『現世』
翌朝、つつじはもそりと体を起こすと、タンスから下着を取り出し、壁にかけっぱなしだった制服に袖を通す。その色は純白ではなく、くすんだように見える紺色だった。そのまま玄関から外に出ると、見慣れているはずなのにどこか生々しい景色が広がっていて、少しだけ逡巡した後、外に一歩を踏み出す。
ほどなくして、つつじの携帯端末に着信があった。歩きながら通話を繋ぐと、真矢の恨みがましい声が聞こえてきた。
『ちょっとつつじぃ、まさかリアルの方で登校とは思わないじゃん、言ってよお』
『……ごめん』
『一緒に行こうよ。今どこ?』
『高校のとこの高架下』
『おっけー、すぐいく』
つつじの歩く通学路は閑散としている。今は学校の授業も、現実と電子世界のどちらでも等しく受ける事が出来る。となれば、時間がいくらでも惜しい生徒たちにとって、直接教室の席に入れる仮想世界の方が人気に決まっている。しかしその時、往く道に3人組の姿があった。
「なあお嬢さん、スコア持ってない?」
近くで見ると極端に短い改造スカートを履いた三人組で、到底この後おとなしく学校に向かう身なりでもないのが見て取れた。『スコア』。元々は電子世界内の決済で利用され始めた通貨が、いつのまにか現実でも貨幣の代わりに流通するようになっていた。
「今日支給日じゃん、絶対持ってるでしょ、ねえ?」
この国の住人には月に一回、規定額のスコアが支給されるようになっている。その言葉を聞いて、今日が月の初めである事をつつじは思い出した。
「無視かよ」
目を合わせないで端末に目を落としながら通り過ぎようとすると、近寄って来た一人にいきなり乱暴に胸ぐらをつかまれた。それでも、つつじの冷めきった心は何も感じなかった。それはもう一人がロックを解除したままの端末を奪い取って行っても変わらなかった。
「うっわ、こいつ超持ってる!」
下品な声で興奮したように叫ぶ。一人が他の二人に画面を見せると、目の前の不良の全員の目の色が変わった。
「ねえ、全部とは言わないからさあ、半分頂戴よ。痛い目にあいたくないでしょ」
つつじが初めてほんの少しだけ反応したのは、痛い目、という一言だった。最近、電子世界で何度死んだかわからない今のつつじにとって、その程度では脅しにもならなかった。そんな態度に苛立ちを覚えた不良は衿を掴む手に力を込めると、つつじの身体が少し持ち上がった。
「何か言ったらどうなん?ビビっちゃって何もしゃべれなくなった?」
「あはは、じゃあほら、端末返してあげるからこのアドレス宛にスコア送ってよ。そしたら解放してあげるから」
つつじの手を取って端末を恩着せがましく差し出してくる不良に、反応を返さずいると、何かを勘違いした一人が声を荒げて威嚇する。その怒号も何らむなしく響くだけだった。
「ああ?何か言えっつうんだよ!」
しかし、漏らした次の一言が決定的にその場の空気を変えた。
「気持ち悪りい、普通じゃないなこいつ」
だらりと垂れ下がったままの、式も何も使わないつつじの右拳が、胸ぐらをつかんでいた不良の顎を叩くと、意識と握力を失った不良は仰向けに地面に倒れ込んだ。
「こいつ!?」
「ああああああああああああっ」
獣のような大声を上げて、姿勢を低くしたつつじが、先ほど一言を漏らしたもう一人の不良へ真っすぐ突っ込んで、みぞおちの高さに肩をめり込ませる。これがプリンセス・ナイトの試合だったら、あまりにも無策なその突撃は魔法の格好の餌食だっただろうが、不良らは魔法使いではなかった。そのまま肺と胃の中身を全て吐き出して虚ろな目のまま押し倒される。馬乗りになったつつじの頭を、3人目のサッカーボールを蹴るような蹴りが襲って、身体が浮かされワンバウンドする。立ち上がると、手ごたえを感じ、恨みを込めてとどめを差しに近づいてきていた敵の鼻っ柱に思い切り頭突きを食らわせる。まともに鼻に受けて血を噴き出し、顔を覆ってうろたえた相手の背中へ回り込むと、そのまま地面へと押し倒す。
「ひっ、やめ……!」
防ごうとする腕ごと後頭部を殴り続けている間、悲鳴が上がっていたが、一度髪を掴んで持ち上げてそのまま叩きつけると、やめてくれと懇願するその声もなくなった。しかし、戦いを止める鐘が鳴り響かないおかげで、つつじの振り下ろす手が止まらず、コンクリートの地面に赤い染みがどんどんと広がっていった。
「うっ……わ!!!つつじ!つつじ!ストップストップ!!」
現場に着くや否や状況を理解した真矢が止めに入るも、当然耳に入らないつつじは言葉では止まらない。真矢は後ろからつつじを羽交い絞めにすると無理やり引きはがした。つつじは少しの間暴れていたが、
「つつじ!」
真矢が耳元で怒鳴ると、少しだけ、正気を取り戻した。
「わかる?つつじ!私。何があったかわかんないけどさ!」
「真矢……?」
動きを止めて振り返ったつつじが自身を認めている事を確信した真矢は、次の行動に出た。
「とりあえず逃げるよ!」
正当防衛を信じていた真矢だったが、目の前の惨状では過剰防衛と言われて覆す自信がなかった、その為に血だらけのつつじの手を引いて、とりあえず学校とは離れる方向に駆け出す事にした。
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