第二章 束の間の平穏

第28話 幸せな夢を見た気がする…

 夢を見ていた。それはとても穏やかでかけがえのないものだった。


 気付けば、僕はどこかの家のキッチンに立って、朝ご飯を作っていた。


「ぱぱ―まだー?おなかすいたー」


「こら、もう少し待ってなさい。そしたらパパがうまい飯を出してくれるよ」


 リビングのテーブルには人目を惹く髪色の女性と、その横には眠そうに目を擦る幼い女の子の姿があった。


「ほんと?たのしみーっ、ままのいつもつくるおりょうりよりも、ぱぱのりょうりのほうがすきー!」


 無邪気さゆえに殺傷力を振り撒く少女。


「おいっ!」


「えへへっ」


 女性の方も本気では怒らず、こつんっと優しく少女の頭にタッチしていた。


「じゃあ大好きなパパのご飯ができるまでママと一緒に遊ぶか?」


「うんっ」


「ふふ」


 そんな和むやり取りを背景に朝ごはんを作る。



「「いただきまーすっ」」


「はい、おあがりなさい」


「ぱぱっておいしー!」


 瞳を輝かせながら幼い女の子は僕の作ったご飯を一生懸命口に運んでいる。ほっぺにいっぱいついてて無邪気可愛い。


「ぱぱのごはんはおいしい、な」


 女性が少女に向けて正しい言葉遣いを教えている。


「ぱぱっておいしー!」


「こんにゃろ、うりゃっ」


「きゃっきゃ、やーめーてーっ」


 女性の方が少女の髪をわしゃわしゃして可愛がっていた。


「ふふ、ほんとに仲いいね、二人とも」


 二人に向けてそう言うと、幼い女の子から意外な答えが返ってきた。


「そうだよっ!だってわたし、ぱぱをおむこさんにもらうんだもんっ。らいばるのじょうほうしゅうしゅうはだいじっ!」


「あら?これはもしかしてプロポーズ受けてる?」


「そうだよっ!」


「そっか〜。でももう少し大きくなったらね。それまで頑張ってね、小さな婚約者さん」


 その少女の愛らしさに頬が緩む。


 先ほどわしゃわしゃにされた髪を整えるように、優しく髪を撫でてあげる。


「えへへ、がんばるっ」


「ううー」


 幼い女の子を微笑ましく眺めていると、女性がこちらをジト目で睨んでくる。


「なぁに?あなたもしかして子供相手に妬いてるの?」


「んや、妙に嬉しそうだなーと思ってさ」


「そりゃ…嬉しいでしょ。 自分の子供にプロポーズされたら」


「ふーん」


 どうやらお気に召さないらしい。


「はいはい、あなた。私はあなたが一番好きですよ」


「あーっ!ぱぱっわたしのことはっ?ねえねえわたしのことはっ?」


 すかさず幼い女の子が会話に入り込んでくる。


「もちろん一番好きですよ」


「やったーっ!!」


 少女は無邪気に両手を天に掲げて、喜びを表していた。


「ぶーぶー」


「でも、あなたもそうでしょ?」


 誰だって自分の子供が一番だと思うけれど。


「まあ、それはそうなんだが…」


 ほらやっぱり。


「ならいいじゃない」


「でも…なんだかなー…」


「にゃははっ、ままがめんどくさーいっ」


「おいっ、ほんとお前はどこでそんな言葉を覚えてくるんだっ!」


「きゃーっ、にげろーっ」


「まてー!」


「いやーっ、ままがおそってくるっ、きゃーっ、にゃははっ」


 二人がご飯中に席を立ち、追いかけっこを始めてしまった。うーんこれは…


「二人ともご飯中ですよ?お行儀が悪いです。それに埃が舞ってしまいます。早く席に戻ってくれますか?…あなたも子供が習ってしまうでしょ。気をつけてください」


「うっ。す、すまん…」


「ごめんなさい、ぱぱ…」


 二人してしょんぼりしている。肩を落として俯く様は親子揃って似ていて、二人にはバレないように隠れてくすくす笑う。


「あー、いえ。少し強く言い過ぎちゃいましたね。ごめんなさい。はい、これ飴ちゃんです」


 そう言い、幼い女の子に飴玉を渡す。


「わーいっ!ぱぱだいすきっ」


「ふふ、私も好きですよ」


「パパー、俺にはー?」


「え?ないですけど」


「なんで!?」


 女性が心底驚いた顔をする。


「いや、だってあなた子供じゃないでしょ」


「うぃーす、どーもさーせんでしたー」


「もう、そんな年して拗ねないのっ」


 女性は唇を尖らせてそっぽを向いてしまった。


「もう、しょうがないな…」


 女性に近づき、肩に手を添え、少しだけつま先立ちになる。


「んっ」


 女性の頰に唇を軽く当てたチークキス。


「…足りない」


「えっ、んむっ…んっ…あなた、こどもが…んっ…」


 女性とのキスが盛り上がってしまう。


 女性は逃がさないとばかりこちらの腰を抱いてきて、口内ににゅるにゅる蠢く舌を侵入させてくる。


「いいなーっ、わたしもちゅーするー!」


 ハッとする。そのキラキラした瞳の少女に夫婦の情事を見られてることに気づいて、すぐに女性から離れた。


 もう終わりなのかと女性は不満げな顔で見てくるが、だって子供の前で恥ずかしいし…


「ねえぱぱーちゅーは?わたしにちゅー」


「ふっふっふ、残念だったな。子供のお前にはまだ早い」


「むぅぅ。ぱぱーままがいじわるするー」


「わー大人げないねーママだめだねー」


「おいっ!?」


「ふふ」


「にゃははっ」


「……」


