カエルになった騎士

@jori2

カエルになった騎士

ある大雨の夜、真っ暗な森の中を、コート姿をしたイボだらけのカエルが二本足で駆けている。カエルは、傷ついた左足をかばいながら、ただひたすらに前へ前へと進み続けていた。あいつ達から逃げなければ。夜中に明かりひとつない森に立ち入ることは無謀だが、幸いなことにカエルの身体になったことで暗闇のなかでも色はわかった。しばらく走り続けると、桶をひっくり返したような音が聞こえてきた。先に進み、木々をかき分けると、濁流が広がっていた。しくじった、と血の気が引いた。普段は穏やかなはずの小川が、大雨のせいで大河に変わっていた。冷静に考えれば想像できたはず、焦りで気が回らなかった。この先には進めない、他に道はないのか。あたりを見回すが、これといった道はない。途方に暮れていると、背後からぞろぞろと足音が聞こえてきた。しまった、雨と濁流の騒音であいつ達の足音に気が付かなかった。見つかれば未来はない、こうなったら―。カエルは意を決して濁流に飛び込んだ。


―ああ、もう朝か。閉じたまぶたの上から太陽の日差しを感じる。今日は朝から訓練だったな、あいつ達は寝坊せずに来るだろうか。寝坊してきたら、なんて言ってやろう。さて、そろそろ支度をするか―。

目を開いて起き上がると、そこは見知らぬ部屋で、ベッドの上にいた。一瞬驚いたが、すぐに思い出した。決死の覚悟で濁流に飛び込んだのだ。だが、その先の記憶はない。なぜ部屋で寝ているのか、まさか捕まってしまったのか。そんなことを考えていると、正面の扉からガチャリと音がする。ベッドから飛び起きて、戦闘に備えるために構える。扉が開くと同時にカエルは息をのむ。扉が開くと、そこには若い女がいた。女はカエルの姿を見ると立ち止まり、キャッと小さく声を上げた。20歳くらいだろうか、服装を見るかぎり"あいつ達"ではなさそうだが。

「名を名乗れ」

カエルは威嚇するように、あえて厳しい口調で問う。女は目を見開き、わっと大きな声を上げた。

「カッ...カエルさんが...喋ってる」

女はしばらく口をパクパクとさせて、ハッと我に返ると、おどおどとした調子で"エマ"と名乗った。

「エマ、ここはどこだ」

「こっ、ここはわたしの家です。今朝薬草を取りに行ったら、あなたが河原で倒れていて傷ついていて、ここに運んで治療してたんです」

エマは続けざまに説明する。

「その...わたしはあなたの敵ではありません。信じてはもらえないかもしれないけれど...」

カエルは構えを解き、ベッドから降りて、エマに体を向けた。

「怖がらせてすまなかった。俺はシュトルツと言う。君が助けがなければ、死んでいたかもしれない。ありがとう」

シュトルツは左手を腰に当て、頭を少し下げた。騎士団式の敬意を示す構えだった。

「いいんです。それにしても、お話できるカエルさんなんて初めて見ました。コートを着ていたので普通ではないとは思いましたが」

エマは、コートは泥まみれだったので洗って干している、と言った。シュトルツは自分の服装を見ると、薄手のガウンに変わっていた。エマが着替えさせたのかと思うと、この時ばかりはカエルの身体で良かったと思った。

「俺は元は人間なのだ。昨晩、魔女に呪いをかけられ、この姿に変えられてしまった。信じられないとは思うが」

この娘に事情を説明したところで何が変わるというわけでもないのに、シュトルツは赤裸々に説明してしまう。

「もしかしてあなたは...。あ、いえ、どうして傷だらけで川に倒れていたのですか」

エマは何かを言いかけて、話を変えた。もしかしたら自分の正体に気づいたのかもしれない。

「騎士団に追われたんだ。なにせこの姿だ、化け物と罵られ、魔女の眷属と決めつけられた。結局逃げきれず、やむを得ず川に飛び込んだ」

エマは驚いた顔をしたが、それ以上何も聞いてはこなかった。すると、しつれい、とどこから男の声が聞こえてきた。エマは反射的に部屋の奥のほうに振り返り、はい、と返事すると、シュトルツのほうに顔を戻し、ごめんなさい、と言い部屋から出ていった。シュトルツはエマが出ていったのを見ると、すぐにエマが出ていった部屋の扉を少し開けた。シュトルツは扉に顔を押し当て、そっと外の様子を見た。外から聞こえてきた声の主は、騎士団の人間に違いない。男の挨拶が聞こえたとき、シュトルツは"公務では断りなく人の土地に入ってはならない"という決まりを思い出した。


