第4話 セクハラはやめてくださいっ…
「で、あるからにだな…」
今は四限目の化学の授業中。昔十円ハゲがあった事で有名なハゲ谷先生(僕が一年の頃から蔓延していた呼び名)が担当だ。本名:小谷。
中年の小太りで神経質でお小言が多い。思春期の子供たちにとっては天敵のような先生だった。
「そうだな、このページの朗読を誰かに頼もうか…読んでくれる奴はおるか?」
クラスメイトは皆一斉に俯いた。それまで黙って黒板を眺めていた真面目な生徒たちもこの時だけは慌てたようにノートを眺めるフリをする。
今日は僕も都合が悪いので目が合わないように窓の外へ視線を逃そうとするが、
「…ッ、宮沢ァァー!」
ギロリッと肉食動物のような瞳に捉えられて、逃げられなくなる。ガシッと心臓を鷲掴みされたような感覚を味わい、身体が勝手にぶるっと震えた。
「っ、は、はいっ…あの、でもすみません。テキストを忘れてしまったので…隣の人に見せてもらいます…いいですか?」
僕は即座に失礼のないように震える身体に鞭を打って立ち上がった。
当然昨日は家に帰れていない。今朝はホテルから直接の登校だった。だから、鞄の中身は昨日の時間割のテキストたちで埋まっている。
今までも似た経験はあったから置き勉は多用していた。しかし、よりにもよってこの科目のテキストだけ家に忘れてきてしまった。
「おいおい宮沢ァ、ダメじゃないか。忘れたなら最初に言わないとさぁ。そしたらセンセが特別に教科書貸してやったのに…おい、何か言ってること間違ってるか?んんぅ?」
「いえ、まったく…僕のミスです、本当にごめんなさい…」
バッと謝罪のため僕は頭を下げた。少し粘着質に問い詰められるが、確かに小谷先生の言っている事は正しくて今回は僕が全面的に悪い。
教壇からコツコツッと神経質そうな足音が近づいてきて、思わず身が強張ってしまう。
「はぁ…先生お前にはガッカリだ。なんで教科書を忘れるなんて初歩的な過ちを犯す?やる気ないのか?ああ?ほらちゃんと真っ直ぐ立てぇ?それが反省する奴の態度か?んんぅ?」
「っ…」
指示棒で正すように背筋をトントンと叩かれた。僕はすぐにピンと背を伸ばす。
しかし、次に指示棒の先端が下がってきて、触れられたのはお尻だった。そこは間違いなく今回の一件とは無関係な箇所だった。
「あ、あのっ…」
スリスリと上下に何往復もされる。僕は金縛りにあったように動けなくなる。
「やっ、めて…ください…」
「それは忘れた奴の態度じゃないよなぁ?…」
なんとか僕は抵抗の言葉を発するも、一向に止める気配がない。そう、この小谷先生は男子生徒に対してセクハラが多いことでも有名だった。
古い時代の人間で、これが教育ですとまるで大義名分を得たかのように、男子生徒にはセクハラ、自分の気分を害した女子生徒には体罰スレスレの暴力を常日頃からやらかしている。
長らくこの学校に赴任しており、周囲の教師たちは強く言えない状況が続いていて、悪循環に陥っている。
「…そうだな、昼休み一人で生徒指導室に来いよ。先生が手取り足取りみっちり指導してやる、ウヘッ」
ニヤニヤとギラギラした瞳を細めて、生理的嫌悪する三日月型の嗤みを浮かべる。
僕はそこで行われる事をなんとなく想像し、背筋に悪寒が走り、身体を掻き抱く。
「や、やぁ…」
僕は必死の拒否を示すが、ルンルンの足取りで教壇へ戻ろうとする小谷先生の耳には入らなかった。
怖い怖い怖い。どうすればいいの?
お昼休み朱里ちゃんについて来てもらう?でもそれだと確実に迷惑をかけてしまう。
また怒られる?それに”呼び出し”もある。時間はあんまり使えない。ご飯を食べて、生徒指導室に行って、それから朱里ちゃんと…ああ、ダメだ。
朱里ちゃんとの約束が何よりも大切なのに…僕はいったいどうすればいいの?
