第55話 最後の勝負
ブリッジに出ると、強風が直行の疲れ果てた体を吹きつけた。
動き回ってからだが暖まっているので寒さは感じない。
屋上に続く鉄はしごを見つけて、ゆっくり登っていく。
左腕が使えないうえに木刀をもちながらで、登りづらくてしょうがない。
やっとのことでたどり着いた直行。
そんな彼をはじめの「遅いよ」という涼やかな声が出迎えた。
「悪りいな、はじめ。なんだお前もやられてるじゃないか」
二人を月明かりが照らす。床に座るはじめは、いつもの頭巾は外していた。
はじめの紫色の衣には血の跡が見える。
「足か」
「うん、撃たれた。かすっただけだけど、血が結構出てる」
はじめは、よっと小さい掛け声とともに屋上に立った。
「でも気にしなくていいよ」
「ああ、気にしない」
「あのさ直行、お前のとこって親は仲いい?」
「普通じゃないかな。親父がちょっとそっけないけど、多分俺の見ていないところではそれなりにいちゃいちゃしているんだと思う」
「俺の親は仲が悪かったよ。しょっちゅう口げんかしていて、俺はいやでしょうがなかった。でも、たいして相性がいいようには見えなかった二人だったけれども、最後まで一緒だったらそれなりの答えにたどり着くことが出来たはずだった」
直行ははじめの話を聞きながら、真っ暗な海の向こうを見ていた。小さな明かりが、二つ、三つ。どんどん大きくなってくる。
「俺にはこんなことしかできなかったよ、直行」
「終わらせよう」
直行は応えた。
近づいてくる光。音を伴いだしたと思ったら、それはあっというまにフェリーの上まできた。
ヘリコプターが二機。ライトで船上を照らす。
片方はスピーカーでなにやらがなり立てているので警察ではないかと思う。何を言っているのかは聞き取れない。
もう一機はカメラをフェリーに向けているのが見えた。テレビ局だ。
「直行、おまえまで顔が晒される」
「いいんじゃね、別に」
本当に構わなかった。ただ、はじめとの勝負を邪魔されることが口惜しかった。
警備艇らしきものも近づいてきている。フェリーの横にくるまであと数分だろうか。警官が乗り込んできたらさすがにそこまでだ。
そのとき人が大勢騒ぐ声が聞こえた。
振り向くと、黄色い頭巾。でもクモ男にしては小さい。
「お前、マオリか?」
「直くん、こっちは任せて」
マオリはそういうと両手で持っていたジュラルミンケースを開けた。中には多量の札束。
白い細長い紙で留められた状態のままで、マオリはそれを放り投げた。下から歓声が上がる。
「え、どうなってんの」
直行がはしごの下をうかがうと白地のジャージを来た集団が、マオリの投げ続ける札束に群がって右に左に走り回っている。
どさくさにまぎれて忍の姿も見える。
「あの人たちに協力してもらっているの。これ結構楽しいよ」
ヘリのカメラはマオリと下の集団を写し続けて、直行とはじめには目もくれない様子。
はじめはヘリを見上げながら笑った。
「よくやるよ」
そしてはじめが視線を下に戻した瞬間、眼前には右手で木刀を振りかざし向ってくる直行の姿があった。
大きな音が響く。
直行が振り下ろした木刀を、はじめの特殊警棒が受け止めた。
直行は木刀を振り回し続ける。
右腕だけとは思えないほど重い一撃。
一振りするたびに左腕には激痛が走り、傷はどんどん悪化しているに違いがなかったが、直行は死に物狂いで打ち込み続けた。
はじめは受け止めるが、どんどん後退していく。
屋上の端まであと数メートルというところまで追い詰められる。
はじめは叫び声を上げて警棒を下から振り上げた。渾身の一撃で直行の木刀が跳ね上がる。
がら空きになった直行の上体、はじめは最後の好機とみて踏み込むが、そのとき直行の跳ね上げられた木刀の軌道が弧を描くのをはじめは見た。
ほんの一瞬、直行ははじめに背を向けたような体勢になる。そこから背中の筋肉をフルに使って、木刀を一気に振り下ろした。
マオリが叫ぶ。
「行けっ、直くん!」
