『シンデレラの夜』
人の姿で埋め尽くされた、競技場の観客席。広い会場を雲霞のごとく埋め尽くす人々の視線はほぼ全て、まだ誰もいない、演者の登場を待つばかりの中央の舞台に注がれていた。
『会場の皆様、ごきげんようーーーーー!!』
場内のざわめきをものともせず、大きなスピーカーを震わせて空気を切り裂く様に、陽気なMCの声が響くと、続いて大歓声が会場全体を震わせる。
収容人数六万人を誇るこのスタジアムは、この電子世界中で大人気のバトルスポーツ『プリンセス・ナイト』のため、さらにその頂点たる栄冠『シンデレラ・ナイト』の舞台として専用に誂えられたものだった。そのスタジアムのスタンドを埋め尽くす観衆の中に、二人の少女の姿があった。
「すげー、本当に満席だあ」
「…………。」
一人は椅子に座り、口を真っすぐに結びながら声も上げずにスタジアムの両サイドに二本ずつ聳え立つ尖塔を、まるで生きていてこちらへと襲い掛かってくる大蛇でも見るような真剣な面持ちで見つめている。そしてもう一人は、まるで全く人間の動きではない動き、鳥や蝶というより、幽霊という方がよほどしっくりくる様に少女の頭の周りを不規則にふわふわくるくると飛んで漂いながら、取り留めのない事ばかりを会話とも独り言ともつかないつぶやきとして漏らしていた。
『過日!【プリンセス・ナイト】における、最高にして最強のプリンセスの称号【シンデレラ】を決める大会は、昨日準決勝第一試合が行われ、まさに佳境といった様相を呈しております!』
スタジアムMCの声が一区切りされるごとに、地面ごとひっくり返りそうな大歓声が響き渡る。普段だったら、突然この音量の音が鳴り響くことがあれば驚いて耳を塞いでしゃがみ込んでしまいそうなくらいの轟音だったが、既に熱狂の渦に飲まれ揉まれたスタジアムの観衆達にとって、それはさらなる歓声と興奮を呼ぶ、ウォークライとなった。
『皆様は!盛り上がっておられますでしょうかー!』
MCの軽妙な語りがさらに、スタジアム全体を煽り、観衆が応える。今もまだ興奮を抑え、じっと静かに椅子に座っていられた少女、春野つつじでさえ、握り拳をグッと強く握りしめていた。
『それでは、そろそろお時間でございます!本日はお待ちかね──』
しん、と一瞬場内が静まり返る。スタジアム中央のモニターの映像と全ての照明が落ちると、辺りは闇に飲まれたようにしんと静まり返る。
『エキシビジョンマッチの開催です!』
その瞬間にスタジアムを彩った光の演出は、さながら爆発であった。
『早速本日の舞踏会の出席者を紹介致しましょう!……圧倒的な砲火力はまるで洋上を埋め尽くす戦艦のごとく、前人未到のシンデレラ・ナイト、二年連続制覇、今なお歴史に、記憶に名を残す圧倒的女王【マテリア】!』
MCがペアの名前を呼ぶ叫びと共に、電光掲示板に本日の舞踏会の主役達の名前が、ターコイズブルーを基調とした色遣いでキラキラと映し出された。畳み掛ける様にスタジアムMCが怒涛のように告げる。
『対するは!今年のシンデレラ・ナイト出場プリンセスの中で、もっとも多くのプリンセスを仕留めた暗殺姫、そして傍のナイトが掲げるのは、何でも貫く矛さえ通さない大盾!【マテリア】を仕留めるなら彼女らでしょう!【ロード・ブラッドレー】!』
間を置かず、青色が深い深い紅色に変わる。
『鐘に祝福されるのは果たしてどちらのペアでしょうか、それでは本日のエキシビジョンマッチ、まもなく開幕です!』
相反する二つの色に、きらびやかに彩られた満員のスタジアム、MCの天井知らずの絶叫が高らかに響き渡ると、一拍遅れて観衆の悲鳴のような大歓声が、地響きとなって観客自らに降り注ぐ。
極東皇国、シンデレラスタジアム。ライトウイングAー13ー220の座席、つつじの姿はそこに座っているが、肉体はこの世界の外で、機械につながれて眠っている。それでも、まるで本物の身体がそう感じているように、歓声に心を揺さぶられ、我慢できずに熱狂と同化し心も喉もはち切れそうなほどに叫ぶのだった。
「おっ、つつじ、乗って来たね」
そして、スタジアムのメインディスプレイに試合開始30秒前の掲示が表示される。すると先ほどの歓声が、怒号が嘘のように、スタジアムが静まり返った。
