第16話 ずっとつらかったんだ…

 朱里ちゃんとお付き合いを始めて三カ月経った頃。



「ごめんっ、遅れちゃったっ」



 今日は初めて朱里ちゃんの家で遊ぶことになっていた。



 それなのに、僕は委員会の仕事で時間を大幅にロスし放課後いつもより長く彼女の事を待たせてしまっていた。



「いいや。気にしなくていいよ」



 僕は申し訳なさでいっぱいだったけど、朱里ちゃんは笑って許してくれた。『むしろこんなに長い時間よく頑張ったね』と頭をポンポンして褒めてくれた。


 

 いつもの優しい朱里ちゃんで僕はほっと安堵の息をこぼした。



「……」



「……」



 二人っきりの帰り道。もしかして今日はお家でそういうことをするのかなと内心ドキドキさせていた。



 勝手な想像だけど付き合って三ヶ月はそろそろいいんじゃないだろうか。巷のカップルさん達はどうしているんだろう。



 一応その時に備えて今日はいい下着を履いてきた。…僕ってスケベなのかな。



 朱里ちゃんの横顔をこっそり窺う。繋いだ手からこのドキドキがバレて、嫌われてしまわないか不安だった。



「あっ」



 ふと彼女と視線が絡み合ってしまい、慌ててしまう。



「庵、大丈夫だよ」



 (あぁ…)



 ふっと朱里ちゃんが穏やかな微笑みを浮かべながら言ってきた。途端に僕の中から緊張や不安といったものが消えていき、代わりに浮かんだのは安心感だった。

 


 僕って本当に朱里ちゃんの事が大好きなんだなぁ…という嬉しい実感がじんわり心に浸透していく。



「ここが私の部屋だよ」



「お、おじゃまします…うわぁ」



 辿り着いた朱里ちゃんの家は俗にいうタワマンだった。外装を見ただけで目ん玉が飛び出るくらい驚きだったけど、内装もこれまた凄かった。



 言い方は少し悪いけど流石は大財閥の一人娘の部屋ってレベルで広くて高級感溢れるシックなデザインの部屋だった。



「ほぇ〜」



 見慣れているフェミニンな自室の内装とは大きく異なるその空間。物珍しさから僕はまるでおのぼりさんのように視線をあちこちに向けてしまう。



 カチャッ



「…っ」



 ふいに部屋の鍵が掛かった音がした。



 (もうするのかな?)



 再び心臓のドキドキが訪れる。こういうのって何かワンクッション挟んだりしないのかな。僕もこういうシチュエーションは初めてだから詳しくは知らないけど。まずはお茶をしてお互い一息吐いてからとか、身体の汚れを落とす為に先にお風呂に入ってからとか。まあでも朱里ちゃんも女の子だしそういうことは早くしたいよねと自らを納得させる。



 長らく待たせてしまった分、今日はいっぱい気持ちに応えてあげようと僕は意気込む。そしてもっと朱里ちゃんに僕のことを好きになってもらおう。



 ドンッ



「へ?」



 そんな決意する僕を嘲笑うように、朱里ちゃんは唐突に僕の事を突き飛ばしてきた。



 ギシッ



 後ろにあるベッドに倒れ込んだ。どうしたの?と僕は困惑して朱里ちゃんの事を見上げる。ノータイムで朱里ちゃんが僕の上に覆いかぶさってきた。



「…っ……ぇ……な……で……」



「…え、なに?どうしたの?」



 明らかに朱里ちゃんの様子がおかしい。さっきからボソボソとこちらが聞き取れない声量で何かを呟いていた。いったいどうしたんだろう。



 知らぬうちに僕が何か粗相をしてしまったのだろうか。恋人の家を訪れるのなんて初めてだったし気づかない所でやらかしている可能性は高かった。



「あの…」



「……」



 長い髪に隠れて今彼女がどのような顔をしているのか分からなかった。でも、できれば先程見たような優しい微笑みを浮かべていてほしいと無理なことは分かっているけど願う他なかった。



 僕が今本能的に感じているのは恐怖。必然的にのトラウマを思い出しそうになって自然と僕の身体が小刻みに震え出していた。



 僕の喉からは『何かしちゃったかな?』や『ごめんなさい』など簡単な言葉も出てくれやしなかった。そして、



「なんでっ…なんでッ私以外の女と喋ってるんだよッ、このクソがァッ」



 ボコォッ



 キッとこちらを鋭く睨み付ける彼女と目が合ったと思った瞬間、僕の頰がまるでトラックに撥ねられたかと疑うくらい強い衝撃を受けた。



「……?」



 僕は何が起こったのか咄嗟には分からなかった。どういうこと?と次々に湧き出す疑問や遅れて襲いかかる鈍痛が酷くて、頭が真っ白になって咄嗟に動けなかった。



「今まで私がどれだけ我慢してきたと思っているッ…このクソビッチがァッ!…庵は私のものだぞッ…わかってんのかァッ…ああァッ!?」



 彼女はマウントポジションを取り、執拗に何度も何度もその両拳で僕を殴りつけた。お陰で身体中が痛くて苦しくて辛い。



「ひッ」



 またあの目だった。最近は薄れてきていた過去の傷がパックリと開いた。僕はパニックに陥る。生存本能からか、頭が上手く働かない中必死に腕や足をぶんぶん振り回して抵抗を試みる。



