第52話 月光

 直行と大輔が対決の場にフェリーを選んだ理由は、人目のある、それでいて隔離した状態を作れば、相手の全戦力とまともにぶつかったりせずに済むのではないかと考えたからだ。


 次から次と援軍がこられたらとても手に負えないと思った。


 目的を果たした後は救助用のゴムボートを拝借してでも脱出するつもりだった。


 しかしこんな、財前反対派たちがこの機に乗じて襲ってくるような状況はまさか予想していなかった。ねずみ小僧が尾けられていたのかもしれない。


 救助要請の信号のようなものは船からは出されているのだろうか。


「隠れろ」


 大輔の言葉で柱の影に隠れる。


 数秒待っていると誰かがこちらに向ってくる。


 気付かれぬようそっと相手を伺うと、体格のいい男性だった。


 みなりは一般人のそれだが、手には銃身の長い銃を所持している。


 通り過ぎて背中を向けた瞬間、大輔が飛び出して、相手が振り返るより先に頭にとび蹴りを見舞った。


 敵は失神して、持っていた銃が床に転がった。


 直行がそれを手にしてしげしげと眺めた。

「引き金を引くだけでいいのかな」

「駄目だ、直行。それ使っちまったら、お前の人生もう後戻りができないぞ」


 大輔は直行から銃をそっと受け取った。


 向こうから、もう一人こっちに走ってきた。


 一瞬敵に見つかったかと肝を冷やしたがそいつはのんきな声で「おーい、大ちゃーん」といって手を振っている。


 大和新聞の柏木。ピンクのYシャツが実に場違いだ。


「いやまいった。こんなことになるなら俺、来なかったのに。この際かくまってくれよ」


「調子いいなあ、お前」


 その言葉を言い終わったとたんに銃声がして柏木の体は弾け飛んだ。


 大輔は思わず手にしていた銃で柏木の後ろにいた敵にむけて引き金をひいた。


 標準なんてあわせられるはずもなかったが威嚇にはなった。


 敵が引っ込んだ隙に直行が柏木に駆け寄って、もといた柱の影まで連れて戻った。


「おい、柏木。しっかりしろ」


 銃弾は背中に命中していた。大輔が抱えて何度も声をかけるが、もはや意識が朦朧としていた。

「・・・・・・おとんじゃないよ、パパだよ」

 それが最後の言葉だった。


 動かなくなった柏木を覗き込んで直行が呆然としている。

「俺のせいなのか、親父。俺がこんな計画たてたから」


「いまは誰のせいとか言ってる場合じゃない。呼び水にはなっちまったんだろうけどな。財前たちの何年にも渡る争いに俺たちだって巻き込まれたんだ。いいな、直行、気をしっかりもて」


 柏木の亡がらを床に横たえると。大輔が銃、直行が木刀をもって月明かりの廊下を更に進む。


 さっき柏木を撃った敵は見当たらなかった。他の相手を見つけてそっちにいったのだろうか。


 どこかでまた銃声。


「直行、ねずみ小僧はどっちにいると思う」


「あいつのことだから、特等席でくつろいでいるんじゃないかな。上、だろ」


「ふむ、じゃあお前はひとりでそっちにいけ。俺はあっちだ」


 大輔が指差した方は駐車エリアへとつながる下り階段だった。


「見覚えのある、黄色い頭巾が下りていくのが見えた」

「クモ男」


「あいつは俺に任せろ。直行、不吉なことをいっていいか?」

「やめてくれよ」


「帰ったら母さんのカレー、腹いっぱい食べような」

「やめろっつーの」


 直行は一人になった。


 船が時折きしむ音しか聞こえない。


 歩を進めると、船のゆれで足が沈むような感覚。


 母がカレーを作っている後姿を思い出しながら歩き続けた。母は普段は質素倹約をよしとしているが、彼女いわく『本気カレー』を作るときは、高い材料を惜しみなく使って、極弱の火で半日以上ことことカレーを煮込み続ける。


 エントランスホールの階段をゆっくり上る。


 直行の行く手で又銃声が二発響いた。かなり近いようだったが、その後何も物音がしなくなった。


 フェリーの居住区は三階立ての構造になっている。


 最下層から一階上がったところで人の気配に気付いた。


 月に照らされた長い人影。


 直行がそちらを振り向くと、展望デッキへの出入り口のドアにもたれかかって、背の小さい月影の主は外を眺めてタバコを吸っていた。


 真田鈴だ。


 月を見ているのだろう。真っ白いパーカーのフードをすっぽりかぶって顔が隠れている。


 ふっと口元から煙をはいた。


「よっ」

 彼女は、直行のほうを振り返り左手を軽く上げて、ささやくような小さな声でそういって親しげに微笑んだ。


 フードの下にのぞくその瞳にも蒼い月が宿っているかのようだった。


「邪魔者はみんなやっつけたわよ。銃を相手にするなんて初めてだったけど、よけた」

「相変わらず簡単にいいますね」


「この上にはじめくんはいるわ。でもあなたを行かせるわけにはいかない。だって直くん強いんだもん、勝っちゃうでしょ。だからだめ。わたしはあなたを止める」


「俺と親父の味方はしてくれないんだ」


「ごめんね。もう一息なのよ。あともう少しで、わたしたちはこの世に跡を遺していく事ができるの」

「もう晴信さんはそれを望んでいない」


「いまフェリーがいるのは愛知の沿岸あたりかしら。じきに警察やマスコミが駆けつけるわ。そしたらはじめくんと財前さんの大芝居が始まる」

「財前誠一がこの船にいるの?」

 

 このとき大輔は僅かな明かりしかない駐車エリアで財前誠一と出会っていた。


「見つかってしまったか」


 大輔は財前に軽く会釈して、鉄網の階段をゆっくり下りた。


 カツンカツンと音が響く。


 見つめる財前。黒いコートを今日も襟を立てて着ている。


 横ではクモ男も大輔のその姿を凝視し続けている。

 

 財前が手に持っている大きなジュラルミンケースを掲げた。

「金は持ってきたよ。ここだけの話、五億はないけどな」


「金額は適当に決めたんで気にしないで下さい。真のねずみ小僧はその金を奪い、またばら撒きますか」


「きれいな金じゃないんだよ、これ。律儀に金を準備したのはいいが、その出所がまずくて、ばれた警視庁副総監はいよいよその立場が悪くなるのさ」


「そこらへんはカットですね。それはまっとうな金で、あなたは敵陣に単身乗り込んだ、勇気ある意外といい人間じゃないかと世間が見直すことになる。外部監査法案はその勢いで見送りだ」


 財前は笑った。大輔はくたびれたコートを脱ぎ捨てた。


 大輔めがけてクモ男が飛びかかったのと、エントランスホールで直行と真田鈴の戦いが始まったのは同時だった。

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