第51話 乗船
鏡子からのメールが大輔の携帯に朝一で届いた。
昨日まで福島でぴんぴんしていた友三じいさん。
今朝も馬の調教をする予定だったのに起きてこなくて、使用人が様子を見にいくと既に冷たくなっていた。八十七歳。
「まあ、年を考えれば仕方がないけどな」
大輔が言う。
聖澤鏡子は父に続いて祖父をも失ってしまった。これから当主としての責任は彼女一人にのしかかっていく。
彼女から大輔へのメールには、最後にこう書かれていた。
『わたしはこれからもこの地で戦い続けます。あなたもあなたの場所で戦い続けるのでしょう』
昼過ぎに出発準備完了。
直行は紺色の薄手のスタジャンを着て玄関で靴紐を結びながら、へたったコートをはおる大輔に話しかけた。
「こういうのって、何か理由があるものなのかな」
不思議でならないのだ。大事なこの日に友三じいさんが天に召されたということが。
「運命とか、そういうのって俺も分からないよ。でもまあ一ついえることは、あの爺さんあの世行っても別に俺らを応援してくれたりはしなそうだ。文句があるなら自分の力でなんとかしろこのボケナスとかいいそうだ」
「うわ、想像しただけで腹が立つ」
直行は笑って立ち上がる。
「じゃ母さん、行ってきます」
古橋親子は東京へと向った。
フェリーの入口であっさり捕まえられたら、それで試合終了だ。
決闘の意思は伝えてあるが、どう対処するかは向こうの自由。
しかし、特に細工をするでもなく正面から二人はフェリーに乗る。かといって目立つパオでわざわざ乗船する必要もなかろうと、車は付近の駐車場においてきた。
白い船体に青いライン。定員四百名のおーしゃんいーすと号に乗り込む。
車なしだとフェリーの乗車手続きというのはごく簡単だ。
午後七時出航。少しの間甲板に出て東京湾の夜景を眺めていたが、風が強くてすぐにカーペット敷きの二等客室に戻った。
簡素な棚に少ない荷物を押し込んで床に寝っ転がる。壁際では小形の液晶テレビが無音でニュースを流していた。
直行の荷物は布袋だけだ。中にはもちろん木刀が入っている。
「マオリちゃんには結局言わなかったのか?」
「言ったら来ちゃうだろ。その代わり晴信さんの病院を教えておいた」
糸井晴信は先日手術を受けた。十時間に及ぶ大手術は一応成功したが、予断は許さず、まだ意識は戻っていない。
「忍に頼んで、病院に付き添ってもらってる」
「でも断られちまったよ」
直行は予想していなかったその声に振り返る。そこにいたのは忍とマオリ。
「うわ、おまえらどうして」
「来ちゃった」
はにかむ忍が気持ち悪い。
「お父さんには会ってきたわ。まだ目を覚ましていないけど。直くん、はじめさんと決着つけるのね」
マオリの顔には、はっきりと『なに言われても絶対に帰んない』と書かれている。
「危ないんだって本当に」
直行はうなだれる。
「忍、お前もだよ。広子に俺が怒られちまうだろ。あいつこのこと知ってんの?」
「広子とはさ、別れてきた」
「はあ?」
「行ったら許さないって騒ぐからさ。そんなわけにいくかよ」
「お前・・・・・・この馬鹿。親父、どうしよう」
「直行は友達が多くていいなあ」
「うるさいな。こいつらだけだよ」
直行は言ってしまってから、それを聞いてにやにやしている忍とマオリに気付いて自分の言葉に照れた。まったく。
「おい、忍。来ちゃったものはしょうがないけどな。帰ったら広子と必ず仲直りしろよ」
「分かったよ、直行」
「ほんとだからな。俺、お前らが仲良くしているところを見てるのが好きだったんだから」
「ああ、分かった」
それからマオリに向き直った。
「マオリ」
「はい」
何を言おうか迷ったが結局「大丈夫だよ。きっとなんとかなる」とだけ言った。
船内を四人で離れないように歩いた。
