第5話 そんなに食べきれないよ…?

 迎えたお昼休み、葵くんの号令により、いつものメンバー五人で教室のド真ん中を陣取り、各自持ってきたお弁当の包みを開け始める。



 そして、箸を進めながらも授業中に見せたあの小谷先生の醜態について、当然のように触れて盛り上がる。



 これは長くなりそうだと予感したのか、朱里ちゃんからスマホに『呼び出しは夜に持ち越し』とメッセージを受け取った。



 僕はそれに『了解です』と端的に返信しておいた。



「ぐぬぬっ、このクソガキャァッ、いやー!さっきのハゲ谷面白かったー!ね、いおりんもそう思うでしょ?」



 同意を求めてくる葵くんは伊達丸メガネの奥の瞳をキラキラ輝かせ、身振り手振りを交えて、小谷先生の動揺っぷりを真似していた。



 その小動物的な見た目とは裏腹に、面白い事にはガツガツ首を突っ込んでいくタイプだ。



「葵、例え真似事だとしても、男の子がクソガキなんて下品な言葉を使うんじゃありません。それに宮沢さんはそのような低レベルな事で笑わないと思います。」



「えー、アッキーかたーい。」



 会話に入ってきた葵くんと親し気なこの女の子は、秋月礼香さん。葵くんとは幼馴染である、いつメンの内の一人だった。



 凛とした雰囲気、艶やかな黒髪のストレートと、水泳部でこんがり焼けたという褐色の肌が特徴的だ。いつもシュシュをつけている右手首付近だけ他と比べて少し白い。



 スカート丈は膝下と模範的で、見る者皆に優等生的な印象を与える。



 僕とは一年生の頃に同じクラスになり、よくテストの点数を競い合っているうちに親交が深まった。


 

 二年生になった今も礼香さんはどこか僕の事を高く評価し、ライバル視している節があるから、少し困っている。



「え〜でも私は面白かったと思うよ〜」



 ニコニコと間延びした話し方でやんわりと否定する女の子は、いつメンの内の一人、糸紬いとつむぎさん。

  