(…誰か…助けてっ…お願いっ…)
そんな僕の救いの女神を求める声が届いたのか、
「あーすんません。俺も忘れました。」
止まった空気を引き裂く、暢気な声が教室内に響いた。その声の主はりんどうさんだった。
「だから俺も昼休み生徒指導室に行きます。」
「は?……い、いや、お前は別に…」
意外な人物の主張に戸惑いを見せる小谷先生。
「なんでっすか?…俺だけ特別扱いはおかしくないですか?」
「うっ…そ、それは…ぐヌヌ…」
りんどうさんに痛いところを突かれて上手く返答できない小谷先生。
「それとも俺が行ったら困るような、何かやましい事でもあるんですか?」
まるで全てをお見通しだというようにりんどうさんは不敵な笑みを浮かべて、小谷先生を睨み付けていた。
「このぉっ…クソガキャァッ…」
そんな挑戦的な表情に、小谷先生は歯をギリギリさせ憎々しげにりんどうさんの事を睨み返すが、全く迫力がなく、りんどうさんは飄々としていた。
ガラララッッ
それは唐突だった。黒板近くのひとつの窓が全開になった。それは朱里ちゃんの仕業だった。
暑かったのかな?朱里ちゃん、となんとなく考えていたがどうやら違ったようで、
ヒュゥゥゥッと窓から中々に強い風が室内に侵入してくる。だから、
ぽっぉーん
と滑稽な効果音と共に小谷先生の”カツラ”が明後日の方向へすっ飛んでいく事は必然であった。
ぽすんっ
「「「「「………………」」」」」
しばし教室内は沈黙が支配する。がしかし、
「ぷふっ」
「うぐっ」
「くっくくくく」
次第にクラスメイトらは状況を理解し始めたのか口元を手で押さえたり、机に伏せたりして、迫り来る笑いを必死に堪えていた。
皆もちろん小谷先生の面倒臭さは知っている。この中にも既に体罰を受けた生徒が何人もいる。だから今までは小谷先生の気分害さないように努めていた。
だが、そんな奴が初めて分かりやすく隙を見せたのだ。最初は我慢し、これ笑っていいやつ?とお互い目配せして様子を窺っていた生徒たちだが、
「ぎゃはははははッ、なんそれぇぇっ笑」
「あははははははっ、じゅっ、じゅうえんっww」
「がはははははははっ、ハゲでござるっ」
面白さの方が勝り、小谷先生を指差し、馬鹿にする、教室中が爆笑の渦に包まれるのは必然であった。
「〜〜゛お前らァァッ、笑った奴は全員ッ、昼休みに生徒指導室に来イッ!」
「嫌でーす!」
「いやぁん、私らにもセクハラっすかー?」
「きもちわるーい」
生徒らはまるで今までの鬱憤を晴らすように小谷先生に対して各々ふざけた様な仕草でベロベロバァーしていた。
それらを受けて、かぁぁと耳まで真っ赤にした怒りの小谷先生はまだ授業時間が残っているというのに、荷物を乱雑にまとめて、教室を出ていってしまった。
「悪鬼討伐!」
「悪霊退散!」
「勧善懲悪!」
教室中がお祭りの時みたいに沸いていた。隣の席の子と笑顔でハイタッチを交わしたり、鼻の下擦りやれやれとなんだかやりきった感を出す生徒までいた。
なにこれ?
まあでも生徒指導室に呼ばれた件は結局有耶無耶になりそうだし、助かった。僕はホッと一息つく。
「いおり、大丈夫だった?」
「あ、朱里ちゃん、うん、なんとかね…」
すぐに朱里ちゃんが側に来てくれて寄り添ってくれる。肩に触れている朱里ちゃんの手のぬくもりが安心する。
朱里ちゃんを見ると、まだ底冷えする様な視線で小谷先生が去っていった扉を睨んでいた。
もしかして、僕のために怒ってくれているのかな?…なんてふと僕は考えてしまった。
もし、そうならすごく嬉しい。
「ふっ…くくっ…うふっ…くひひっ…」
ふと僕は今回の件のもう一人の功労者の事が気になって、二つ隣の席の方を伺う。
「んぐくっ…うふふっ…あれは反則だろっ…」
リンドウさんが机に突っ伏してプルプル震えて、何かをブツブツ呟いていた。
もしかして笑ってる!?
リンドウさんもああやって笑うんだと何か貴重なものを見たという気分を味わう。
「ひぃーっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ…」
そして、またもや勘違いした隣の席の子は恐怖に駆られた様子で、涙目でリンドウさんに謝り続けていた。
デジャブ。
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【★あとがき★】
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