第2話 教室でキスの雨を降らすのは…

 翌日の朝、僕は教室の机の上に上半身をべとぉ…とはりつけて死んでいた。



「ふぁぁ…」



「いおりん、眠そうだね?」



「うん、ちょっと夜更かししちゃって…」



 結局ホテルに戻った後も朱里ちゃんは寝かせてくれなかった。僕が疲労で指一本動かせなくなった後も上に覆いかぶさってきて延々と…



 そのおかげで今朝は寝坊し、急いでチェックアウトする羽目になった。なんとかシャワーで営みの残り香を洗い流す事はできたけど、メイクする時間までは十分に取れず、ほぼすっぴんで目の下のクマを隠せている自信はない。



 朱里ちゃんに頼まれて伸ばしたセミロングの髪も今は下ろしている。



 でも朱里ちゃんは僕のおかげでスッキリしたと言っていた。嬉しかった。僕が朱里ちゃんを満足させてあげられたなら、それだけで今日一日の活力が湧いてくるというものだ。



「ほんと大丈夫?…顔色も悪いよ。」



「んー…わかっちゃう?」



 ただ、流石に連日連夜あんな風に朱里ちゃんとしていたら、心は満たされても身体の方にガタが来る。僕の体力が無いせいで、たくさん求められるのは嬉しいのに。朱里ちゃんに申し訳ない。



「無理しちゃダメだよ?」



 こちらを心配そうに見つめてくる男の子、このクラスで僕以外の唯一の男子生徒である萌木葵もえぎあおいくん。



 子犬っぽい雰囲気、おしゃなゆるふわパーマ、華奢な体躯、今ドキに着崩した制服の上には僕の真似して取り入れた空色のカーディガン。余った袖を萌え袖にしている。



 一年生の頃に電車で彼を痴女から救ってあげたら、「推せる!」となんだか懐かれて、今日の今日までずっと友達関係が続いている。



「辛かったら言ってね?…あおも一緒に保健室いってあげるから。」



「うん、ありがとう…その時はお願いするね。」



「何をお願いしたの?」



「っ!?」



 朱里ちゃんだった。後ろから僕の肩にソッと両手を置き、耳元で囁いてきた。彼女とは一緒にホテルからここに登校してきたけど、生徒会関係とか何とかで違うフロアの教室に行っていたはずだった。



「あ、朱里ちゃん、生徒会おわるの早かったね?」



「うん、軽く打ち合わせただけだから。」



「へえ、そ、そうなんだ…」



「それで、何の話していたの?」



「あー!ダメだよあかりん!男子トークの内容は女子禁制なんだから。ね、いおりん!」



「う、うん。それにね、ほんと大した内容の話じゃないからさ…」



「…そうなんだ?」



 朱里ちゃんにじぃーっと見つめられる。ゴクッと勝手に僕の身体は唾を飲み込み、硬くなっていた。



 その深淵のような暗い瞳で見つめられると全てを話してしまいたくなる。でも朱里ちゃんに求められすぎて疲れているなんて言えない。



「…ふ、まあいいや。ごめんね、無理に聞いて。」



 ふっと表情を和らげた朱里ちゃんは頭をポンポンとしてくれた。「おいで」と言われ、僕はいつものように彼女の膝の上に乗せてもらった。お互い正面同士で向かい合う、見る人が見れば恥ずかしい体勢。



 でも僕はこの体勢が一番好きだ。だって朱里ちゃんの綺麗な顔を独り占めできるから。それに、



「今日のいおりも暖かいね…」



 こうやってぎゅううと密着し抱き合えるから。僕の方も朱理ちゃんの体温を感じれて暖かい。朱里ちゃんは片方の手で僕の髪をサラサラと優しく撫でてくれる。この時間がたまらなく僕を満たしてくれる。身体的疲労も一発で吹き飛んだ。



「出た!伝統芸!」



「ひゅ〜朝からあつあつ〜」



「羨ましいなー」



 周りの囃し立てる声が全く気にならない。今はただ僕と朱里ちゃんのドクドクと奏でる心臓の音と二人分のぬくもりを目を瞑り全身で感じるだけだ。



「今日の昼休み空き教室に来い。話がある。」



 幸福に浸っていた脳が瞬時に現実へと呼び戻される。朱里ちゃんのドスの効いた声が耳を穿つ。



 



 (怒られる!)



