第26話 神坂朱里は生まれてきた意味を知る…

 初めて庵を見たときは真面目そうな、悪く言えば根暗そうな男の子という印象があった。



 目元を隠す前髪、芋くさい黒縁メガネ、遊ぶことを知らない制服の着こなし。



 負のオーラというか、とにかく関わってくるなよオーラが強くて珍しく男子生徒がいるという事にもかかわらず女子たちは誰も彼に話しかけようとはしなかった。



 私の場合、せっかく隣の席になれたご縁と(勝ち取った自由の中で)青春をエンジョイする精神を大切にしていたので思い切って彼に話しかけてみる事にした。



 それに時折彼が私の方をチラチラ見ていた事は気づいていたし、もしかしたら彼は人見知りなだけで本当は誰かと仲良くしたいのではないかと考えて。



 (あれ~おかしいな…)



 最初の一週間くらいはフルシカトだった。まるでこちらの声が一切聞こえていないみたいに反応を示さなかった。



 特別自分が嫌われているとは思っていなかったが、ここまでとなると流石に何か知らないうちに彼に嫌われるような事を私はしでかしてしまったのかと不安になる。



 だがしかしおもしれー男だというのは間違いなかった。



 昔から私の周囲にはあわよくば甘い蜜を啜りたいと媚びへつらってくるよいしょ人間しかいなかった。



 この私をぞんざいに扱ってくる、彼みたいなタイプの人間とは初めて出会った。



 不思議と嫌な感じはしなかった。むしろ…



 こうして私は彼への興味を持った。



 二週間くらいだったかな。初めて庵から返事っていうか、意思疎通が出来たのは。



 その日は次の時間が移動教室で皆が前もって教室から出払っていたにも関わらず、彼一人だけ自分の席でスヤスヤと気持ちよさそうに寝息を立てていた。



 (みんな酷いことするなぁ…一言だけでも声をかけてあげればいいのに)



 まあそれは馴染もうとしなかった彼自身の自業自得か…



 すたすたと私は構わず彼に近いていく。



 そしてツンツンっと彼のその柔らかそうな頬をつついてみた。



「ぅ…んぅ?…」



「お~い。おきろー」



 私の声に反応した彼はスローな動作で、まだぼんやりしているであろう頭を上げて眠そうな目で私を視界に収めた。



「……」



「……」


 

 無言で睨めっこしたのも数秒。次第に状況が読めてきたであろう彼はゆっくりと綺麗に頬を朱に染めていった。



「やぁっ、みないでっ」



 ガバッと彼は机に顔を伏せてしまった。



「なんで?よだれが垂れているから?」



「ね、寝顔っ見られたの無理無理無理っ。やば恥ずかしい恥ずかしいっ……え?涎?」


 

