3. ○○○○○○○○○
「第三話のタイトルは、『キーボード上の貴方』よ」
「また意味の分からないことを……」
あれからの小夜は、なんとか小説に集中できていた。トイレと食事だけの時間だけは扉が開いているので、最悪の事態にはならない。
だが、手を抜けば、これ以上に悪いことが起きるとメアリに言われている。本当か嘘かは分からない。
小夜にとって、
「悪役令嬢もの……難しい」
小夜のため息が虚空を漂う。
元々、注目されたいがために選んだジャンルだ。リサーチも不十分なら、熱意も不十分。
普通なら、とっくの昔に放り出している内容だ。
だが、小夜は書いていた。
「難しい、じゃないわよ。それを言うなら、全ジャンル難しいわ」
別のテキストエディタ上で、小夜を叱るメアリがいるからだ。
ここ数日、彼女と生活を共にして分かったことがある。
彼女は自分のことを必要以上に悪く言わない。そして、良いと思ったところは素直に褒めてくれる。
それは小夜にとって、何よりの救いでもあった。
元々超絶チヤホヤされたいから、読まれそうなジャンルを選んで、それを書いたのが始まりだ。
「そ、それは私に合わないから……」
「貴方にとっての合わないって何?」
メアリの厳しい追求がテキストエディタ上に入力される。
いつもこうだ。彼女とのやり取りは文字だけ。だが、まるで面と向かって話し合ったような、濃密な感情が感じられる。
小夜が、メアリを無視しない理由はここにある。
『所詮、文字だけの存在』という感覚が全く感じられないのだ。
だから小夜は感情的になってしまう。
「合わないっていうのは、全てのジャンルを満足いくまでたっぷり書いた人が言える台詞よ。貴方はそれが出来たの?」
「うっ……」
全てが未完結の作者が反論するには、痛すぎる話だった。
だが、メアリは小夜の沈黙を悪し様に言わなかった。
「あと千文字も書けば完結。貴方の作品はそういうのもいくつかあったわ」
「知ってたんだ」
「そういう作品は全部
「じゃあ分かるよね。私は物語を完結させる技量のない文章書きだって」
自分は何を言っているのだ。小夜は文字を入力して、後悔した。
文字の存在に八つ当たりをした。ある意味、人間の敗北宣言。しかし、小夜はそれでも良いと思った。
何も動かない。今、この瞬間、メアリが消えてしまったとしても。
だったらせめて、自分にとって、少しでも何かを得たい。
藁にもすがる思いだった。色んな参考書を読んでも、何も参考にならなかった。
結局、自分が納得したいことだけを納得したい小夜にとって、ネットの海は酷く冷たかった。
「……怖いの。いくら時間をかけて書き上げても、誰からも読まれないんじゃないかって」
そこから堰を切ったように、小夜の文字入力は続いた。
「傷つきたくないから。あの時間は無駄だったって思いたくないから。それなら並行して次の作品を書けば良いんだって、思ったから」
「それが積み重なって、無意識に負担がかかり、やがて未完結になっていく、か」
何故かメアリの笑い超えが聞こえたような気がした。
笑い声のかわりに、メアリの言葉が入力されていく。
「貴方はあえて茨の道を行くのね」
「それは……どういう意味?」
「だって、消しちゃえば良いじゃない。全部全部全部。書けなかったやつは全部消しちゃえば良いのよ」
メアリの言葉が甘い毒のように感じられた。
毒はじわりじわりと小夜の心ににじり寄る。
「そうすれば無かったことになるわ。貴方は苦しまなくても良い。常に一つの作品に集中できるのだもの」
「それは――」
小夜の返事は早かった。
「出来、ないよ」
沈黙が生まれる。
メアリが話すこともなく、小夜が文字入力するわけでもない。
「やけに早い返事だったわね。どうしてなの?」
「だって、そうしちゃったらメアリの世界は本当に無くなっちゃうから」
小夜は続ける。
「世界を止めてしまったのはごめん。でも、私はアイデアを思いついたときのあのワクワクを、目を閉じた時に浮かぶ頭の中の物語を、なかったことにはしたくないんだ」
「そうした結果、完結もさせられず放置された作品が生まれている。貴方はそれを完結させられることが出来るの?」
「分からない」
「分からない……分からないと言ったわね! そうした無責任な始まりが、貴方を苦しめているのよ!」
メアリの言う事はもっともだ。反論する気はない。
それどころか、小夜は彼女の言葉に全く不快感を抱かなかった。
「メアリって、もしかして私のことを心配してくれてるの?」
「ストレスで頭おかしくなったの? ありえないわよ」
「じゃあなんで私の話を聞いてくれたの? 無視すれば良かったのに」
「……未完結なのはさておき、私はずっと貴方を見ていたのよ。無視なんて、今更出来ないわ」
「……そっか」
小夜は棚から埃まみれの書籍を何冊か取り出した。辞書や、文章表現について書かれた書籍である。
「ねぇ、私は小説を一本書き上げることが出来るのかな?」
「今の貴方なら無理ね。限界を超えなさい。恐れを超えなさい。そうすれば、まぁとりあえずマシな物は出来るんじゃない?」
「……分かった」
自然と、小夜は書き始めることが出来た。
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