第50話 決戦前夜
次の日のニュース番組では、各局ともねずみ小僧からの待望の新情報を報じた。
しかし、いままでの好意的な論調は変えざるを得なかった。
今回の犯行予告には明らかに今までと違う点がある。
要求が叶えられなければ人質の乗客を殺害すると取れる内容なのだ。
警視庁副総監財前誠一を身代金の引渡し人に要求していることからも、いっきに決着をつけたいという焦りを感じさせるものだった。
ネット上でも、ねずみ小僧の変貌について非難と擁護両方の膨大なレスがあった。
そのなかには陰謀説を唱えるものもいた。
この予告状は本物のねずみ小僧によるものではない。警察側か誰かが、ねずみ小僧の評判を失墜させようとして、模倣したものだ、と。
直行はそれを見て「あたり」と呟いた。
ねずみ小僧、倉貫はじめからの反論FAXも次の日にあった。これは謀略であると書かれていた。
自分はこんな乱暴なことはしない。みんな騙されるな。
更に白熱するネット上の議論。
一体何人の人間が意見を交わし、それを見ているものがどれだけいるのか想像もつかない。
ネットの世界では無数の種類の意見とものの見方が現れ、反発しあい、やがて大きな流れをつむぎ出していく。
謀略説こそがそもそも謀略だとする逆説的な意見が出て、それに賛同するものが少なからず現れた。
ねずみ小僧を正義とすることで利益を得るものたち(彼のニュースを商品としているマスコミという説が多かった)が動いているのではないか。
今まで世間が見てきたものはそのものたちによって作り出された偶像であって、ねずみ小僧は初めから、独善的で破滅的な犯罪者だったのではないか。
ネット上の議論に決着がつくことはない。
多数派はあっても、それに猛烈に反発するものも永久に存在して、また多数派に賛同する意見にも的外れなものがあったりして、収拾がつかない。
ただ確実にいえることは、ねずみ小僧の神秘性はその渦の中で、徐々に失われていったということだった。
「ネットってのは便利なものだけどさ」
忍が得意げに言った。とても久々に、直行と忍はコンビニの白いテーブルで、二人くつろいでいた。テーブルの上には缶コーヒーと、お菓子。
「人間はこんなに大勢で話し合いが出来るようになんては創られていないんだよ。絶対にまとまることはなくて、そして熱くなればなるほど、どこかを境に全体的に冷めていってしまう。もうどうでもいいかという気分が漂い出す」
「忍の書き込みっぽいのを何個か見つけたよ、俺」
忍はねずみ小僧を擁護する側に回って、あちこちのスレで多数発言していた。
もっともらしいことを述べれば述べるほど、逆に見るものに否定的な感情を芽生えさせることに成功した。
『ねずみ信者はここまでくると気落ち悪い』とか『本人乙』とかの書き込みを見るたびに彼はほくそ笑んだものだ。
今回の古橋親子が出した偽予告状とその後の展開は、元々は直行が忍と二人で考え出したものだった。
「いままであいつらは、世論が急激に沸騰しすぎるのを恐れて、ねたを慎重に小出しにしてきたんだ。それがぶち壊された。ざまあみろだ」
忍は笑う。彼にははじめのことを教えた。その境遇に一定の同情を示しつつも、「でもまあ、俺らがケンカを売られたことには変わりないんだし」と直行に賛同してくれた。
真田鈴を通して、予告状のなかで言った『乗り物』については伝えてある。
要するに決闘を申し込んだのだ。ここで古橋直行が待っていると。
万が一現れなかったとしたら、予定を中止して、また偽の予告状をねちっこく送り続ける。
敵の堪忍袋の尾が切れるまで。
しかし自分たちのそれはとっくに切れているし、必ずはじめは現れるという確信が直行にはあった。
ねずみ小僧が自らのカリスマ性を取り戻すためには、直行を目立つ舞台でドラマチックに倒すしかないのだ。
四月三十日発、東京から九州へ向うフェリー『おーしゃんうぇすと号』
そこが決闘の場所だった。
連休になってからでないと動けないというのが中学生ぽくて泣ける。
前日は自宅にて家族三人で夕食をとった。
それはとても久しぶりのことであり、さらに記憶をさかのぼることが困難なほど会話が弾んだ。
直行はとにかく母に申し訳ないという気持ちでいっぱいだったのだ。
自分が選んだ行動について迷いはなかったが、大輔を巻き込み、どんな結果を招くのかは分かったものではなく、それら一切を母には伏せているこの状況が心苦しくてならなかった。
だからはしゃいだ。
大輔もそんな直行の気持ちは分かっていて一緒に騒いだ。母はうれしそうだった。
煮魚と肉じゃがを平らげて、直行が食器を洗い場に運ぼうとする時、母が箸をおいて、急にかしこまった。そして言った。
「で、一体なんなの? あなたたちのその不自然な態度は」
男ふたりは凍りついた。大輔の「別になんでもないけど」と言った言葉は、母の冷ややかな視線の前にもろくも打ち消された。
「だっておかしいもの、二人とも。わたしだってそのくらい分かるわよ。なんなの、離婚? それとも直行が高校進学しないとかそういう話?」
まずい、まずい、まずい。
楽しそうに笑いながら母のなかでは疑念がどんどん膨らんでいたのだろう。彼女は今にも泣き出してしまいそうだった。
「えっとね」
大輔と直行は視線を合わせた。
「ごめん、いえない」
「馬鹿にしてんの?」
大輔の言葉にとうとう泣いた。直行は慌てた。
「母さん、泣くなよ。母さんが思っているようなことじゃないから」
「じゃあわたしをのけ者にしないでよ」
気持ちは分かるがそうは言われても親子三人でシージャックしにいくわけには行かない。二人でなだめる。
「ごめんな、母さん、でもどうか信用して欲しい」
「信用できないわよう」
そりゃそうだ。
しばらくしてようやく落ち着いた母。
「じゃあ、どうしても教えてくれないのね。でもなにやら危険なことに巻き込まれて、それで明日から数日家を空けるってのね。ほんとあんたたちはなにかっていうとこそこそ、こそこそ。分かってんだからね」
「すみません」
母はあきらめたように深くて長い溜息をついた。
「晩御飯作って待ってるわ。直行、何が食べたい?」
「じゃあ、カレー。ほうれん草が山ほど入ったやつ」
「わかった。なべ一杯に作っておく。ちゃんと遅れずに帰ってきなさいよ」
「うん」
「ね、直行。今度三人で旅行行こうね」
「うん、行こう」
「遊園地にいって三人で写真撮ろうね」
「うん、それは断る」
「なんでよう」
その夜は、大輔と母は遅くまで居間で話をしていたようだ。
時折母の笑い声が漏れ聞こえた。
両親が話しているのを聞いていると安心してよく眠れるなどとは、自分は、自分が思っているよりも子供なのだと思う。
翌朝は随分早く大輔に起こされた。
「早いだろ、まだ」
時計を見ると六時。フェリーの出航は夜の七時。
こんなに早起きする必要はない。大輔の表情は沈んでいた。
「・・・・・・なにかあった?」
「友三じいさん、亡くなったってよ」
「え?」
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