 ポワポワした雰囲気、ベージュ系のゆるふわサイドテールを肩前に垂らし、物腰柔らかな印象を与える糸目を山なりに微笑んでいる。



 なにより目が吸い寄せられるのは、その膨れ実ったHの巨峰。二の腕や白ニーソで包まれた太腿など全体的にもちもち体型の女の子だった。



 紬さんとは二年生の頃、朱里ちゃんの紹介で知り合った。その後、家庭科の調理実習などで同じ班になり、よく話をするようになった。



「ですが、神坂さんがわざと窓を開けて、宮沢さんを助けた行為は尊敬に値します。」



「たしかに〜、あの時のリーちゃんカッコよかったね~」



「あかりん流石だね!
」



「ははっ、よしてくれよ。別にそんな大したことはしていないよ。」



 いやいやと手を振って謙遜するのは、このグループの絶対的リーダーである女の子、神坂朱里ちゃん。



 余裕があって落ち着いた雰囲気、赤色のインナーカラーを入れた暗めのウルフカットが似合っている。



 垂れ目気味のぱっちり二重、鼻も高く、リップで潤んだ紅唇も綺麗だった。



 百七十センチを超す高身長、まるでグラビアアイドルのようなスタイルの良さ、実はうっすら腹筋が割れていて、夜の営みの際などに触らせてもらえる。



 その他にも、文武両道、成績優秀、容姿端麗、大財閥の一人娘という、神様は朱里ちゃんに二物も三物も与えている。



 朱里ちゃんとは一年の頃からのお付き合いだが、未だにそんな凄い人が僕みたいな奴の恋人なんて信じられなかった。



「さあ、そんな事よりも早く食べよう。さっきから全然箸が進んでいないよ。」



「ほんとだぁ~。」



「会話に夢中になっちゃいましたね。」



「えーもう終わりー?」



 葵くんはまだまだ話し足りない様子だったが、礼香さんに宥められて、渋々といった感じでお弁当に口をつけていった。



 こんな風に僕はいつも朱里ちゃんの隣で皆が和気藹々する様子を極力一言も発さずに見守る。



 僕はこの穏やかな時間が大好きだった。いつまでも続いてほしいと思うほどに。だから僕は自分という不純物が混じって台無しにしないように努めるのだ。



 少し急ぎ気味で黙々食べ進める皆を静かに微笑ましく思っていると、横から困惑した視線を感じた。



「いおり、お弁当はまだかな?…流石に待ちすぎて、そろそろお腹が鳴りそうだよ…」



「あっ、」



 そうだった…僕が朱里ちゃんの昼食を用意する役目を請け負っていたんだった。



 でも、僕は用意するのを忘れていた。今朝は物理的に作る時間がなかったという言い訳が瞬時に頭を掠めるが、やり方は他に幾らでもあったはずだ。



 例えば、通学路に点在するコンビニに寄って、何か調達することは出来た。前回はそうして済ませていた。今回、ただ僕の考えが足りなかったというだけ。



 またやってしまった…僕はどうしようどうしようと焦りに犯されていた。



 まだ午前しか終わっていないのに、もうこれだけの数、朱里ちゃんに迷惑を掛けてしまった。



 深淵のような暗い瞳が僕を覗く。朱里ちゃんは僕にだけ分かる様に『早くしろよ』と言外に告げていた。



「ごめんっ…な、さい…忘れてし、まいました…」



「……」



 僕はなんとか言葉を絞り出し正直に打ち明ける。ここで嘘を付けば、また朱里ちゃんを怒らせてしまう。それは迷惑を掛けると同義。それは良くない事だ。でも既に迷惑を掛けているから…と頭がグルグルし出し、よくわからなくなってくる。



「……」



「……」



 沈黙が長い。次第に僕は自分の無能さに呆れイライラして胃が痛くなってくる。



「…そっか、それなら仕方ないね。」



 朱里ちゃんはゆっくりと呟いた。まるで『問題ないよ』と言うように相好を崩した。



 その時、髪の隙間からチラリと、左耳の外側や耳たぶに銀色のシンプルな意匠のピアスが覗いた。



 チカチカと目元に反射光が襲ってきて、責められている様な気分だった。



「めずらしいね〜。」



「そうですね、宮沢さんに限ってはそんなミスしないと思っていました。」



「いおりんには僕のお弁当を分けてあげるねー。」


 皆の声は僕の耳にはもう届いていなかった。僕は絶賛自己嫌悪の嵐で、朱里ちゃんの彼氏失格だ、このままだと捨てられる、どうすれば挽回できるのかと頭が一杯一杯になり熱を上げていた。



 泣きそうだ…



 バンッッ



 その時、僕と朱里ちゃんの間に割り込んできた人影があった。鈍い音がして、ふと顔を上げると、リンドウさんが中身がパンパンになっているレジ袋をやや乱暴に僕らの机に押し付けていた。



「これ、食えよ。」



「は…?」



 朱里ちゃんは突然の事で呆気に取られていた。リンドウさんは驚くほど温度のない声でそう言い、無理矢理朱里ちゃんに袋から抜き取った菓子パンをぐぐぐと押し付けていた。朱里ちゃんの口元が若干引き攣っている。



「でも…それは君のだよね?」



「神坂が飯無いって困ってるみたいだったから、やるって言ってんだよ。」



 朱里ちゃん恐る恐る確認しながらやんわり手で押し返そうとするも、リンドウさんは一歩も退かずにパンをグイっと押し返した。有無を言わせない感じだった。



 あわや一触即発かという空気に、葵くんらいつメンも教室中の生徒らも静かに注目をしている。



 関係ないけど、リンドウさんの背中って大きい。まるで守られているみたいで安心する。いや守るって、別に僕は朱里ちゃんに何も悪い事はされていないけどね。



「……」



 朱里ちゃんは能面のような表情でリンドウさんの事を黙って見つめるが、それにリンドウさんは少しも怯む様子を見せず、上から目線で睨み返していた。



 とそこで、リンドウさんはふと何かを思い出したかのようにくるっと振り返り、僕に言った。



「お前もいるか?」



「えっ…何を?」



「パン。」



「いっ、いいん、ですか?」



 突然問いかけられて混乱しそうになるが、なんとか詰まりながらも言葉を発する。



「ああ。」



「じゃ、じゃあ、いただきます。」



「どれがいい?」



「え、えと、じゃあ、これで。」



 リンドウさんは丁寧に袋の中身まで見せてくれて、僕に選ばせてくれた。



「ほぃ。」



 そして朱里ちゃんの時とは違い、優しく手渡してくれた。



 僕は両手でお椀の形にして、賞状授与の時みたいに恭しくそれを受け取り、ぺこりとお辞儀した。



 ついでに余り物だからという理由で、違う種類のパンも三つもらってしまった。食べきれないよ?



「んじゃ。」



「あっ、ありがと…」



 リンドウさんは用件を済ませたらさっさと席を去ってしまった。ちゃんと今の感謝の言葉が聞こえていたか自信はない。これは再度改めてお礼を言わないといけない。



「…き、気を取り直して、食べよ食べよー!」



 微妙な空気を察した葵くんの号令が鳴るまで、朱里ちゃんは感情の読めない表情で、ジッとリンドウさんの背中を見つめ続けていた。



 余談だけどその後、僕がお弁当を忘れた事を知ったクラスの人達が、お裾分けという形で、大量にお菓子をくれた。



 だから、そんなに食べきれないよ?



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【★あとがき★】


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