扉の隙間から薬草の小瓶が並んだカウンターが見えたが、玄関の様子は死角になって見えない。顔を出して見てみようかと思ったが、これ以上顔を出せば自分の姿を晒す危険がある。聞き耳を立てる。

「コートを着たカエルを探しておりまして」

男がそう言うと、シュトルツの心臓はドクリと大きく鼓動した。エマは沈黙しているようだった。エマは今どんな表情をしているのだろうか、なんと答えるのだろうか―。一瞬の間のあと、フフッと笑い声が聞こえた。

「そんなカエルがいたら、ぜひ見てみたいですわ。もし人の言葉を話すなら客引きでもしてもらおうかしら」

エマの意外な返事に男は小さく笑った。

「信じられないのはわかります。自分も今朝知ったものですから驚きました。ただ、どうやら本当に出たらしいのです。もし見つけても近づかないようにお願いします。魔女の手先かもしれないので」

では、と男が言い、去っていく音がした。


エマは部屋に戻ってきたとたん、大きなため息をついた。騎士団をいなす様を見た時は器用なものだと感心したが、相当な気を使っていたらしい。

「すまない、俺はそろそろ出なければ。急ぎの用があったんだ」

シュトルツは何も知らないふりをして、呼吸を整えるエマにそう伝えた。本心は、エマにこれ以上迷惑をかけるのを避けるためだったが、かえって気を遣わせることになりそうだった。

エマは少し真剣な顔をシュトルツに向け沈黙したあと、微笑んだ。

「わたしのことは気にしないでください」

自分の考えを読まれて、シュトルツは驚いた。シュトルツの驚いた顔を見て、エマは笑った。

「わたしは人の心が読める魔女なんですよ」

エマは唐突に言った。

「何の冗談だ」

シュトルツがぶっきらぼうに言うと、エマはいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「魔法使いというのは嘘です。でも、人の気持ちが読めるのは本当です。だから、あなたは良い人だってわかるんです」

シュトルツはエマの言うことをすべて信じたわけではなかったが、"あなたは"という言葉遣いから、妙な真実みを感じ、エマが今まで出会ってきた人間の陰を察して、それ以上は何も返さなかった。やっぱり良い人なんですね、とエマは言った。

「気遣い感謝する。だが、行かなければならないところがあるのは本当だ」

シュトルツは部屋の窓を開き、窓に手をかけ、外に出ようとする。エマは、待って、とシュトルツを制止して、部屋を出た。しばらくするとトタトタと床を駆ける音がして、エマが折りたたんだ布を持ってきた。エマは布を開き、シュトルツにかぶせると、カエルの体がすっぽりと隠れた。フード付きのローブだった。

「これなら外に出ても、すぐにカエルだとはわからないはずです」

シュトルツは、ありがとう、と言って、窓に手をかける。

「この礼は必ずする。そのときは、君の店で客引きでもさせてもらおう」

エマは一拍置いて、騎士団とのやりとりを聞かれていたことに気づき、目を丸くした。シュトルツは笑みを浮かべながら、窓から外に飛び出た。


シュトルツは、女王陛下がいる謁見の間を目指していた。女王陛下だけは自分の正体を気づいてくれるはずだと信じていたからだった。

シュトルツは、エマの薬草店がある城下町から丘の上の城まで、歩いてやってきた。城下町から城に歩いていけば日が暮れるが、カエルの体は身軽で、いくら走っても疲れず、あっという間に城までたどりついた。昨日、ケガした左足は、まるで夢でも見ていたかように元通りに治っていた。これがエマの治療のおかげかカエルの体のおかげかはわからないが、治療のおかげにしておこう、とシュトルツは思った―。


城の周囲は普段よりも警備が厳しくなっていた。おそらく自分のせいだろう、と思う。城門は警備が厳しく抜けられない。シュトルツは城の横に回り込んだ。城の横は、見上げると首が真上に傾くくらいの城壁で塞がれており、警備兵はいない。それでも今のシュトルツには不思議と城壁を高いとは思わなかった。あの城壁を越えたいと願い、手と足を開いて地につけてカエルのポーズをとると、力がこもる。今だ。手足を一気に伸ばして地面を突き飛ばすと、体が吹き飛ぶ感覚とともに宙に跳躍した。城壁が遠く見えるほどの高さまでみるみると達すると、ゆっくりと停止する。その後、ゆっくりと地面に引っ張られていく。落下を始めてから気づく。まずい、着地のことを考えていなかった、と。シュトルツは恐怖と混乱で言葉も出ず、歯をくいしばる。カエルの手足をバタバタさせながら落下し、ぶつかると思った瞬間、シュトルツは黒光りする丸々とした目をぐっと閉じると、べちょ、という音がして、体に衝撃が走る。おそるおそる目を開くと、辺りを見回すと城壁の歩廊だった。体も多少足がジンジンするくらいで、これといったケガはなかった。宙を飛び完璧に着地できる身体に、シュトルツは感激した。この力があれば、女王陛下の謁見の間までひとつ飛びだ。