「おとなしくしろやァッオラァァ゛ッッ」



「…ぃ゛っ……っぅ……」


 

 だが、そのほとんどは意味を成さず。むしろ彼女の手痛いカウンターが厳しい所に入ってしまい僕の身体が悲鳴を上げ始めた。勝手に目の端からはポロポロと涙が幾つも零れ落ちてくる。



「くっ…ぅぅ…」



 要領の掴めない彼女の言葉から察するに、どうやら僕が彼女以外の女の人と話したことが許せないらしい。今までずっと我慢してきたとかも言っていた。



「ふぅっ…」



 それなら。折れかけていた心。僕は最後に勇気を振り絞る。本当に僕が好きなのは朱里ちゃんだけだと証明する。信じてもらうまでとにかく気持ちを伝え続けるんだ。



「まって、はっ、あかりちゃ「口答えするなやァッ」」



 ゴガァッ



「う゛っ……ぃ……」



 彼女の力拳が顎に入ってしまう。やばい。段々と意識が朦朧とし始めた。



 なんでこんなことに…なんでなんでなんでっ



 僕はただ朱里ちゃんと…こんなのは嫌だ嫌だ嫌だっ



「…はっ…ぁ……」



 痛みを通り越してもう身体のどこにも力が入らなかった。これはもう無理かもしれないと僕は早々に悟り、ベッドの上でぐったり脱力してしまう。文字通り無駄な抵抗を諦めた。



「このッ、クソがァッ、反省しろッ」



 ドガッ ボゴッ バギッ



「…ぅ゛っ……こふっ……ぁ……」



 ぶふっと口から胃液が飛び出す。こうして僕は彼女の気が済むまで無抵抗に殴られ続けた。



「ハァハァ…あははッ…」



 殴り続けていた朱里ちゃんは頰を上気させてうっとりした表情を見せていた。荒い息を吐いてまるで獣のようだと思った。



「フーッ。じゃ、ヤるか」



 え、まさか…うそでしょ



 その後、僕は彼女に裸に剥かれて、彼女が満足するまで何度も何度も永遠に犯された。



 運命とは残酷だ。思い描いていた理想とはかけ離れた最も最悪な形で僕の純潔は散らされることになった。



「私に逆らったらどうなるか分かるよなァ?」



 そして朱里ちゃんに行為後の乱れた裸身姿を盗撮されて、それを餌に脅されて奉仕する日々が始まるのはまた別の話。



 これが僕の過去の全て。



「まあそういう感じだね。今となっては朱里ちゃんとの良い思い出なんだけど、」



 あれ、おかしいな…



「朱里ちゃんってね。夜はちょっと怖いけど、普段は凄く優しいんだよっ、ぐすっ、うっ、竜胆さんっ、これは違うの、これはそのっ」



 拭っても拭っても目から雫が溢れ出てくる。今日はよくこんな風になるなぁ…とどこか他人事の様に思った。



「…宮沢、自分の気持ちに嘘をつく必要はない」



「っ、ん、」



「今までずっと辛かったんだな…」



「え…」



 竜胆さんの言葉を素直に飲み込むまで少し時間を有した。



 僕が、辛い?あの朱里ちゃんと付き合えて、幸せでしかないはずの僕が?



 パリンッ



「あっ」



 その時今までギリギリで押し留めていたものが決壊する音がした。今まで見ないフリをしてきた感情たちが逃げずに過去と向き合った結果今明らかになった。



 思い浮かぶのは昨夜、竜胆さんと出会ったあの場所。僕はいったい何をしようとしていたのか。僕は辛くて救いを求めてあの橋の上から飛び降りる、そんな無意識に自殺を図ろうとしていたんだ。



 そっか、僕。ずっと辛かったんだ…



 ようやく実感する自分の本当の感情。



「あ、あぁっ……」



 今まで我慢していたものが涙やうめき声となって溢れて止まらない。



 そうだ。僕はずっと優しい朱里ちゃんの事が世界で一番大好きだった。



 でも、最近の朱里ちゃんは…



「うっ…ん…うう…はぁっ…ぐすっ…ぅ…」



 これ以上竜胆さんに心配をかけたくなくて、必死に声を押し殺して浴槽の中で泣いた。



 竜胆さんとの距離に扉があるのは有り難かった。おかげでこんなに酷く歪んだ顔を見られずに済む。



「うぅっ、ぅぅぅ」



 竜胆さんは僕が泣いてる間ひと言も発することなく、静かにずっとそばにいてくれた。その優しさに僕は更に涙が止まらなくなってしまうのだった。



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【★あとがき★】


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