「いよいよだね、どっちが勝つかな……」
つつじの左耳に、聞き慣れた友人の声がクリアに届く。つつじの隣に友人のための席はなく、少女の頭の上で、半透明に透き通りながら相変わらずふわふわと浮いていた。15秒前、10秒前、とカウントダウンが進む。少女は差し渡し300メートルの、スタジアム両サイドに心をすっかり奪われている。その間にも時計の針は止まらない。あと5秒………4秒、……3秒、2、1………………………。
リーンゴーン、リーンゴーン……と、おおよそ時代に似つかわしくない、物体と物体がぶつかり震えるアナログな鐘の音が、スタジアムの静寂を打ち破った。同時に、光の演出と共に両サイドの尖塔から放たれた二条ずつの閃光が、光の尾を引きながら上空へと舞い上がり、ほどなくして、スタジアムへ吸い寄せられるように降りてくる。
『プリンセス・ナイト』
夜空を駆けるお姫様と、付き従う騎士達が、すべてを掛けてぶつかり合う、世界中で大人気の対戦スポーツ。
プリンセス・ナイトのルールは極めてシンプルである。まずプリンセス役と、ナイト役の2名がペアを組む、そして相手のプリンセスを戦闘不能にしたほうが勝利。お姫様の夜の舞台にそれ以上の決まり事はない。舞踏会へ参加するにあたり、ドレスコードは無し。持ち物は自由で武器の制限は一切なく、剣や槍といった接近戦用の武器から、銃や大砲も好まれる。加えて盾や旗や、空を飛ぶための翼やエンジンだって使っていい。電子世界の自由は、戦いの場に臨む少女たちに、一切の制限を与えない。
そして彼女らの手には、それを凌駕する最高の武器と最高の鎧がある。
最高の鎧は、身を包む舞踏服だ。
天高く閃光となって飛ぶ少女たち、いかに電子世界といえど、自らの脚力だけでそれを成すことは不可能だった。彼女たちを舞踏会会場へと送り届ける魔法の馬車に運ばれる様に、魔女の力を借りて会場入り口たる塔から空へと打ち出された後は、自らの身にまとう舞踏服の力を借りて、舞踏会会場で縦横無尽に舞うことになる。派手な装飾やオプションパーツ満載の機械的な見た目を好む者もいれば、華美を嫌い小型化や迷彩を施すものもいる。ドレスは、彼女らの自身の精神の表現でもあった。
流星が地面に着地すると、今宵の4人の主役たちの姿が露わになった。それぞれのいで立ちに目を凝らすと、プリンセスの二人は、示し合わせたかのように対となった質素なワンピースドレス、対して「マテリア」のナイトは貴族のいで立ちを思わせるようなマントと礼服が目を引き、「ロード・ブラッドレー」のナイトは、全身が花の開いたように見える重装甲の黒い全身甲冑で、こちらも堂々たる存在感を見せつけていた。
「おお、がっぷり四つだ」
舞台に役者がそろい踏みをした瞬間、再び、少女の耳元で友人が興奮したようにささやく。観客の誰しもの目に、ナイトが自陣左側前方、プリンセスが自陣後方に陣取ったのが映った。間を置かず、ナイト同士が互いに大仰なしぐさで攻撃開始を宣言する、真剣勝負の中に、まるで歌劇としてみられる事も意識したような対戦の立ち上がり。
「がっぷり四つって……」
もう少し優雅な物言いはないものだろうか、という少女の願いは歓声の中にすっかり沈み込んでしまった。
二人のプリンセスは、ナイトのしぐさとは裏腹に、自陣の後方でじっと相手を見据えていた。自陣、と一般に呼ばれてはいるが、プリンセス・ナイトでは尖塔から飛び出した後、舞台のどこに降り立つかについての制限はない。長辺300メートル、全幅100メートル、高さはどこまででも舞い上がることのできるスタジアムは、六万人、あるいはそれ以上の注目を浴びるたった4人の少女たちの舞踏会場としては、あまりにも広い舞台だが、鐘の音とともに夜空へと飛び出したプリンセスたちにとっては、それだけの広さを持ってしても決して十分ではなかった。尖塔から相手の入場口までであってもひとっ飛び、いきなり相手プリンセスの目の前に着地しようとも自由である。