シュトルツはここぞとばかりに天井から飛び降り、女王陛下が座る玉座の前に着地した。女王陛下は目の前に現れた侵入者に驚き、硬直した。取り巻きの1人の騎士団が女王陛下の前に立ち、もう1人の騎士が剣を抜き襲い掛かってくる。シュトルツは騎士の攻撃を跳躍で避ける。

「やめてくれ、私に戦う意志はない」

叫ぶようにシュトルツは言う。騎士は侵入者の言葉に耳を貸すつもりはないようだ。許可なく女王陛下の前に顔を出して時点で死罪、シュトルツ自身もよくわかっていた。ならば仕方ない。騎士が剣を振りかぶった瞬間、シュトルツは足に力を込め、一気に踏み込む。 シュトルツは瞬く間に騎士の懐に飛び込み身体をぶつける。騎士は後方に吹き飛び、壁に激突し、気を失った。次は女王陛下の前に立つ騎士が剣を引き抜き、ゆっくりとシュトルツに向かって歩いてくる。

「私は陛下にお伝えしなければならないのです」

シュトルツは戦う意志がないことを伝えるも、騎士は聞く耳持たずと言わんばかりに切りかかってくる。止むを得ない。剣を避けながら宙に跳躍、天井に張り付き、すぐさま騎士を目掛けて急降下する。落下しながら騎士の両肩を両手で掴む。そのまま騎士が背中から倒れるように、両肩を引っ張りながら着地し、地面にたたきつけると、騎士のうめき声が聞こえる。騎士が動けないことを確認してから、シュトルツは女王のほうを向く。

「怖がらせたこと、お許しください」

シュトルツは、ローブのフードを取り、カエルの姿を晒す。女王は何も言わず、目を丸くした。

「私は第三騎士団副団長シュトルツです。この姿ではわからないのも当然ですが、シュトルツなのです。 昨晩の社交界で、貴族の女に紛れていた魔女にカエルに変えられてしまったのです」

女王は、真剣な面持ちになった。シュトルツは、祈るように女王を見つめる。陛下jからは多大な寵愛を賜った。副団長になれたのも、陛下の推薦のおかげだ。陛下ならば、信じてくださるはずだ。

「お前のような化け物のことなど知るわけがないでしょう。それもシュトルツの名を騙るとは笑わせないでちょうだい。シュトルツはとても美しいの。あの男を近くに置くために、どれだけ手を尽くしたか。ああシュトルツどこで何をしているのかしら」

女王は頬に手を置き、しばらく恍惚とした表情を浮かべて、シュトルツへの愛を語った。 シュトルツは女王の一連の言葉を聞いて唖然とした。自分が副団長になったのは、実力を認められたからではなかったのか。 自分が受けた寵愛は見た目を気に入られただけのということに失望し、軽蔑した。シュトルツは、失意のあまり膝をついた。


シュトルツの脳裏に社交界の記憶がよみがえる。貴族の女たちは私の容姿を目当てに寄ってきては、私が言葉を発するたびに色気づいた声を上げる。浅はかな奴らだ、と思った。彼女たちの瞳には、私の容姿しか映っておらず、私の人となりを気にする様子もない。この女たちを見るたびに、私とは何なのかと不安になる。私の存在意義は容姿だけなのか、と。その後は自分が副団長であることを、と自分自身に言い聞かせる。第三騎士団副団長という肩書は、誇りであり、自分を安心させてくれる魔法の言葉だった。

―帰ろう。ここにいても気分が悪くなるだけだ。飲みかけのワインが入ったグラスをテーブルに置いて帰ろうとしたとき、あの女は現れた。女は、私の姿を見るなり、浮ついた顔で声をかけてきた。またか、とため息をつく。私は機嫌が悪く、相手に伝わるようにあしらう。態度に出てしまった、と少し引け目を感じたが、取り繕う気にはならなかった。女の顔も見ずにホールの出口に向かって歩き、女の横を通り過ぎた直後、背後から低い声がブツブツと聞こえた。社交界の声にかき消えそうだが、独特の発音だったため呪文だと気づいた。シュトルツは思わず女のほうを振り返る。その瞬間、目の前がぐらりと歪んだ。視界が真っ暗になってゆく。薄れゆく意識の中で見えた女は、淀んだ目をしていた―。