二人の一撃はすれ違い、先に相手を捕らえたのは直行のほうだった。
はじめの足の撃たれた傷に、直行の木刀が直撃した。
「あ・・・・・・!」
声も出せないほどの激痛。はじめは後ろによろめいた。
直行は木刀を投げ捨てて駆け寄る。はじめが倒れこみ、危うく下へ落ちそうになるところを、直行の右腕がかろうじて抱きとめた。
「痛え」
はじめが呻く。
直行は紫の衣を掴んだままじっと見下ろしている。やがてはじめは呟いた。
「直行、俺はもうあきらめてもいいのかな」
直行は答えない。目も逸らさない。
「人に聞くなってか。厳しいな君は。分かったよ。俺の負けだ、直行」
それを聞き届けると、直行はぼそっと「よし、帰ろう」と言った。
後ろから黄色頭巾をかぶったままのマオリが来てはじめの腕をつかむ。
そして二人で力を込めて、はじめを起こした。
「はじめさん。あなたには言ってやりたいことが山ほどあるけど、また今度にするわ。とりあえず、お互いよくがんばったよね」
マオリの言葉にはじめは顔を歪めた。そして彼はマオリを強く抱きしめた。
マオリはびっくりしていたが、声を上げずに泣いているはじめの背中を「よしよし」といってやさしく撫でた。
その光景がとても面白くない直行は、そっぽを向いて歩き出した。
鉄はしごで三人が降りると、大輔がいた。真田を肩に担いでいる。
「警備艇が二隻見えるだろ。これから警官がわらわらフェリーに乗り移ってくるけど、それみんな財前の協力者だから。適当に騒ぎながらあっちに乗り込め、そんで逃げよう」
後ろには財前の姿があった。父の姿を見てはじめはまた涙ぐみそうになったが「はじめぇ、やられてしまったなあ。また今度なにか手伝ってくれよ」と財前があっけらかんというと「勘弁してよ、父さん」といって少しだけ笑った。
真田が直行を見る目が据わっている。
「おや直行さん。口についているのは血かと思ったら口紅ですか?」
「いえ、血です」
直行は目を合わさずに答えた。
忍とマオリが陸上部の面々に手を振って彼らは客室に去っていく。
お礼をいう二人に、陸上部員たちは「こちらこそー」と手を振り返した。その手には札束がしっかり握られていた。
「おーい、歩けるか?」
財前が声をかけると、奥からクモ男が歩いてきた。
直行は一瞬あせったが、マオリが構わず近づく。
「これ、ありがとうございました」
そういって差し出す黄色い頭巾を、クモ男は怪訝な表情で受け取った。
「どうしました?」
マオリは首をかしげて笑う。
「俺のこと、怖くないの?」
「え? だって、あなたは」
マオリが続きを言う前に、クモ男の表情が変わった。
階段の下からスキンヘッドの男が一人、銃を構えて現れた。反財前派の生き残り。
そちらをマオリが振り向くのと銃声が響くのは同時だった。
マオリは悲鳴を上げた。直行たちも一斉にそちらを見た。
彼女の前に立ちはだかったクモ男。銃弾が彼の胸に命中していた。
スキンヘッド男がもう一度銃を構えたとき、財前が胸元から出した拳銃を放ち、男は腕に銃弾を受けて階段を転がり落ちる。
クモ男は倒れず、甲板をふらふらとさまよう。すがって泣き喚くマオリに彼はうなずく。
マオリが怖がらないように、泣かないように、ぎこちなかったけどがんばって笑った。
「いいのいいの、俺、お巡りさんだから」
そう言葉を残して大きく体を揺らがせたクモ男は海へ消えた。
水面に落ちた音は風に消されて誰の耳にも届かなかった。
マオリの彼を呼ぶ声も、近づく船の波音にかき消された。
やがて始まった警官たちの空騒ぎの中、直行たちは警備艇に乗った。
船は動き出す。遠ざかっていくフェリーはいまだヘリのライトにせわしなく照らされている。
「ごくろうさん」
甲板で、そういいながら大輔は風にそよぐ真田の髪の毛にそっと触れる。
真田は目を閉じて微笑んだ。
「珍しいこともあるもんだ」
「何がさ」
「古橋くんがあからさまに優しい」
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