 今度はガバッと顔を上げた彼と目が合う。まるで衝撃の事実を知らされた人間みたいな表情をしていた。



「うん、涎。はい、これハンカチ。遠慮せずに使っていいよ」



 私はポケットから未使用のハンカチを取り出し、彼に差し出した。



「……」



 彼は先程よりも赤面してワナワナ震えていた。



「し、信じられないっ。デリカシーっ、そこは見ないふりしてよっ!」



「ふふっ、ごめんごめん。つい可愛くて。意地悪したくなっちゃった」



「っっ、な、なんなんですかっ、あなたはっ!」



 可愛いって言われるの嬉しいんだ。怒ったふりしながらも彼の口角は少し上がっていた。



「君も知っている通り、私は神坂朱里だよ。宮沢庵の隣の席で、君に興味を持っている人間だよ。こうやってしっかり話すのは初めてだよね。よろしく」



 そう言って私はそっと彼に手を差し出した。



「そんなこと知ってま…えっ?興味?え、それはどういう…?あ、よ、よろしくお願いします」



 彼は混乱した様子であるにもかかわらず握手に応えてくれる。



「ふっ」



 照れたり、怒ったり、驚いたり、こんな感情豊かな男の子だったんだ。



 私は口元の緩みが抑えられそうになかった。



 やがて彼はハッと気づいたみたいで、教室内をキョロキョロ見渡していた。



「…じゃ、私はもう行くよ。移動教室の場所はわかるよね?時間ももうあんまりないみたいだし急ぐんだよ。それじゃ」



 本当はもうすこしだけ彼と話していたかったけど、私も私で我慢の限界だった。



 だから本来の役目を終えた私は教室から出ようと歩き出した時、



「あ、あのっ、起こしてくれて、その…ありがとうございます…」



 彼に袖を掴まれて、こんな可愛らしい感謝をしてもらった。



 私は立ち止まらずにはいられなかった。



「それで、相談なんですけど…」



「なんだい?」



 大方予想はついてるけど私からは決して言わない。モジモジする彼の様子を眺める。やがて彼は決意を瞳に宿らせて…



「い、一緒にっ、教室まで行きませんかっ!し、親睦を深めるためっ。クラスメイトだし…あっ、嫌なら、その、別に。いいんですけど…」



 と全然よくなさそうな、こちらに期待した眼差しを向けて来る。



 もしここで私が断ったらどうなるんだろうと一瞬意地悪な思考が浮かぶが、彼からの提案は私も純粋に嬉しかったし、もっと話してみたいと思っていた。



「…あの?」



 とそこで私が黙って思考していたのが良くなかったのか。彼は断られると思ったのか上目遣いで私の顔を不安そうに覗き込んでいた。



「ふっ、ふふっ、あぁ…」



「な、なんで、わらってるんですか?」



 彼はとても愛らしい人間だった。



 振り返ると、この時から私は興味の枠組みを超えて彼に夢中になっていたのかもしれない。



 今まで出会ってきたどんな人間とも彼は違う。この男の子ならちゃんと私を見てくれる。なぜかそう強く思った。



 神坂朱里15歳、隣の席の男の子に生まれて初めての恋をしたのだった。



 それからは、所構わず私は彼がタジタジになるくらい話しかけまくりコミュニケーションを取った。またその愛らしい姿を見たい、彼ともっと仲良くなりたい、その一心で。



 自分の衝動が抑えられなかった。



 一ヵ月を終える頃には彼も私に慣れてきたのか普通に会話が成り立つようになっていた。ユーモアを交えた雑談で取り繕わない彼の本当の笑顔がぽつぽつと見え始めている。



 周囲は気づいてないみたいだけど私だけは知っていた。



 その長い前髪と黒縁眼鏡の奥に潜んでいる、その整った相貌を。



 彼が笑ったふとした拍子にチラッと見え隠れするのだ。たまらなかった。



 私が見目麗しく性格も控え目な彼を誰にも取られたくないと思うようになったのは自然だった。その強い思いは私に勇気を与え、彼に告白するまでに至った。



 返事の結果はOKだった。



 なんとなくそういう空気は察していた。だから断られることはないと分かっていたのだが、やはり膨大な喜びの感情が胸の中にひしめいてつい彼を強く抱きしめてしまった。



 そこからの庵とのお付き合いの日々は幸福を極めた。今まで誰かと愛し愛されをしてこなかった反動も大きいだろうが、それにしてもだった。



 私は彼に思い切ってこれまでの私の人生を打ち明けた。最初は驚き、言葉も出ないといった様子の彼だったが、話が進むにつれて私の為に涙を流すその姿に私は純粋に綺麗だなと思った。



 彼は私に理解を示してくれた。今までよくがんばったねと言ってくれて抱きしめてよしよしまでしてくれた。



 (あぁ…ここだったんだ)



 私が生まれてきた理由は。


 

 彼の温かさに包まれながら思う。



 きっと今までの暗黒時代はこの幸福を掴むための前奏でしかなかったのだ。



 それならお釣りが出るくらいだよ。今までの事なんてほんとちっぽけな障害だった。



 私は本気でそう思った。庵と出会ったことが私のすべてだと悟った瞬間だった。



 そう、私と彼が出会うのは運命であらかじめ定められていたんだ。



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