『友人と二人』
「いやー、やっぱマテリアはすごいな。アタシもダイバーとして見たかったなあ」
勝利者を称えるセレモニーが終了し、やっと周囲の観客が席を離れ始めた頃、半透明の身体で宙に舞うつつじの友人、真矢が、空中でくるりと身をひるがえしてつつじの目の前に踊り出てきた。
「つつじはどうするの?すぐ帰る?」
呼びかけられたつつじが周囲の人々の様子を伺うと、席を立って自分の足で歩いて広いスタジアムの出口へ歩く者は、参加者のうち一割も存在しなかった、大抵の人々が席を立つどころか席に座ったまま、光とともに姿を消していく。真矢がつつじに言った『帰る』という言葉が意味をする所は、この世界から現実世界へ、という意味であり、ダイブアウトと呼ばれる行為だった。ダイブアウトした人々は、そのまま現実の生活に戻るものもあれば、すぐに再度ダイブインして、この世界の全く別の場所で、ほんの少し前まで目の前で繰り広げられていた凄まじい舞踏会の余韻に浸りながら、思い思いの時間を過ごす人も少なくないはずだった。
つつじも、ダイブアウトして一度スタジアムの外に入りなおしても良いと考えていたが、誰もいなくなった会場を見ると、なんだか味気ないような気がしてしまい、脳裏に強烈に残る大蛇の式をもう少し反芻すべく、のんびり歩いてスタジアムの外に出る事にした。そして相変わらず目の前にぷかぷかと浮かぶ友人、真矢に伝える。
「歩いて出ようかなって思う」
「そっか、おっけー。じゃあアタシもダイブするから、入場ゲート前で合流しよっか」
そう言い残した真矢は、一瞬少しだけ強く光ったかと思うと、つつじの目の前から姿を消した。
ほどなくして、二階の窓からスタジアムの見える店で、つつじと真矢の二人は四人掛けのテーブルを占有していた。
「次こそは絶対ダイバー用のチケット当てるからな」
目の前に座った、今は半透明ではなくなった真矢がコーヒーカップをあおりながら、つつじを恨めしそうな視線で見つつ、そう言葉を零した。先ほど言葉を交わしたとおり、二人はスタジアムの入り口で合流して、今は近くの喫茶点で、まるで現実世界でそうするように、電子世界でこうして共に飲み物を味わっている。人々はこの世界でも味覚、嗅覚を総動員して飲食を楽しむことができるどころか、この世界での通貨『スコア』を支払って得た栄養は、現実世界で身体を包む『リターン』を通じて身体に取り込まれる。財布が許す限りという制約はあるが、選べるメニューはほぼ無限大であり、現実世界での飢えもない、という事実はまるで夢のようだった。
そうやって、この世界へ全身を接続している者たちは『ダイバー』と呼ばれていた。ダイバーは電子世界にいる間、現実世界では、『揺籃』と呼ばれる全身を覆う浴槽のような機械にどっぷりと浸かり、精神全てをこの世界へと接続する。揺籃を満たす『リターン』が生命維持の役割を果たすため、電子世界でよほど絶食でもしない限り、現世の身体の心配はしなくても良いシステムが構築されていた。
ただし、揺籃による全身接続は、金銭面もさることながら、それ以上にその異質さから、理解のない人々には忌避される程度にはハードルが高い。ただし、気味は悪いものの、この自由奔放な世界を楽しみたい、という人々の為に、ゴーグル型やヘルメット型の機材を用いて、世界を見るだけの接続方法もまた用意されていた。そうして接続している人々はダイバーとは区別され、『シーカー』と呼ばれる。シーカーは世界を見ることはできるが、式を用いて何かに干渉することは許されていない。ダイバー側が意図しない限り、1名のみ限定的にリンクする事の出来る知人以外のシーカーを受動的に認識することもない。もしシーカーが存在感を放っているとすれば、先ほどのスタジアム会場のような場所は無数のシーカーの姿で埋め尽くされ、観戦どころではなくなってしまうだろうと思われた。
「つつじはさあ、出る方は興味ないの?」
「何に」