 やっぱり僕が黙っていたから不快にさせてしまったんだ。正直に話せばよかった…



 冷静に考えればわかることだ。僕も朱理ちゃんの立場だったら、隠し事をされるのは嫌だ。黙っていられるよりも言ってくれた方が有難いと思う。



 身体がガタガタ震える。どうしてこう僕は愚かなんだ。朱里ちゃんに迷惑ばかりかけてしまう。



「ご、ごめんなさ……」



 とにかくたくさん謝って許してもらわないと!と思考をグルグルさせ焦り始めた時、急に教室内がザワザワし出した。朱里ちゃんの注意が僕から逸れた。



「え!?」



 つい大きな声をあげてしまった。



「なんで…」



 教室に昨日の不良女の姿があった。透明感ある金髪をサラサラ靡かせ、うちの制服に身を包み、紫色のスカジャンを羽織り、堂々とした佇まいだった。



 (クラスメイトだったんだ…)



「あれ、誰?」



「ほら、あの噂の…」



「ここくるの珍しー」



 同時に昨日は気付けなかった理由も判明した。二年になってからほとんど教室に姿を見せていなかった問題の不良生徒だったから。



 ふと昨日の心配が現実味を帯びてくる。僕が同じ学校の生徒だとバレれば、歓楽街にいた事やタバコを持っていた事など周囲に吹聴される可能性がある。



「っ…」



 その時、最悪な事に教室内を見渡していた不良女と目が合ってしまった。バッとすぐに逸らすが、無駄かもしれなかった。



 それでもお願いバレていませんように…と神頼みするが、そんな望みに反して僕らに近づいてくる人影があった。



「おい」



 終わった。ホテル、タバコ…何週かの停学…それとも学校の決まりによっては最悪退学…



 調べられれば僕だけではなく朱里ちゃんまで…



 ギュッと目を瞑り、せめてもの抵抗とばかりに俯いて不良女から顔を隠す。



「あんた、昨日これ落としただろ?」



「…ふぇ?…あ、え、それ、」



 差し出されたのは、昨日僕がどこかで落としたはずのペアキーホルダーだった。



 それは朱里ちゃんから一か月記念にプレゼントされた大切なもの。イニシャル入りで、ふたつくっ付けるとハートマークが出来上がる仕様だ。



 今朝なくなっていた事実に気づき探す時間も碌になくて、それで気分を落ち込ませていた部分もあった。だから、



「ありがとう、ございます…」



 心からの感謝が漏れだす。本当に見つかってよかった…



 ぺこりとお辞儀、胸の前、両掌で大事にギュッと包み込む。



「……」



 その様子を不良女…じゃなくて、確か…りんどうさんにじっと見つめられていたようで少し気恥ずかしくなってくる。



「じゃ、それだけ。」



「は、はいっ、本当に助かりました!」



 その後ろ姿をぼーっと見送ってしまう。わざわざ届けに来てくれたのかな。噂とは異なり案外優しい人なのかもしれない。



 それに心なしか、口元が微笑んでいたようにも見えた。怖い人では…いや気のせいなのかな、もしかして僕ってばチョロすぎ?



 でもこの調子だとそこまで心配する必要はないかもしれない。まだ油断は禁物だけど、今すぐにバラされることはなさそうだ。直感がそう告げていた。



「いおり」



「あ、」



 完全に朱里ちゃんの存在を忘れていた。こういう状況は朱里ちゃんの好みではない。



「ご、ごめ、これは、その…」



「そのキーホルダー、まだ持ってたんだ?」



「え?、あ、うん、大事なものだから…」



 朱里ちゃんはもう付けていないけど。それでも二人の繋がりを感じられる大切な思い出の品だ。



 グイッ



「ひゃっ…んむっ!?」



 唐突に膝の上で朱里ちゃんの腕に身動き取れないくらい強く抱き寄せられ、絆創膏を巻いたそのしなやかな指で顎クイされた。そして、初めて教室で朱里ちゃんに唇を奪われた。



 きゃー!と周囲から歓声が上がった。



「好きだよ、いおり。」



「あ、あ、うう…」



 直接的な言葉の愛情表現は久しぶりだったから頬が熱くなる。今絶対真っ赤になっている。恥ずかしい。それに心臓が早鐘を打って煩い。



「チッ…」



 ガシャンッッ



 大きな音が教室中に鳴り響いた。音の発生源を探ると、人を射殺せるくらいの鋭い視線のりんどうさんと目が合う。



「ヒッ…」



 どうやらりんどうさんが付近の机に身体をぶつけてしまったらしかった。



 (なになに?怖すぎるよぉ〜!)



 案の定、勘違いしたその席の女の子がすみませんすみませんっと怯えた様子でりんどうさんに謝り続けている。



「いおり、どこ見てるの?」



「あ、ううん、なんでもないよ!えへへ…」



「…なら、しっかり私を見てて。いおり…」



「あかりちゃ…んっ…だめ…」



 なんだか今日の朱里ちゃんは情熱的だった。唇だけではなく、頰や首筋に次々キスの雨を降らした。



 衆人環視の中で恥ずかしいけど、僕も次第に身体が火照り、朱里ちゃんと唇を重ね合わせるのが止められなかった。口内を蠢くザラザラの舌と冷たい舌ピアスの感触が気持ちいい。結局、ホームルームの鐘が鳴り担任の教師が入ってくるまで二人の熱い逢瀬は続いた。



 ポーっと高揚した頭の片隅では、キーホルダーの件からか、未だに何となくりんどうさんの事が気になっていて、その後も僕はりんどうさんを目で追ってしまうのだった。



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【★あとがき★】


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