第49話 逆襲

 周囲の同僚たちからは一体どういうふうに映っているのだろう。


 大輔と真田、二人の間にはいまとなっては、真田の作り上げた書類の山など比較にならないほどの大きくてあつい壁が出来上がってしまっていた。


 大輔に真田の行動はすっかり把握できなくなった。知らないところで、彼女はねずみ小僧の一味や財前と会っているのだと思う。


 社会部の会議に大輔と真田は志願して参加させてもらった。


 議題は、ねずみ小僧の事件について三笠新聞としては今後どういうスタンスで報道するか。


 スポーツ部新任の手蔵森部長同席で、会議室のはじっこに座っていた二人は、やがて互いの意見を主張し出した。


 真田が言った。


「財前、糸井など関係者の身内にはもちろん風当たりが今まで以上に強くなってしまうと思います。でも残念ですがわたしたちは割り切った考え方で報道するべきです。ねずみ小僧が為そうとしている大義を正しく伝えるべきです。わたしはそう思います」


 大輔が反論する。


「割り切るのは賛成だけどさ。どっちの方向にするかだ。もういいんじゃないかと思うよ。なんだかんだいってもねずみ小僧は犯罪者だ。それをいつまでも持ち上げ続けるってのは、俺はちょっと気にいらないね」


「彼は一円の得もしていない。むしろ糸井さんのご家族と同じように傷ついている。それなのに杓子定規なものの見方で否定するのがあなたの仕事なの?」


「おーい、スポーツ部そのへんにしとけ。よその会議に混ざりたいなら、考えをすり合わせしてから来てくんねえか?」


 ヒートアップした二人は、社会部部長に気だるげに釘を刺されてその場は収まった。


 自分たちのオフィスに戻って、手蔵森部長に平謝りして席に着いた。部長は頭をかいてうめいている。


「すごいな、本当に問題児じゃん。離れることができた岩本さんはほっとしてるだろうな」


 書類の山の向こうの真田の顔は見えないが、キーボードをガチャガチャと叩く音で機嫌が悪いことが分かる。


「ちょっと騒ぎすぎたな」

「そうね、あれじゃなんの意味もないかも」


 声をかければそれなりに返答はくるが、それだけだ。


 直行に指摘された時は腹がたったが、確かに真田とこんなふうになってしまうと、社内で仕事以外の話をする相手というのはびっくりするくらい少なかった。


 正直に言おう。つまらない。


 人間関係が壊れてしまった経験など何度もある。


 そのつど傷ついたけれど、最後には仕方がないとあきらめた。大人なのだから、気持ちを切り替えるしかなかった。


 でも直行は、全部取り戻すと迷いなくいったのだ。


 なあ本当にそんなことができるのか? 


 大輔の横に積み重なる書類の山は、どこまでも険しい。


 かつて向こうへと渡る道があったことがいまとなっては信じられないくらいだ。


 もういちど、犠牲を覚悟でこの向こうへ渡るべきだとお前は言うのか、直行。


 大輔はタバコを吸いに行こうか少し考えたが、思いなおして、パソコンに向って自分の作業を始めた。


 いまの時刻は夜の八時半。


 直行との約束は九時なので作った文章の最終確認をした。


 最新の状況を踏まえて、問題なしと確かめたのが八時四十五分。


 いや問題は根本的に大いにあるんだけどな、ともうひと眺めして、あきらめてメールの送信ボタンを押したのが八時五十分だった。


 ああ、送っちまった。これでもう後戻りはできない。


 いまごろ直行が大輔の作成した文章をFAXでばら撒く準備をしているはずだ。

 

 FAXの発信者の情報は、番号非通知にしたところで電話会社では把握していて、警察や裁判所の命令があればそれは提示されるのだがやりかたはある。


 今までねずみ小僧から来ていたFAXはいつも架空の送信者番号が表示されて、どこから送られたのは分かっていない。


 今回直行が使う方法は、恐らくねずみ小僧と同じ手段だと思う。


 いま直行は、糸井晴信が入院している例の闇病院にいる。


 裏の世界に身を置く者たち、そんなのがどこにどの位いるのかは大輔だってしらないが、まともな病院に行くことができない彼らにとってこの闇病院は命綱だ。


 こういう場所では、電話もFAXもパソコンも身元が割れない超特別仕様となっていて、送り主の番号として頓珍漢な番号が表示されることになる。


 入院している晴信は、財前を裏切るような真似はしたくないと渋ったがこの件だけはどうにか協力してくれた。


 そして九時半。大輔はオフィス内のFAXの前に立った。


 時間通りにそれは三笠新聞スポーツ部に送られてきた。


 今頃各マスコミや、警察にも同じものが届いている。


 FAXの宛先が大輔になっている。机に戻るとそれをとなりの真田の机にほうり投げた。


 それから十数秒、大輔がマウス片手にパソコンをいじっていると「うええっ?」といううめき声と共に、真田は立ち上がった。


 その拍子で膨大な書類が大輔と真田、双方にむかって音をたてて崩れ落ちた。


 それが築き上げられるまでに擁した時間を惜しむかのように、ゆっくりと一度止まったかと思ったらまた崩れ出す。


 最後には二年前の忘年会の参加回覧だけが彼女の机の上に残っていた。


 大きな音にオフィスに残っていたもの全員がこちらを振り返った。

誰かが「いつかはこうなることが必然だった」と呟いた。


 大輔は惨状を呈す自分の机を呆然として眺め、それから右側を向いた。そこには同じように呆けている真田がこちらを見ていた。


「よう、なんだかひさしぶりにちゃんと顔を見た気がするな」

「あんたたち、なんてことすんのよお」


『日本中のみなさんに伝えてください。

 僕は最後の手段を取ることに決めました。

 いくらやっても変わらないこの国に、民衆に、僕はもう嫌気がさしたのです。

 僕はある乗り物を乗っ取ります。

 それをいま言ってしまったら誰も乗ってくれなくなるのは当たり前なのでいまは伏せます。

 もちろん、要求がかなえられれば乗客に危害を加えるつもりはありません。

 しかし、もしも武運ここまでとさとったとき、僕は彼らと運命をともにして、これからは天からこの国の行く末を案じることになるでしょう。

 僕の要求をあらかじめ言っておきます。

 それは二つ。

 現金五億円を用意すること。そしてそれを、警視庁副総監、財前誠一にもってこさせることです。

 それはここ数日中に起こります。そのときお会いしましょう。

 僕はねずみ小僧です』

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