第25話 神坂朱里は思い返す…
私、神坂朱里は彼氏である宮沢庵から送られてきたメールを眺めていた。
ガァンッ
気づいたら、私は我慢できずに近くにあった椅子を蹴り飛ばしていた。
ありえない、ありえない、ありえない。
『今日は用事で行けなくなりました。』
庵が私に逆らった?まさかそんな…これは何か悪い夢か…?
頬を抓ってみるが現実は変わらない。
一年の頃ならいざ知らず、今の庵が私に逆らえるはずがない。
いったい何が起こった?
「チッ」
ただでさえ使いに出した双子姉妹が戻ってこなくて苛立ちが募っているというのに…
なあ、庵。どうしてだい?
君は彼女である私の言うことに絶対服従するのが義務のはずだろう?
「あぁ…会いたいよ、庵」
今すぐ会ってめちゃくちゃにしたい。もう二度と私に逆らえないように再教育を施したい。
昼はあのオスガキの話が長かったせいで二人きりの時間が取れなかったし、あの意味不明なヤンキー女に絡まれて気分も最悪だった。
「はぁ…庵、庵、庵庵庵庵庵庵庵…」
足りないよ。全く足りていないよ。今すぐに庵成分を補充したい。
なのになんでいないの?なんで私のそばに来てくれないの?ずっと私のそばにいてよ。もう私には飽きてしまったのかい?なあ答えてくれよ庵…
「ふっ、ふふっ、ははっ」
あぁ、可笑しい。まったくもっておかしい。
ふと自嘲の笑みが漏れてしまう。
いったいいつからだろうか…こんなに庵しか見えなくなってしまったのは。
少なくとも昔の私はこんな色恋に踊らされるような愚かな人間ではなかった。
・
私、神坂朱里は政治家である母と元商社マン現社長の父の間から産まれたサラブレッドだ。
そんな血筋から産まれてきたせいで幼少期の頃から私には自由がなかった。
厳しい英才教育の日々。必要不必要は関係なくあらゆる分野を叩き込まれた。
決められた時間に決められた分量のタスクをこなす。子供だからといって一切の容赦はない。
もしやりたくないと愚図れば、人々が想像するお尻ペンペンなんて生優しいものではなく、地下にあるお仕置き部屋という場所で、何もない空間の中、丸一日飲まず食わずで過ごす事を強制させられる。
そして弱り切った身体中を本物のスパンキングラケットで何百と打たれまくる。
あれ凄く痛いんだよ。思い出すだけで背筋に寒気が走り、身震いが起きてしまうよ。
そうして無事私は親の言う事を聞くだけの人形になりましたとさ。ははは。
その他にも娯楽、人間関係、食事など様々なものを徹底的に管理された。
当然だけど親から愛情というものを感じた事なんて一度もない。
だけど私は日々淡々と愛してくれない二人のため、良き血筋に生まれた娘として恥ずかしくないように振る舞い続けた。
幸い学校では虐められることはなかった。それは親の権力と私自身の容姿や能力が高かったせいだからだと思う。
私から見て同級生たちはなんというか…一人残らず下等生物に見えた。
無能で、醜悪で。
ノホホンとただ生きているだけで褒められ、甘やかされて。
私とは全くの別の生き物だと思った。
それでも私は言い付けを守り、優等生を演じ続けた。
媚びへつらってくる学友たちに内心辟易し見下しながらも、表面上は愛想よく見えるように振る舞う日々。
財閥の娘として常にトップに立ち続けて皆を率いる。そんな肩が凝る学校生活を送った。
とにかく何もかもがつまらなかった。
だが学校で同い年の子と触れ合ったというのが大きな刺激になってしまった。
比較が発生してしまった。今までは思考停止のようにただ親の言う通りにすれば何もかも良かった。うちの家がおかしいのではないか、と疑う余地がなかった。
「あれ?」
だから一度気づいてしまえば、子供の私には耐えられない。
ある日、唐突にプツッと我慢の限界が訪れた。その日初めて私は親子喧嘩というものを体験した。
髪や服を引っ張ったり、殴ったり蹴ったりと熾烈な争いは数時間にも及んだ。
最初は大人しく口論からだったんだけど母があのお仕置き部屋に私を無理矢理連行しようとするからついカッとなった。
おそらく反抗的で口煩い私の気力をまず裂こうとしてたんだろうね。