お気に入りの真っ赤なハイビスカスティーを飲み干した後、なぜか天丼を食べ始めた真矢がつつじに聞く。つつじは答えをわかっていながら聞き返した。
「プリンセス・ナイトだよ」
グラスが空っぽになり、手持無沙汰となったつつじは先に見た中継式を見よう見まねで指の間に這わせていた。そんな様子を見ていた真矢の方も、タラの芽の天ぷらを頬張りながら、すっとぼけて言う。
「アタシは見る方が好きだけどね。痛いのやだし」
自分が痛そうだからやらないようなものを、友人にけしかけるのはどうなんだと思いながらも、実際、これまでずっといくつもの名勝負を夢中で観戦してきたつつじにとって、当然興味が無いはずがなかった。しかし、つつじにには、これまでも幾度となく参加を躊躇してきた明確な理由が存在したのだった。
「もう一杯飲もっと、つつじは?」
何気なく、真矢は指の先に式を描き、30センチ先のテーブルの端に立てかけられたタブレット端末を、触れることなく操作する。
「いいよ、自分で見る」
一方で、つつじはそう答えると、真矢の操作の終わった端末に手を伸ばし、掴んで自らの指で触って操作する。
この世界での式の才能は、残酷なまでに不平等だった。ほぼすべての人はある程度の事を式で解決できるような生活を送っていた。しかし、つつじはこうして、身体から少しでも離れた式を構成する事が、全くできないのであった。
魔法の式をうまく組み立てることが全くできないつつじは、魔法のような火や水はおろか、皆が当たり前のように使用している夜道の明かりすら満足に灯せず、移動の為の式も使えない為にいちいちリダイブして、いったんあの薄暗い部屋の揺籃の中で目覚めなければならない始末だ。そんな状況で、あんな怪物だらけの場所で渡り合えるわけがない。と、そんな思考が、つつじを憧れの場から大きく遠ざけていた。
プリンセス・ナイトは大人気競技として、それこそ今夜のような国を挙げた大規模な大会から、草の根の試合まで非常に門戸が広く、愛好家や有志による対戦は時間と場所を選ばずいつどこでも行われている。揺籠を所持していてダイブが可能であるならば、選手登録さえ済ませてしまえば簡単に参加することが可能だった。ただし、つつじの事情とはまた別に、未経験者が躊躇する大きな理由が存在する。
今夜の戦闘をつつじがぼんやりと思い返すと、マテリアのナイトと、ブラッドレーのプリンセスが受けた傷は、現実世界だったら誰がどう考えても致命傷だ。最後に気を失っていなかっただけで、ブラッドレーのナイトも同じくらいボロボロであり、唯一平然としていたマテリアのプリンセスであっても、もし一瞬判断が遅れていたら、相手の短剣でめった刺しだったかもしれない。この電子世界では、暑さや寒さ、味やにおいを感じる事が出来るのと同じように、触感や痛覚も非常にリアルに再現されている。端的に言えば、痛いし死ぬ。痛みや死には現実の肉体へのダメージこそないものの、精神的なショックはそれなりに伴う。死んだ後どうなるかは人それぞれで、この世界で目覚める者もいれば、揺籃の中で目覚める者もいるらしく、時と場合によりまちまちであった。間違いない事は、やはり死を迎える場合というのは、死ぬほどの苦痛を伴う、ということである。つつじは、これまでこの世界で死んだ経験はなかったが、真矢の方は、自らの式によって空中散歩を楽しんでいた際に、突如出現したジェット機に激突されて、その後揺籃の中で目覚めた事があった。真矢がつつじに伝えたところ曰く、その場の事はよく覚えていないが、データのアーカイブに残された記録を追体験したところ、ピトー管が肋骨と左半身を突き抜けた瞬間、言葉に表せないほどの痛みが走ったとの事だった。つつじにはわざわざ死を追体験しようと思った理由はわからず、時々真矢が追体験データ共有を勧めて来る事が怖かった。
しかしそれでもなお、プリンセス・ナイトはつつじ達、電子世界の住人にとって、間違いなく魅力的な競技であった。
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