女王はカエルに目もくれず、しばらく遠い目をしていたが、ハッと何かに気がついたように目と口を丸く開いた。徐々に女王の表情は怒りに満ち、カエルのほうを見た。

「まさかお前はシュトルツを殺したのか」

カエルは女王の言葉にぴくりと反応した。私にはどこにも居場所はないのだ、確かに死んだも同然だと思った。カエルはゆっくりと女王に顔を向けた。

「その通り、シュトルツは死んだのです」

女王は、その言葉を聞いた瞬間、侵入者がいるぞ、と大声で叫んだ―。


城下町のランドマークとして女王の彫像が置かれている広場には、処刑のためのギロチンが設置され、カエルの化け物を一目見ようとする市民で溢れかえっていた。城下町には第三騎士団副団長が殺されたというニュースが伝わっていたが、話題の中心は副団長の惨事よりも、カエルの化け物のことだった。

昼、広場に最も人が集まる時間になると、縄で手を縛られ白い服と頭巾を着た囚人が、何人もの役人に囲まれながら広場にやってきた。囚人は役人に連れられ、ギロチンの前に立つ。役人は囚人の頭巾を掴むと、勢いよく剥いだ。イボだらけのカエルの頭が露わとなった。カエルの姿を見た市民は、ガヤガヤと驚きの声を上げた。笑い声や叫び声、いろいろな声が入り混じっている。

シュトルツは、ギロチンの前で役人に背を掴まれ、ギロチンの下に頭を置かれる。進んで動くわけでもなく、抵抗するわけでもなく、ただ役人から加えられる力に身を委ねていた。役人がシュトルツの前に立ち、市民の前で罪状を伝える。罪状を言い終わった後、すぐにしんと静まった。今から処刑が始まる、という空気が自然と広がり伝わる。

シュトルツは目を閉じた。そのとき、ふとエマへのお礼のことをすっかり忘れていたな、と思い、チクリと心に痛みが走った。

「待ってください」

覚えのある声が聞こえた気がして、目を小さく開く。頭を少し上に傾けると、目を丸くした。目の前にエマがいた。

「この方こそがシュトルツ様です。殺されてなどおりません。魔女の呪いでカエルに変えられてしまったのです。処刑してはいけません」

エマは、カエルに罪がないことを役人に訴えた。エマの訴えを近くで聞いていた市民たちから困惑が広がった。小さな波は徐々に全体に広がり、広場はザワザワと市民の意見が飛び交った。処刑を勧める意見、処刑を見送ったほうがいいとする意見、様々だった。その中で、どこからか1人の市民の大きな声が響いた。

「本当に魔女の仕業だったら、奴らの片棒を担ぐことになるぞ」

魔法使いは悪魔と契約して人知を超えた力を得た人間のことで、悪の象徴だった。この言葉で市民の意見は、処刑を見送る方向に傾いた。役人たちは、処刑に市民が反対することなど今までなかったため、困惑した。

「静まれい!静まれい!」

1人の役人が慌てた様子で、周囲に呼びかけた。

「この処刑は陛下のご命令だ。止めることはできぬ」

この役人の理不尽な呼びかけにより、市民からの反発に火が付き、怒号が飛び交った。役人はワッと驚いた声を上げた後、すぐに市民に静粛にするように促した。市民が落ち着きを取り戻すと、役人が1つ提案をした。

「この女がこのカエルに口づけできれば処刑を見送る。できなければ即刻首を落とす。これがシュトルツ様ならば、できるはずだ」

イボだらけの醜いカエルに口づけをする、という嫌悪感によって、市民から悲鳴が上がったものの、この提案に反対する人は誰もいなかった。若い娘が醜いカエルに口づけできるのかが、市民の関心の的になったのだ。シュトルツは、エマが自分を必死に助けようとしている姿を見て、申し訳ない、と思った。もはや生きる気力もない人間を、危険を冒してまで助けようとしていることが申し訳なかった。

「エマ、もう良い。シュトルツは死んだのだ」

エマはシュトルツの顔を見て、悲しげな顔をした後、シュトルツに顔を近づけた。シュトルツの唇に柔らかい感触が一瞬当たった。顔を離すと、エマは照れたように笑っていた。

「まだあのときのお礼を受けていません。客引きをしてくれるのでしょう」

エマの照れ笑いを見つめながらシュトルツは思った。ああ、生きなくては、その瞬間、視界が徐々に真っ白になり、ぐらりと歪んだ。カエルの体が光に包まれ、徐々に人の形になっていく。広場にいる人間が驚きの声を上げる。光が消えたとき、肩まで伸びた金髪、白い肌、女性にも男性にも見える顔立ちの美しい人間がいた。それはシュトルツの元の姿だった。

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