第5章 正常だぞ?
神経が損傷していて、一生まともに使うことは叶わないだろう。
血だらけで施設に帰ると、施設は騒然とした。
命にかかわるようなケガなのだから、当然の反応だっただろう。
「自分でやったんだ」
綿貫がそう自白しても、誰も信じてくれなかった。
錯乱していると判断されて、メンタルケアを受けさせられるだけだった。
結局『イノシシに襲われた』ということにされて、捜索隊が組まれた。
そのせいで施設の老人たちが混乱して大変だったが、今は落ち着きを取り戻している。
そして一か月が過ぎた現在。
一番得したのは、被害者(ということになっている)の綿貫だった。
「綿貫さん、おはようございます」
「ああ。おはよう。乙葉さん」
結果から言えば、綿貫と乙葉、二人の距離は急接近していた。
『私があんなことを言ったから、綿貫さんは大ケガをしたんですよね』
綿貫の大けがしたことに対して、乙葉は責任を感じていた。
大粒の涙を流しながら謝罪するほどに。
「乙葉さんのせいじゃありませんよ。これはちょっとした事故だったんです」
罪悪感に
すると、乙葉はすんなりと心を許すようになった。
綿貫が冗談を言ったら笑うようになり、少しのボディタッチなら受け入れるようになっていた。
今では当然のように一緒に食事をする仲だ。
完全に弱みに付け込んでいるだけなのだが、綿貫の心に罪悪感は微塵もない。
ただ純粋に、乙葉とお近づきになった喜びと多幸感を噛みしめているにすぎない。
「それでは、綿貫さん、また明日」
「ああ、また明日。乙葉さん」
シフトの時間が終わった乙葉は、寮へと帰っていき、綿貫はその背中を見送った。
すると、背後から声を掛けられる。
「すみません、綿貫さん。お時間よろしいですか?」
振り向くと、はち切れんばかりの筋肉を持つ施設長が
しかも真剣な顔で。
「どうしたんですか。施設長」
(何か大きなミスをしたか?)
とっさに身構えても、施設長の表情は変わらない。
「すみません、あまりこういうことは言いたくないのですが」
硬い表情のまま前置きした後、慎重に口を開く。
「これ以上、乙葉さんと仲良くしない方がいいと思います」
「なんでですか?」
綿貫の声は苛立ちと警戒心で震えていた。
実は施設長が乙葉を狙っていて、自分をけん制している、と邪推したのだ。
だけど施設長の次のセリフは、予想以上に不可解だった。
「前も言ったと思うんですが、私には霊感があるんです」
「霊感?」
その言葉を聞いた瞬間、綿貫は眉間にしわを寄せた。
うさん臭くて仕方がない、と顔にありありと書いてある。
ちなみに「前に言われた」記憶はない。
「しっかりは見えないんですが、ぼんやりと写るんです」
「信じられませんね」
呆れたと言わんばかりに肩をすくめる綿貫に対して、施設長は彼の背後を指さした。
「今、あなたの後ろには化け物がいます」
「バカバカしい。そんなことあるわけがない」
言葉とは裏腹に、不安になって上体をひねって振り向いてしまう。
やはり何もいない。
見えない。
綿貫は「ほぅ」と安堵の息を吐いてから、施設長に向き直る。
「信じられないかもしれませんが、事実です。
綿貫さんには、とても恐ろしい化け物が憑いています」
「いい加減にしてください」
綿貫の怒気のこもった静止も聞かず、施設長は淡々と続ける。
「しかも、あなたが乙葉さんと話すときに活性化しているんです。おそらくは化け物を刺激してしまっているのでしょう」
「なんなんですが、あなたはっ!」
「綿貫さん、それは私のセリフですよ」
ピシャッと言い切られて、綿貫はひるんだ。
「綿貫さん、あなたは自分をなんだと思っていますか?」
「なにって……」
(この施設のスタッフの、綿貫という男だ)
そう答えるのは簡単なはずだ。
それなのに、どうしても口に出すことができなかった。
何かが心の奥底で引っかかっている。
綿貫はその正体がわからなかったけど、触れていけないものだと感じていた。
「綿貫さん。落ち着いて聞いてください」
「なんだ?」
苛立ちが先立って、丁寧な言葉遣いが出来なくなっていた。
だけど、そんなことを気にする様子はなく、施設長は浅く息を吸った。
「いいですか。あなたはこの施設の――」
■■■■■■■■■
■■ヶ■ケ■■ッ■
■■■■■■■■■
施設長の言葉を遮るように、不気味な声が聞こえた。
ペットの声だ。
だけど、姿は見えない。
ふと目を落とす。
すると、ペットが
普段の飼いならされた姿はどこにもない。
野生の獣のような、むき出しの殺意に溢れていた。
2メートル近くの
首で支えられているのが不思議なほど肥大化した頭部。
毛は生えていなくて、その代わりに鋭利な鱗がまばらに生えている肌。
手のひらにはびっしりと鱗が生えていて、自身の血がペッタリとついている。
だけど、普段は寂しがり屋で、人懐っこいかわいいやつだ。
そんなペットが――施設長を襲おうとしている。
「やめろ!!!!!!」
綿貫はありったけの力で叫んでいた。
いきなり叫んだせいか、喉が痛んで、血の味が口内に広がっていく。
ペットはピタリと動きを止めた。
そして、ゆっくりと首を回して、綿貫の目をじっと見つめ始めた。
大きくて腐った瞳。
まるで「本当にいいのか」と問いかけているように見えた。
「行ってくれ」
虫の羽音のような声を絞り出すと、ペットは夜の廊下の暗闇へと消えていった。
「なんなんだ、あれは……」
呆然自失のまま施設長が呟くと、綿貫はボソリと無意識に答えてしまう。
「……猫ですよ」
数秒の間があった。
「そんなわけないだろ」
施設長の苛立った声が、夜の廊下へと溶けていった。
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