第6章  ̄止尚吊(せぃじよお)前編
ある夏日の昼休憩。
彼の右手は依然、使い物にならない。
指がピクリとも動かないし、感覚も失っている。
そうなると左手で食べればよいのだけれど、そう簡単ではなかった。
そんなことを愚痴ると『綿貫の右手のケガに責任を感じている』乙葉が食事をサポートしてくれるようになり、今も継続している。
過程は違うけど、結果は綿貫の思惑通りにった。
一通り昼食を摂り終わると、乙葉は神妙な面持ちで語り掛けた。
「すみません、綿貫さんは寮の一室を使ってるんですよね?」
(ん?)
なんだか乙葉のセリフに
「それがどうかしたんですか?」
返事はすぐに返ってこなかった。
乙葉はモジモジとしていて、顔は少し赤くなっている。
実にかわいらしい。
……憎たらしいほどに。
(ああ、なるほど)
綿貫は乙葉が次に何を言いたいのか、すぐに察した。
だけど、本人の口から聞きたくて、微笑みながら待ち続けた。
「綿貫さん、その、あなたのお部屋に伺ってもよろしいでしょうか」
綿貫はしばらく、言葉を発せられなかった。
予想はしていた。
的中した。
だがしかし、
「あの……やっぱりダメ、ですか?」
「い、いえ。そんなことはないです」
泣きそうな乙葉を見て、慌てて返した。
すると、彼女の顔がパァッと明るくなって、綿貫の頬も自然とほころんでいく。
そんな、甘くて穏やかな空気が流れる中――
バン、と。
突然、休憩室の扉が開かれた。
二人はとっさに振り向くと、そこには息を荒げた施設長の姿があった。
明らかにただ事ではない雰囲気だ。
「ど、どうしたんですか!?」
綿貫が驚きながら問い掛けると、施設長はきょとんとした顔を浮かべた。
その後、安堵したように深いため息を吐いた。
まるで『最悪の出来事が起きると思ったら、肩透かしをくらった』みたいな雰囲気だ。
「い、いえ……。ちょっと悪寒がしたので……。無事でよかったです」
顔を緩めた施設長に対して、綿貫と乙葉は不思議そうな顔を浮べた。
状況が全く理解できていない。
「お二人とも、本当に仲がよろしいですね」
「そ、そんな、仲が良いなんて……」
指摘されて余程恥ずかしかったのか、乙葉は下を向いてモジモジとしてしまっている。
本当に、あざとくて憎たらしい。
そんな乙葉をスルーして、施設長は綿貫を軽くにらみつけた。
「綿貫さん、わかってますよね?」
そう言われても、綿貫は最初ピンとこなかった。
だけど、徐々に記憶が蘇ってくる。
(俺に化け物が憑いている、とかいう話だよな。刺激しないために、乙葉さんと仲良くしない方がいいとか)
しばらく考えてから、綿貫は真剣そうに頷いた。
「それでは、失礼しました」
そう言い残して、施設長は部屋から出ていった。
ちょっと白けた空気の中、乙葉はボソリと呟いた。
「なんだったんでしょうか。施設長さん」
「多分、疲れているんでしょうね」
綿貫は乙葉に微笑んで見せた。
だが心の中は裏腹だ。
(そんなの知らねえよ)
そもそも、綿貫は『化け物が自分に取り憑いている』なんてことは全く信じていない。
そんな状態では、施設長の忠告なんて聞くはずもなかった。
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今回は溜めです
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