ただし、一度着地した後でなければ攻撃を初めてはならない、というルールが存在しているため、遠くまで飛ぶということは、それだけ長い時間相手に無防備な身をさらすリスクを背負う事になる。そのためよく採用される作戦として、プリンセスは自陣近くに早く着地、ナイトは可能な限り、相手のナイトとプリンセスの間を遮るように着地する事が多い。着地した4人の形には一定のセオリーが存在し、お互いのペアの思惑が合致し、直線状に並ぶと『ライン』、お互いのナイトが接近を嫌い左右に開くと『スクエア』、どちらか片側のナイトだけが横に開いた場合は、丁の字をヒールに見立てて『シューズ』と呼ばれている。それ以外のケースでは尖塔のすぐ下に即着地し遠距離攻撃を試みるものや、相手の位置を見てから追いかけるケースもあるが、いずれも奇策の類である。
今回の試合では、直線というには少しだけ互いのナイトが左右に展開しており、お互いのプリンセスがプリンセスを視認できる位置だった、しかしスクエアというほどの空間の広がりはなく、おおよそナイト同士が正面に対峙する「ライン」の形により試合が始まったと理解されていた。
そしてラインの形が出来上がったマテリアのナイトの眼前から、突然、轟音とともに、大蛇のような水の流れが、ブラッドレーのナイトへ向かって噴出した。
会場全員の度肝を抜く、まるでおとぎ話の魔法のように水の塊を出現させた力は、ただの不思議な魔法では決してなかった。
それは世界のすべて、自分の身体すら0と1で構成された電子世界の住人に許された、0から1を作ることで、無からすべてを作り、1を0として、何もかもをなくする事ができる無限の力だった。世界のすべてを構成し改変しうる、すべての住人に平等に与えられた力、電子世界の住人は魔法と呼んだが、つつじにとってそれは、世界を変えるための式だった。
その、力を自在に操る『式』による魔法こそが、舞台に立つ彼女らの、最大の武器だ。
つつじには全く手の届かない所で起こった出来事にもかかわらず、半ば無意識に、無から水が噴出したその空間を取り出して、それを発生させた式をつぶさに見ていた。
つつじの見た、無から水の奔流を生み出したその式は、あまりにも美しくて、途方もない。式であるからには理屈は理解する事が出来る。目の前の空間に水の塊を出現させ、前に向かって撃ち出す。この現象が世界にあたりまえのように存在する0と1の組み合わせと、書き換えによって引き起こされている事も、電子世界の住人にとっては常識だ。しかし濁流の川のような水量と、途方もない速度を与えるとなれば、常人が式で世界の書き換えを表現するとしたら、いったいどれだけの時間がかかるか、そもそも可能かどうか、これは全く別の問題になる。
この世界の住人に平等に与えられているのは、0と1を書き換える力があるというだけの事で、どれだけの規模の、どういった式を扱えるのかという事柄については、個人の資質に大きく左右される。データでいう所の桁数、物理的な距離、大きさ。たとえるなら計算するとして、誰もが1桁の暗算はできるだろうが、10桁の暗算、100桁の暗算はというと容易ではない。足し算を10回だけ行うというならより容易だろうが、100回の計算、1000回の計算を同時にはするとなれば、誰しもが簡単に出来るものではない。無限の式に期待を馳せて電子世界を訪れる初心者への戒めとして、よく引き合いに出される例えであった。
しかしそんな途方もない式を、あっさりと組み立ててしまうような存在がいるという事を、この最高峰リーグ、シンデレラ・ナイトは人々に示し、夢と希望と、絶望を知らしめるのだ。世界すら支配し得る怪物たちのひしめく最高峰リーグの対戦を、スタジアムに集った人々は熱狂と、少しの嫉妬と共に見守っていた。
黒真珠のような輝きの、ふわりとした羽のようとも、堅牢な壁のようとも形容できる、ブラッドレーのナイトの元々大柄な体躯を強調するような鎧だが、そんな事は些事と思えるような、人間サイズなど軽く凌駕している大きさの水の大蛇に、あっさりとブラッドレーのナイトが飲み込まれてしまうかと思われたその時、左の腰の漆黒の鞘から、刀身1メートルを優に超える片刃の剣が抜き放たれ、大蛇の腹までを深々と切り裂いた。途端におびただしい量であるだけのただの水となった大蛇は水たまりとなって、そして地面へと還っていった。そんな人知を超えた攻防を、観客はただ固唾をのんで見守るか、感嘆の声を上げる位しかできない。
