「みやざわ…」


「あっ」


 くる。さっそくだ。いつもとは違う竜胆さんの声音に思わず身構えてしまう。


「っ…」


 至近距離で竜胆さんと目があった。


 その距離は相手の吐息を感じられそうなくらい近かった。


「宮沢、すきだ」


 再び告白されそっと優しく肩を抱かれる。


 竜胆さんの整った顔が近づいてくる。


 僕はそれに抵抗はしなかった。


「ん…」


 自然と目を瞑って身長の高い竜胆さんに合わせてやや顔を上向きに固定させその時を待った。


 チュッ


「!?」


「…ふ、なに期待してたんだよ?」


 ニヤッとしてやったりの表情を浮かべる竜胆さん。


「なっ」


 僕は予想していた箇所とは違う、おでこに口づけが来て、僕は目を見開いたまま固まる。


 これは誰がどう見ても唇にする流れだったでしょ…。うう、これじゃあ僕の方が竜胆さんとキスすることを期待しているみたいじゃん。唇ちょっと突き出しちゃってたしめっちゃ恥ずかしいんだけど…。カァァと一気に顔中の温度が上がった。


「もうっ、竜胆さんのバカっ!アホっ!おたんこなすっ!」


「お、おたんこなすって、うおっ!?…わっ、悪かったよっ。だからそんな、ははっ、くすぐったい。ポカポカ叩くのやめろ」


「むぅ~~!」


 僕は竜胆さんにくすくす笑われ子供の相手をするみたいに軽くあしらわれるが構うものか。


 今僕は辱めを受けたんだ。このこのっ!と反応を見るに全く効いてなさそうだけど竜胆さん目がけて全力ポカポカをかます。


 今僕の心には復讐の炎が燃えていた。


「くち……流石に……坂にって……っちまった。俺もまだまだだな…」


 え、今なんて?


 僕は復讐の炎を燃やすのに忙しくて、ボソッと呟かれた竜胆さんの言葉を上手く聞き取れなかった。


「ん、なんでもない。それよりそろそろ学校へ行くか」


「え、うん…」


 なんか今サラッと話を流されたような気がするけど気のせいだよね。

 

「宮沢、手出せ」


「……はい」


 差し出された竜胆さんの手を見て僕は一瞬ためらう。がしかしこれはキスと同様に恩返しの為なんだから勘違いしないでよね!と誰に向けてか分からない言い訳をした後、そっと添えるように竜胆さんの手に自らの手を重ねた。


「また繋いじまったな」


「っ」


 そう言って向こうからギュッと力を込められて、繋いでいるという事実を明確に意識させられる。


 恋人である朱里ちゃんを裏切る最低の行為をしているはずなのに、竜胆さんのそのニヤッと悪戯心も含むでも本当に嬉しさが伝わってくるような素敵な笑顔を見ていると、こちらも自然と何かが満たされ頰が緩んでしまう。


 ドクッドクッドクッドクッ


 さっきから上がりっぱなしの僕の心拍。


 (はぁ~っ、やばいよ~)

 

 僕はいったいどうしちゃったんだろう。


 もう竜胆さんのせいで感情がぐちゃぐちゃだった。

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