『簒奪者』
「ごめんなさい!」
試合後のロビーで合流した仁科に、つつじは正面から深々と頭を下げた。すぐにでもダイブアウトして顔を合わせず消えてしまいたかったが、謝らずにいる事は自分が許せなかった。
「私のせいで負けて」
「……いや、負けはつつじさんのせいではないだろう。そんな事より」
仁科の思考からは、こんな試合の些細な勝ち負けなどとうに吹き飛んでいた。
「君は、個人が独自に組み上げた式を書き換えられるのか?」
「はい?」
仁科の驚きは、つつじがあまりにも簡単に、相手の一人が綿密に組み上げたはずの式の要点を、壊すのではなく綺麗に上書きし、鮮やかに機能を変化させた事によるものだった。電子世界で使われる式は、あくまで式であるため、正しい形で組み立てられている。日常で使われるような汎用的な式の構成ですら中身を変えようと思えば一筋縄では行かない所を、個々人が自分の為に組み上げた式の中身を読み解き、あまつさえ書き換えてしまうというのは、仁科にとって信じられない素養であった。
「確かに、式を見ればどういう事をするのかはわかりますけど」
「すごいな……戦績を見せてもらったけど、プリンセス・ナイトをはじめたのは最近なんだね」
段々と光を帯びていく仁科の目に対して、つつじの気持ちは逆にしぼんでいく一方だった。
「全然向いてないんです、私。魔法も飛ばせないし」
「そんな事ない。初めたばっかりの勝ち負けなんて気にしなくて良い、君の……」
落ち込むつつじを否定しようとした仁科の言葉を遮って、つつじは寂しく笑いながら言い切った。
「ありがとうございます。でも、もう私のせいで負ける人を増やしたくないんです」
「私、プリンセス・ナイトは諦めます」
仁科から逃げる様に別れ、かといってダイブアウトをする気分にもならず、つつじは電子世界の中を歩いて、重い足取りで自宅に帰る。すると、現実世界より呼び出しがあった。現実世界の自宅に、尋ね人が訪れている旨の通知が鳴り響く。
自宅に来るとすれば真矢くらいのものだったが、照会しても情報がなく、どうやら知己の人物ではないようだった。仕方なくダイブアウトし現実世界に帰ると、思いもよらぬ事に、施錠していたはずの家の中、ダイブ装置の枕元に見知らぬ人影があった、のろのろと装置を出てから、玄関で応対するものとばかり思っていたつつじは咄嗟に自分の体を手で覆う。そんなつつじの姿を意に介す事もなく、つつじにとっての驚きがいくつも重なる状況をものともせずに、余裕さえ感じさせる所作で一方的に告げる。
「はじめまして、春野つつじさん」
名前を呼ばれた事で冷静になったつつじは、その時初めて、目の前の人物が、黒のフリルのあしらわれたドレスに身を包み、ドリルを頭にぶら下げた人形のような少女で、それからもう一人、長身黒髪の、スレンダーなパンツルックの二人組であったことに気づいた。
「誰ですか?何で私の家に……」
突然知らない人が家の中にいて、至極真っ当なつつじの疑問に、返事をする七華。
「村上七華と申しますわ。ここに来た用件ですけれど」
つつじがダイブ装置から出て立ち上がると、尊大な態度の割に背が低い事に気付く。立ち上がったつつじに、七華は見下ろされる形になるが、全くひるむことなく堂々と続ける。
「この家屋と、そちらのダイブ装置について、回収に参りましたの」
つつじはその言葉をすぐに飲み込むことができなかった。つつじの様子を、理解していないと察して七華が言葉を続ける。
「貴女、身寄りがないでしょう?」
その言葉は、つつじにとっての急所だった。そこに無遠慮に言葉を突き刺していく七華。
「なのに、学生の身分でこれだけの設備が使える事を疑問に思った事はないのかしら」
「……それが、あなたに何の関係が?」
そう反論するのが精一杯だった。つつじには幼少のころの記憶が一切なかった。身寄りも親もない、しかし生活費と家と、揺籠が存在する生活に、疑問を押しつぶしながらの生活をしていた。つつじが、ずっと目を背け続けていた事だった。
「あなたの家と揺籠が、すでに他人の所有物になっていたとしたら?」
しかし他人の家に無断でずかずかと入り込んでなお涼しい顔をしている七華に、一切の容赦はない。
「……知りません」
「そうね、知った事ではないけど、貴女の立場から考えれば理不尽よね。いいわ。チャンスをあげましょう」
