第47話 舞う桜
サッカーの試合はそのままのスコアで終わった。1対2で柿の木台中学の敗北。
「ま、今日はこんなもんでいいだろ」
忍は表面上は特に悔しそうでもない。
「うん、試合に出れただけで収穫だろ。とりあえずはさ」
直行は同意する。
「試合勘は簡単には戻んないよ。それに相手と競り合うと恐怖はやっぱりある。でも強がっても仕方ないからちょっとずつ慣らすさ。そして本番では必ずあいつを抑えてやる」
「その意気よ、しぃちゃん」
「ん、なんだろあの人混みは。げっ、あいつじゃんかよ」
忍の言うほうを見ると、倉貫はじめとか言うそいつは女の子数人を引き連れてこっちに歩いてくる。
「すげえな。よく恥ずかしげもなくあんなことができるもんだ」
「忍、俺、少し離れてよっか? そうすればお前も、広子とマオリを引き連れているように見えなくもない」
「なんだったらきゃーきゃー言いますよ、栗原さん」
「意味あんのかそれ」
試合中は太陽のような才能のきらめきをみせていたはじめは、いまこうしてみるとルックス自体は意外と地味だった。
しかし落ち着きというか、自分の能力に絶対の自信を持つものが纏う風格のようなものが感じられた。
身長は170cmあるかないかくらい。直行や忍と比べると一回り小さい。
体つきはしなやかで、ただ歩いているだけでもばねと運動神経のよさを感じさせる。
桜の花びらが彼の周りを舞い落ちる。いつか見たような景色だった。
「あ・・・・・・」
マオリの瞳が陰る。はじめの横を歩く三人組の女子は、彼女の元同級生だった。
「あれー? 糸井さんじゃん。ここの学校だったっけ?」
「うん、久しぶり」
マオリは視線を合わせない。
こいつらが、彼女の靴を隠したり大事な卒業証書を破いたりした容疑者か。直行の視線は自然と厳しくなった。
「うわー、糸井さんが誰かと一緒にいるなんて貴重だわ。よかったねえ」
今日は竹刀を持ち歩いてなくてよかった。でなければ今の言葉を言い終わらないうちに三人ともやっつけてしまったかもしれない。
「古橋直行と、栗原忍、だっけ? きみたち」
はじめが涼やかに言った。そして、それを聞いて、女子三人組の顔色が変わった。
「え? この人たちが?」
何故、はじめが俺の名前を知ってる? そして、なんだこの反応。
後ろで広子が囁いた。
「自覚しなさいよ、直行。あんたたち二人は柿の木中学のナンバー1と2の暴れん坊と世間では認識されてんのよ」
何? 知らないよそんなの。
女子たちのマオリを馬鹿にした態度が消えている。
直行はここでなにかひとこと言ってやれば、マオリのためになるだろうかと思いつつも、何を言っていいのかよく分からなかった。
けどその必要はなかった。無言で見ているだけで、彼女たちに十分な威圧を与えていたのだ。
忍と広子もそれにならってじっと見ている。
どうも広子も女子部門ナンバーワン、とか言われているような気がする。
「さ、いこっか。じゃあね直行」
はじめはそういって女子三人組と去っていった。
直行はなにか釈然としないものを感じつつも、その背中を見送った。
「倉貫と面識あるのか? 直行」
「ないよ、多分」
「あの、先輩方」
ずっと無言だったマオリが、声を発した。何故かさっきより離れてたっている。
「あなたがたは悪なのですか、ひょっとして」
「違うとは言い切れないなあ」
「いや忍、なんで俺が暴れん坊扱いされなきゃならないんだよ」
「しぃちゃんは以前、結構あちこちでケンカしてたのよ。青葉区最強かとも言われたくらいだった。そんで、直行。去年だっけ、あなたしぃちゃんとケンカして、勝ったでしょ。だからその時点で当然あんたがランキング一位なのよ。その後誰にも負けてないでしょ」
マオリがポツリと、雷神の子は雷神、と呟いた。
「そんなやつが剣道の大会でろくすっぽ成績残せないなんてことがあるわけないだろうに」
「何いってんのさ、直行」
「え?」
「お前は神奈川の優勝候補なんだろ?」
忍に改まってそんなふうにいわれると照れてしまう。
「まあ、そんな説もある」
「良かったんじゃない、これで。もうあいつらマオリにちょっかい出さないわよ。きっと」
「そうですかねえ」
マオリはちっとも嬉しそうではない。本当は彼女らと仲良くなりたかったんだろうな、と直行は思った。