必死に応戦した。そこらへんにある小物を手あたり次第に投げまくったり、小さい身体の利点をフルに活用して逃げ回ったり。とにかく勝機を見つけるまで耐え忍んだ。
だから出張中だった父が現れた時は終わったと目の前が暗くなった。
大学時代にラクビーを本気でやっていた父に私は体格差以上のもので押し負けた。
とにかくボコボコに殴られた。顔も身体も容赦なく。鼻血は出るし、お腹は軋むように痛いしほんと酷いよね。
ここまでされたのは今回が初めてで、私はぽっきりと心が折れかけた。
でも、と当時の私は思った。ここで負けたら一生こいつらの奴隷だぞ、と。
そんなの絶対嫌だろ。なら戦えってね。気合を込めた。
それからの記憶は正確ではないけど、とにかく死に物狂いで戦ったように思う。
今までは母相手だったからというのもあり逃げたり守ったりと防衛型の手段を取っていた。
しかし父相手にそうは言ってられない。相手を傷つけてもいい、その覚悟を持って私は攻勢に打って出た。
ハサミやフォークなどの鋭い物から、鈍器になりそうな高級な壺までとにかくなんでも使った。ただがむしゃらに。己の自由をかけて。
「はぁ…はぁっ…ふぅ…」
最後に立っていたのは私だった。頭から血を流し身体中擦り傷を作っていたけど。私だった。
火事場の馬鹿力ってすごいね。子供の力でも大人に勝てるんだよ。
ああ別に殺してはいないよ。ちょっと母と父には頬や腕に軽く擦り傷をつくってもらっただけ。ほんと一週間くらいすれば綺麗さっぱり治るくらいの傷だ。
ただ自分たちがこんな小娘にやり返されるとは夢にも思わなかったんだろうね。
「ばけものッ!」
そう母は悲鳴を上げ必死に父にしがみつき、私に怯えたような表情を向けていた。
「……」
父はこんな幼い私に一矢報いられたのが衝撃的だったのか。しばらくの間、動かなかった。
まあ次第に私のことを何か薄気味悪いものを見る目つきで見てきたけど。
母に『あなたなんて生まれてこなければよかったんだわッ』って言われた時は流石にくるものがあった。こんなのでもちゃんと私の母親で、今の今まで私はこの人達のために頑張ってきたんだから。
だけど私もすぐに『あなたたちの元に生まれてこなければよかったっ』って、すぐに言い返してやったよ。
そう無理矢理にでも言い返さないと心が危うかった。
こんな一般的に見たら大事件が私たちの間で起こったわけだけど、翌日からは全員何事もなかったように過ごした。
おそらく母と父が愛してやまない世間体様のためだろう。
だから私は家族の縁を切られてどこか遠い親戚に飛ばされることがなかったんだろうと思う。
それからの日々は私が何をしようとも両親は決して口出してくることはなかった。中学の期末テストで満点を取らなくても怒鳴ってこないし、習い事をサボってもお仕置き部屋へ連行されることもなくなった。
最後の一線さえ越えなければ、私よりも愛してるその世間体様のご機嫌を伺い若干苦い顔はすれど、何も干渉はしてこなかった。
私はその幼い身で自由を勝ち取ったんだ。遅れながらそう実感が湧いてきて当時の私はずっと嬉しくて泣いていた。
高校は自分自身で行きたいところを選ぶことができた。
私自身のスペックに変化はないのである程度優秀な生徒が揃う環境に行きたい、今まで押さえつけられてきた反動か校則が少ない自由な校風が好ましかった、そしてなにより制服がダサくないこと。
この三つの希望に合致した高校が今通っている高校なのだった。
とんでもない進歩だった。きっと小学生の頃の自分に言っても信じてくれないだろうな。
そして母と父からは高校祝いにタワマンの最上階で一人暮らしする権利をプレゼントされた。
十中八九、家にいてほしくないのだろう。私はにべもなく了承した。
「ふぅ…」
こうして晴れて自由の身になった私は、校舎までの桜舞い散る並木道をゆっくりじっくり隅々まで味わい尽くすように歩いた。
(ああ…これが自由か)
まるでここから第二の人生を始めるような清々しい気持ちで胸の中が満たされていた。
そして高校初日の入学式の日、
(へぇ、珍しい。隣の席男の子なんだ)
私は庵に出会った。
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