『挨拶代わりの水の大砲を、ブラッドレーのナイトが一閃!真っ二つ!セオリー通り、マテリアが射撃戦を展開の流れでしょうか!ブラッドレーの二人が懐に飛び込むか!?目が離せません!さあ次なる攻防は、両陣営どう動くのでしょうか?!』
その間はほんの数秒、刹那の間もスタジアムを歓声と、軽妙な実況の声が支配する。しかしますます白熱する観衆の興奮に対して、主役の4人はお互いを見つめあって、相手の出方を伺うように不気味なほど落ち着いていた。特にお互いのシンデレラは、着地してからさっきの攻防の間まで、一歩どころか、腕一つ動かしていなかった。張りつめているふうでもなく、自然体のまま、ただ姫としてそこに立っていた。
『さあ奇妙な膠着となりました!マテリアは撃たず、接近戦闘の達人ペア、ロード・ブラッドレーは走らず!全く得意分野の違うペア同士が、お互い動かずににらみ合っています!』
実況の言葉通り、純粋な勝ち負けが求められる勝負とは少し毛色が異なり、興行としての側面も併せ持つ大きな大会では、戦い方、そして自分たちの魅せ方も観客の好意の対象となる。自分たちの色が出れば出るほど、舞踏会への登場を熱望されるのだ。
マテリアは先ほどの大蛇に象徴されるような派手な魔法で相手を圧倒するペア。ナイトがド派手な水の魔法で戦場を賑わせば、プリンセスが不可視の風の魔法で戦場全体を切り刻む。真っ向から放たれるド派手な魔法と、未だ誰も成し遂げた事のない、シンデレラ・ナイト2年連続優勝の実績に裏打ちされた実力で、国内最高の人気を誇るペアと言って良い。
対してロード・ブラッドレーは、ナイトは鉄壁の鎧の大盾ですべてを防ぐタンク、かといって守り一辺倒ではなく、身の丈ほどの長剣で相手の守りを一瞬でもこじ開けたが最後、まるで暗殺者のようなプリンセスが身を翻し、一瞬で短剣を相手の姫君ののど元に突き付けてチェックメイト。そんな鮮やかさを売りにシンデレラ・ナイトの出場を勝ち取ったペアではあるものの、どうしても行動が読まれやすい都合上、上位チームには力及ばずベスト8敗退、しかしその鮮やかな戦い方を買われ、招聘された最強ペアとのエキシビジョンマッチに抜擢された、まさに、ワンチャンスに賭けるペア。そんな印象を、各チームに対してスタジアムにいる人物の大半が抱いている。今回の試合も十中八九、マテリアの二人の強力な魔法を防ぎきれるかが勝負の分かれ目となるだろう、と誰もが考えていた矢先、「マテリア」のナイトが身体の前で組んでいた腕をほどき、大仰な仕草でマントをひるがえしながら、真っすぐ相手のナイトを見据えたまま左手を天に掲げた。
掲げられた手の号令に呼応するように、2つの、直径2メートルほどの青く光る派手な魔法陣が現れて、その中心から筒状の砲身が突き出てくる。直後、轟音とともに発射される2発の水の砲弾の、その砲身と音はわざわざ式により加えられた演出であった。無音で不意を打つ事が可能であるにもかかわらず、相手に情報を与える理由はすぐにはわからなかったが、直後、無音の砲弾としなかった事がただの演出目的ではなかった理由を、ブラッドレーの二人が会場の誰よりも早く理解した。一瞬、ブラッドレーのナイトが顔をしかめる。中継のカメラは追いかけていなかったが、つつじの目にははっきりとその表情の変化が映っていた。飛来した1発目を、自身の持っていた盾ではなく、式で発現させた実体のない大盾で防ぐと、やや遅れて発射された2発目は同じく盾で受けることをせず、鎧の重量などものともしない脚力で大きく横に飛んで避ける事を選択した。そうして飛び退いた瞬間、その左右から空間を取り囲むように、いくつもの青の魔法陣と砲身が舞台上に発現した。
「はあ!?」