「不本意ながら、世間が俺にそんなイメージ持っているんだったら、利用するだけ利用するか。マオリ、これからは俺らと一緒にいなよ」
「でもわたしはこれといって武勇伝があるわけでもなし、なんであいつ一緒にいるのってならない?」
「いいじゃん、直行の彼女ってことで」
広子のその発言の後の直行とマオリの取り乱しっぷりは、目も当てられないものであった。
直行はその数日後、大輔に連れられて糸井晴信の入院する病院へと向った。
大輔が彼にだけは教えたのだ。パオに乗って二人で向う道中、例の如く会話はなかった。
病院は町の細路地を入っていった、分かりづらい場所にあって、車を停める駐車場が遠くにしかなくて、そこからふたりは結構な距離を歩かなければならなかった。
病院に着いた時には夜の九時を過ぎていた。まともな病院ならば、面会時間は終わって当然の時間だ。
「こんばんわ、晴信さん」
「やあ、直行くんだね。来てくれたのかい」
簡素な病室で、晴信は辛そうだったが、ベッドから体を起こして淡く微笑んだ。
十日後に手術を控えているのだという。
「君がマオリの力になってくれているんだろう。ありがとう」
「側にいるだけで、あんまり役に立ててないです。ねずみ小僧、どんどんヒーローになっ
てますね。俺は正直面白くないです」
「綺麗ごとを信じたいっていう気持ちが国民にあるんだろうね。どんなに現実的になろうとしても、ひとの心のどこかにそういうのってきっとあるんだよ。でもなんだか、ねずみ小僧の導く方向に向えば、景気も国際情勢も全部解決できるとでも世間では思ってそうで、あんまり行き過ぎると危ういものを感じるけどねえ」
「晴信さん、聞いてもいいですか」
「ああ、なんだい」
「助かりたいですか?」
「おい、直行」
大輔が止めたが、直行は話を続けた。
「病気を治して、それからどうしたいんですか? あなたがしようとしている仕事のことは聞いています。それを為すことによって、マオリの人生はどうなるんですか? あんたそれで本当にいいんですか?」
「もうやめろ、直行」
「古橋さんいいんです」
晴信は穏やかな眼差しで直行を見つめ、深く深く溜息をついた。
「いじめないでくれよ、直行くん。妻と娘のことをいわれると、つらい。でも今更僕だけが逃げ出すことなんて許されないんだよ。僕は何人もの人生を狂わせた。財前さんだってこの事件が原因で奥さんとは何年も前に別れた。分かるだろ、僕だけ平穏な人生に戻りたいなんていう資格はないんだよ」
「資格なんてどうだっていい」
直行はなんとか自分を抑えようとして、ともすれば語気が強くなるのを抑えて、なるたけ淡々と問い続けた。
「日本がどうしたなんてことだって本当のところ俺にはどうだっていい。マオリは、それでも幸せになりたいって言った。あんたと幸せに暮らしたいといったんだ。俺は願いをかなえてやりたい。そのためにはあんたの本心を聴いておきたいんです」
「そんなの」
晴信はそういって言葉が途切れた。
しばらく沈黙が続いた。
閉まった窓の外から、離れた大通りを車たちの走り行く音がざわめきのようにもれ聞こえてくる。
そして晴信の目には大粒の涙がこみ上げた。いままでどれほど我慢してきたのだろう。
「そんなの、決まっているじゃないか。娘を不幸にしたい親なんて、いるわけないじゃないか」
人気のない病院の中に糸井晴信の搾り出すような嗚咽がいつまでも響いて、やがて落ち着いた。
「すみません、晴信さん。でもおかげで覚悟が決まりました。やるだけやってみます。最後まで邪魔しますよ。俺」
病室を去るときに、晴信は窓の外を眺めながらひとりごとのように呟いた。
「ねずみ小僧はね、財前さんの息子なんだ。いまは母親と暮らしているから苗字はちがうけどね。いまは倉貫と名乗っている」
「倉貫・・・・・・はじめ?」
「そうだよ。そうか、君はもう出会っていたのかい」
直行はしばらくその場を動けなかった。しかしそのうち、もう何でもこいだ、という気分になって笑顔を取り戻した。
「マオリの制服姿、すごくかわいいですよ。早く見てあげてください」
「ああ、楽しみにしている」
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