「わたし、フェリーって初めてです」
マオリは興味深そうに見回す。
「俺は若い頃、女房と旅行に何回か使った。安上がりだからな」
大輔も周囲の様子に気を配っている。
乗客は店員の半分程度。運送業のドライバーや若い旅行者が多い。
同じジャージを着ている連中が目に付いた。白地に紫のライン。背中の文字を見ると、社会人の陸上部だった。
「ああ、そういや九州で大会があるんだった」
大輔がいう。
「親父を知っている人とかいない?」
「陸上はあんまり関わっていないから、心配ない」
売店で讃岐うどんを食べた。
船内には食堂はなくて、食事の選択肢は他には自販機の冷凍食品とカップラーメンくらいしかない。
忍が至極当然の疑問を呈す。
「いらない心配だとは思うけど、何も起きなかったら俺らどうすればいいんだ?」
大輔がシンプルに回答をした。
「二晩かけて九州までいくんだよ。その間、食事はすべてうどんだ」
「ほう、それはきついですな」
そ れから三時間後、二等客室のカーペットに座っている時、忍の心配は予想通り杞憂に終わった。
『おい偽物! 望み通り、お前の挑戦を受けてやる』
船内放送からボイスチェンジャーを通したいつもの声が流れた。
「そら来た。なるほど、確かにヴィンちゃんの声に似てる」
忍は手にしていた花札を片付けながら声に耳を傾ける。
『わざわざ出向いてやったんだ。お前が僕のいる場所まで来い。乗客の皆さん安心してください。皆さんの安全は僕が保障します。だけど騒ぎが収まるまで、客室から出ないで』
乗客は騒然としていた。
一人が事態に気付く。
「ねずみ小僧じゃね?」
悲鳴が上がる。犯行予告の穏やかでない文面をみんなが知っているのだ。
『僕にはわかっているぞ偽物。すべて財前誠一が裏で糸を引いているということを!』
乗客たちに悪いイメージを与えるために、ねずみ小僧は自分の父の名を叫ぶ。それが悲しい戦いであることを今や直行も知っている。
船内の照明が突然全部落ちた。テレビも消えた。
「おっと、まじか」
大輔が慌てる。
「直行、油断すんな。暗闇に乗じて誰が襲ってくるかわかんないぞ」
忍に言われるまでもなく油断などしていない。直行は着ていた薄手のスタジャンを脱いで、黒のジャージ姿になった。
布袋から木刀を出すと、二等客席の出入り口へと向った。
そのとき、船内のどこかで乾いた音が響く。
直行と大輔は非常灯のわずかな明かりの下で顔を見合わせた。
「えっ今のって」
「銃声?」
「俺たちがまだここにいるのに、誰が誰を撃ったのさ」
直行はマオリを振り返る。
「いまからでも海に飛び降りて逃げてくれよ」
「無茶言わないで」
「俺は行かなきゃならない。忍、マオリを守ってくれないか」
「任せろ」
「直くん、古橋さん。どうか無事で」
マオリの言葉を背に受けて、直行と大輔は扉の外へと出た。
銃声がもう一発響く。
しばらく歩くと暗さにも慣れてきた。
今夜は大きな月が出ているのでところどころ窓から光が入ってきている。
「福島でも発砲した奴がいただろ。あれの仲間じゃないかな」
あたりを伺いそろりと歩きながら大輔が言った。
「財前反対派? どさくさまぎれに、ねずみ小僧の一味を始末しようとしているのか。せこいな」
また銃声。かなり近いところで聞こえた。
「怖いか直行」
「そりゃ怖いけどさ」
「なんだったらここから先は俺だけで行くよ。今更だけど、大人にまかせろ」
「本当にいまさらだな。そんなことが通るかよ。俺が親父をまきこんだんだ」
「これ、死ぬぞ。運が悪けりゃ」
「そうかもね。でもやるだけやりたいんだ。頼むよ」
大輔は薄く微笑むと、直行の頭をくしゃくしゃっと撫でた。
「いいよ、つきあう」
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