頭上の友人が驚きと困惑で声を上げるのと、スタジアムのざわめきををつつじは聞いた。先の大蛇の式など比べ物にならないほどの、理解を超える異質な式だったからだ。通常、人々が魔法の式で何かを為せるのは、おおよそ手の届く範囲、頑張ってもせいぜいその「少し先」だ。しかし時々、この「少し先」が尋常ならざる基準の怪物が現れたりする。だとしても、それでも十数メートルも先に繊細な式を書こうとすれば、特に試合中のように相手の攻撃の脅威に晒されているような状況下ならなおさら、ぶれてぼやけてしまう。それを、マテリアのナイトがいとも簡単にやってのけたのだ。いとも容易く記述された遠隔式と、ナイトの間に、記述を中継しその先に式を展開する補助式が存在したのを、つつじは読みとっていた。
結果、絵に描いたような挟み撃ちの砲火にさらされたブラッドレーのナイトは、さらに盾を掲げて前進するべきかを逡巡し、その一瞬の判断が決定打となった。左右から撃ちだされた4発ずつの砲弾は大盾で防いだものの、その場に完全に足を止められてしまう。即座に、その姿を見たマテリアのナイトが右手を正面へと突き出す。今度は中継式など必要のない、自分自身のすぐ傍らに8つの魔法陣と、8つの砲身を出現させ順次発射すると、3発目が漆黒の大盾を吹き飛ばして、4発目がブラッドレーのナイト自身を吹き飛ばした。5発目以降は吹き上がる水しぶきのせいでどうなったのか誰にもわからないありさまだった。
そしてその時、誰もがナイトの吹き飛んだ先に目を奪われた。
その一瞬の隙をついて、マテリアのナイトが突き出していた右腕とちょうど交差するように、これまで一切動かなかったブラッドレーのシンデレラが、肩を突き出しての体当たり、最初から暗器として隠し持っていた短剣、そして式で生成した同じ形の短剣を、ナイトの無防備な左胸に全て突き刺した。
『ああっ!!!』
そのあまりの速さに、ブラッドレーの戦闘スタンスを知り尽くして身構えていたはずのスタジアムMCでさえこの反応が精一杯だった。その刹那にも、最後に形成された一本の短剣で深々と横に切り裂かれたマテリアのナイトの傷口からは、今にも大量の血があふれ出しそうだった。
全ての物、人間さえも0と1で構成されるこの世界ではあるが、住人が全ての物を好き勝手に消したり改変したりできるか、というと必ずしもそうではない。作り出す方は比較的やりやすいものの、特に現実世界に存在する物質や他人の体内に影響を及ぼす改変を行う事は比較的困難であった。しかし実在しない短剣が身体を裂いたように、あまりにも易々と、怪物たちは世界を書き換えてしまう。
そして血が吹き出すまでの時間も経たない内の事、両者の攻防はこれで終わらなかった。ちら、とマテリアのナイトの顔色を覗き見たブラッドレーのプリンセスは、その顔が笑っている様に思えて、身の毛のよだつ思いを感じた。そんな悪寒を払拭する様に、真っ赤に染まった手でもう一本の短剣を懐から取り出すと、もはや痛みすら感じる暇さえなかったであろうマテリアのナイトを押し退けて、マテリアへの止めとなるもう一突きを敢行しようとした。そしてブラッドレーのシンデレラの、黒のドレスから覗いていた背中が、裂けた。傷口は、まるで大きなかぎ爪で引っかかれたような形をしていた。苦悶にゆがんだ表情のまま、今度はゴツという打って変わって鈍く低い音と共に、まるで大きな槌で横殴りに殴られたかのように横っ飛びに吹き飛んでいく。舞台の中央に投げ出された二人は、それぞれの血だまりの中で共にピクリとも動かなくなった。完全に時が止まったような雰囲気と、あまりにも激しい一瞬からの落差のおかげで、スタジアム全体が静まり返る。
プリンセス・ナイトのルールはシンプルで、相手のプリンセスを戦闘不能にすれば勝ち。つまり、決着の時にナイトはどうなっていても構わない。
リーンゴーン、リーンゴーン……と、決着、そして魔法の夜の終わりを告げる鐘が響く。その音の響く中で立っているのは二人だった。ドレスたる鎧は砕け、髪は解け、頭から幾筋も血を流しながら肩で息をしているブラッドレーのナイトの姿に対して、片やマテリアのプリンセスは穏やかな表情を崩さないまま、微動だにせず、歩くことも踊ることもせず、ただそれが当然と言わんばかりに、祝福の鐘を一身に浴びてそこに居た。勝者は明白だった。
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