 少女の前で膝をついて目線を合わさる。


「どうしてもキスしたいの?」


「うんっ」


 おねだりするように上目遣いの少女が胴体にしがみついてくる。まったく誰に似たんだろうね。


「いいよ。でも」


「んっ」


 髪を退け、可愛らしく露出したおでこに唇を落とした。


「ママとしたような唇のキスはまだだぁ〜め。そういうのは大人になったらね。わかった?パパとの約束だよ」


「んへへっ、わかったー」


 よかった。本人は両手でおでこを押さえてモチモチの頬を緩ませて満足そうだった。


 そうそう大人になって親とキスしたいだなんて思わなくなるだろうし少し狡い戦法だけど許してね。


 罪悪感を消す為、代わりにぎゅーっと少女を抱きしめ返す。


 あどけない少女の暖かさを満喫する。


「あーっ、もうっ、お前らはほんと可愛いなぁっ!」


「わっ」


「きゃーっ」


 黙って傍観していた女性に少女共々抱きしめられる。


 それは幸せな光景だった。


「……」


 …次第に僕は夢から覚めていく。


 随分と長く見ていたような感覚があった。


「んっ…」


 誰かに体を揺すられる感覚。


「…ざわ、…ろ…」


 ?


「おい…おい、宮沢、」


 声が聞こえてうっすらと瞼を開けた。朝日の眩しさを感じながら、ぼんやりとそこに人影を見る。


「ぁ…かり、ちゃ…?」


「っ、はぁ…ちげぇよ。寝坊助さん」


「ぁぅっ」


 こつんと優しく頭をタッチされる。


「…りんどう、さん?」


 はっきりと意識が浮上する。


「おぅ、やっと起きたか。はよぉ」


「…り、」


「り?」


「りりりっ、竜胆さん!?な、なんでっ?僕の部屋にっ」


「あ~?まだ寝ぼけてるのか?ここは俺んちだぞ」


「あ」


 そうだった。昨夜の醜態を晒した件を思い出す。


 僕そのまま泣き疲れて爆睡したんだった。竜胆さんに添い寝をおねだりして。


 心身共に摩耗して緊急時とはいえ一緒のベッドで寝るとか…ハシタナイ。


「思い出したか?」


「はぃ…そのせつは大変お世話になりました」


 僕はそのままベッドの上でごめん寝するように土下座した。


 恥ずかしくてまともに顔が見られない。それに幾つか気になることもあった。


「ねえ、いびきとか寝言とか大丈夫だったかな?」


「……」


「それは絶対だいじょばないやつ!」


 もう恥ずかしいよ~!


 僕はお布団に包まりカタツムリみたいに顔だけ出して鎮座する。


「まあ気持ちはわかるがそんなことしてる暇はないぞ?」


「え」


「もう八時」


「えぇ!?うそぉ!?」


 もうそんな時間なのっ!?


 さっきまでの羞恥はどこへやら僕はベッドから飛び起きる。


「どうしてもっと早くに起こしてくれなかったのっ」


「起こせるかよ昨日あんなになって。…気持ちよさそうな顔で寝てたら誰だってもう少し寝かしてやりたいって思うだろ」


「え~、でも遅刻確定じゃん〜」


 がっくし肩を落とす。ん…?というか、


「マスクが取れてる…?」


 僕にとっては死活問題。それに今竜胆さんは「気持ちよさそうな顔で寝てた」って。え、待って。


「…竜胆さんもしかしてだけど、僕の寝顔見たの?」


「ああ」


「うそ」


「すまん」


「うぅ~っ」


 再びカタツムリ状態に戻る。あんな目元が腫れたすっぴん不細工顔を見られたなんて。


(うわぁ…恥ずかしい!恥ずかしい!)


「…でも可愛かったぞ?いつもの宮沢はもちろん。すっぴんの宮沢も違う良さがあった」


「っ…それでも恥ずかしいものは恥ずかしいのっ、もういい。顔洗ってくるっ」


 竜胆さんってさらっとドキッとするようなことを言うよね。


 僕は洗顔を言い訳にして逃亡を図る。


「あぁ、いってら。湯を張ってあるから。もう遅刻確定だし開き直ってゆっくりしてこい」


「気遣いの鬼じゃん」


「ん、これくらい普通だろ?」


「え〜そうかな?」


「あと必要そうなものはさっきコンビニで買ってきたから。洗面所に置いてあるやつ好きに使って」


「やっぱそうじゃん」


 何から何までずいぶん優しい。


「で、でもっ寝顔を見たことはチャラにできないよ?…男の子の寝顔は高いんだから」


 僕は意味不明な抵抗する。


「わかってる。たしかにそれくらい可愛かったからな」


「もうやめてくださいチャラでいいです」


 即座に僕は白旗を上げる。とてもじゃないが耐えられそうになかった。


 というか今日の竜胆さんはどこか…


「チャラでいいのか?せっかくお礼に美味しい朝ごはんつくろうと」


「えっ、ほんと!?」


「あぁ。そのつもりだ。だから早く準備してこい」


「うんっ、行ってくるっ!ありがとう竜胆さんっ♪」


 もう美味しい朝ご飯で僕の頭の中はいっぱいだった。人間は食欲には勝てないのだ。



「なんだあの可愛い生き物」


 もちろんその呟きは誰の耳にも届かなかった。



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【★あとがき★】


※第二章完結まで毎日投稿予定です!

 


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