自分勝手に話を進める七華は、つつじに歩み寄ると、顎に手を当てて目線を無理やり下げさせる。
「私とプリンセス・ナイトで戦って、勝ったらこの条件は撤回してあげますわ」
射るような視線で目を合わせる事を強いられているせいもあったが、プリンセス・ナイトという言葉に、つつじの身体はびくりと反応する。
「では私達は外の車の揺籠でダイブしますから、場所は連絡致しますわ。逃げられると思わない事ね。逃亡は不戦敗とみなしますわ」
それだけを告げると、ついに喋らなかったもう一人を従えてさっさと部屋を後にする七華。残されたつつじは、律儀にもダイブすると、七華から届いた通信に示された場所へと向かうしかなかった。
指定された場所は、つつじも予想していた通りプリンセス・ナイトのフィールドだった。
「いらっしゃい、まずは逃げなかった事を褒めてあげますわ」
現実世界と同じ、黒いドレスを着た七華が立っていた。
「あら、プリンセス・ナイトの試合をするつもりでしたけれど、どうやらナイトがいらっしゃらないようですわね」
わかり切った事を嫌味たらしく言う七華に、つつじは唇を噛む。
「ナイトなしでやりましょう。あやめ、見ていてくれる?」
その言葉に、黒髪の女性が頷いて、歩いて七華から離れていく。尖塔の方へ向かおうとしたつつじを、七華が呼び止める。
「やり方に則る必要もないでしょう。このまま始めましょう。貴方の好きな立ち位置で、試合開始でいいわ」
その言葉に触発されたつつじは、七華まで一歩の距離まで歩み寄り、その顔を睨みつける。そして両腕を掲げ、臨戦態勢を取った。
「ふうん」
満足げに声を漏らす七華、いつのまにか手には細剣が握られていた。
「……それじゃあ、私の合図で試合開始ね」
対峙する二人を見守るような位置に立っていた黒髪の女性、あやめが、つつじが想像していたよりも可愛らしい鈴のような声を初めて放った。
「スタート!」
即座に構成された式で加速して、最短距離で七華の顔面を捕らえに行ったつつじの右の拳が届くよりも早く、七華の身体が舞うように翻り、剣先がつつじの右の肩口を鋭く貫いた。
「痛っ……!」
痛みにひるむことなく、加速のついたままの体の回転を活かして、そのまま回し蹴りを放ったのも空を切り、つつじの右肩にもう一度、先ほどとは逆の箇所をなぞる様な痛みが走った。仕切りなおそうとして飛び退るつつじを、七華は逃がさずにピタリと付けるように追うと、その抵抗をあざ笑うかのように制服の上から身体を切りつけていく。もし観客がいたとしたら、白い衣装に赤色がにじむ様子と、返り血すら飲み込んでしまう黒い衣装が対照的だという印象を持たれたに違いなかった。
「思ったより諦めが悪いのね」
それでも抵抗を諦めないつつじに、七華はこれまで使っていなかった式を描き始め、いよいよ止めと言わんばかりの攻撃を準備する。式が成立したその瞬間、傷だらけのつつじが一歩深く七華の間合いに踏み込むと、無数の薔薇のトゲで埋め尽くされた空間の中を、針の穴のような間隙を縫って、つつじが七華まで到達する。
「うああああああっ!」
「!?」
掛け声と共に振りぬかれた拳が七華の華奢な身体を大きく吹き飛ばす。式による薔薇のトゲの密集地帯の密度は全てを避けるのは不可能であり、さらなる傷を受けたつつじは、肩を上下させながら血を滴らせている。立ってるのも精いっぱいのはずだが、七華を見据えていた。
「ふうん……」
結局、この戦いでつつじが七華に与えた打撃は、ついにその一発にとどまる事になった。再び剣によるカウンター戦術に終始する七華を捕らえようとすればするほど傷が増えていく一方で、それを何十回と繰り返したつつじの身体は、ついに限界を迎えた。
手も足も出ないというのはこの事だろう、と朦朧した意識の中でつつじは考えていた。そんなつつじに、つつじを見下ろした七華が言う。
「まあ、ナイト不在では、プリンセスナイトの試合とは言えませんわね」
つつじの返事を待たずに一方的に言う。
「今度、プリンセス・ナイトのルールで再戦いたしましょう」
言われるがまま、つつじは返事をする事が叶わなかった。
「一週間猶予をあげますわ」
「ただし、再戦が可能なら、ですけれど」
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