終章 風神雷神の決闘

第44話 怪しい病院

 この冬はなんだか雪が多くて、関東でも何回か積雪があった。


 冬季オリンピックの時期には、大輔や真田もそれ絡みの仕事が結構回ってきた。


 キャンプ中のプロ野球選手たちに、女子フィギュアスケートの出場選手に向けて応援メッセージを募ったりした。


 必要なコメントを採取できた真田がそそくさと立ち去ろうとすると、「鈴ちゃん、俺の調子も少しは聞いてくれや」などと選手にたしなめられたりしたものだ。


 去年の秋、福島での事件のとき、帰り際に大輔は大和新聞の柏木に呼び止められた。

柱の影で、こそこそと少し話した。


「なんだよ、柏木。どうせお前も、ねずみ小僧と、それから財前誠一の協力者なんだろ」


「財前さんが『悪いことが出来る奴を探している』って言ったら、俺に白羽の矢が立ってさ。人選ミスもいいところだよな」


「ベストの人選だろ。で、何か言いたいことでもあるのかよ」


「大ちゃんにだけ教えてやるよ。俺にだって多少の良識はある。だから、マオリちゃんには内緒で、大ちゃんにだけだ」

 そして彼は大輔に告げたのだった。


 糸井晴信、あいつもう長くないぜ。


 都内のうらびれた町医者のようなところに糸井晴信は入院していた。


 建物の見た目はみすぼらしいことこの上なかったが、裏の人間専門の病院なのでそのように装っているだけで、最新の適切な治療がなされているとのことだった。


 そこで大輔は糸井晴信と出会い、それから何度か訪れている。


「阪神の宮沢選手、こんど来てくれるってさ」

「いいんですかね。僕なんかのために」

「細かいことは別にいいらしいよ」

「さすがだなあ」


 話題の人、糸井晴信は会ってみるとごく普通のいい人だった。


 彼は去年くらいから自分の体の異変は感じていたが、家族には隠していた。


 福島競馬場に現れたときには体調的にかなり無理をしていたそうだ。そのときよりも更に痩せて見える。


 病状は悪かったが、意識ははっきりしていて、短い時間ならば会話も問題なかった。


「マオリちゃんには、やっぱりまだ言っちゃ駄目ですかね」

「ええ、元気になってから顔を見せてあげたいんです」

 

 彼には自分の病状が正確に伝えられていないのだろうか。手術を受けても、助かる確率は良くて五分五分と聞いていた。それとも。


「家族の顔を見たら、決心、鈍っちゃいますか?」

「いまさら、そんなことはないですよ」


 大輔は、晴信の横顔をしばらく観察した。


「マオリちゃん強いですよ。その名に恥じない、生きる意志に満ちている」

「福島では少しでもすがたを見ることができてうれしかったなあ」


 ニュージーランドの先住民族に『マオリ族』という人々がいる。


 この名前は、ラグビーファンの間ではとても有名だ。

 ラグビーニュージーランド代表、通称オールブラックスは試合前に『ハカ』と呼ばれるマオリ族に伝わる勇壮な戦士の踊りを行う。


 選手はマオリの言葉で叫ぶのだ。『わたしは生きる』と。


「俺は生きる」


 糸井晴信ははっきりとした口調で、妻と娘の写真に語りかけた。


 大輔は病室を出て、待合室の椅子に座ってタバコに火をつけた。


 さすがやみ医者。普通の患者なんて誰一人いやしない。


 蛍光灯も間引かれていて、ここも廊下もとても薄暗い。


 自分だったらこんなところにずっと入院するなんて不気味でしょうがない。


 大輔はタバコを吹かしながら目の前の自動販売機を眺めていた。


 コーヒーでも買おうかな。でもいつの在庫だか分かったもんじゃないな。うわ、マウンテンデューがある。


 大輔の座る長いすの真横に座る男がいた。


 彼は高そうな黒いコートのポケットから、これまた高級そうなライターを取り出し、タバコに火をつけた。纏っている空気が重い。


 大輔は柏木の言葉を思い出した。


「お見舞いに行く時には気をつけな。患者はほとんどいないし、見舞い客なんて更にいない。とにかくまっとうな医者には絶対に見てもらえない連中が集まってくるんだ。だれかと会うことがあったら、そいつは確実に不審者だ。どうなっても責任は持てないぜ」


 そもそも医者の姿が一向に見えないのだ。


 さてどうしよう。


 横に座っているこの紳士。顔は確認しない方がお互いの為なのだろうか。


「真田鈴が先日尋ねてきたよ」


 低く、落ち着きに満ちた声で男は大輔に話しかけてきた。


 大輔はタバコを灰皿に押し付けて消すと、しばし自動販売機のマウンテンデューに目をやり、それからもう一本タバコに火をつけ深く吸い込んだ。


「そろそろ、会っているんだろうなとは思ってましたよ。財前さん」


 警視庁副総監財前誠一も大輔の方は一切見ずに、今日日なかなかお目にかかることのない、250mlサイズのコカコーラのあたりを見ながら話を続けた。


「この際、君にも手助けをしてもらえるとありがたいんだが、そうもいかないだろうな」

「息子があんな感じですからねえ」


「どこも苦労しているんだな。うちにも生意気なのが一人いるよ」


 それから少しの間、二人とも無言でタバコを吹かした。蛍光灯は知らぬ間に更に暗さを増したように大輔は感じた。


「晴信さんはもうお役ごめんにしてあげてくださいよ」

「あいつが続けるといっているんだ。それに細かいことは全部ハルに任せていたから、計画がすっかり滞っちまってる」


「でもねずみ小僧は地道に活動しているじゃないですか。孤児院や仕事のない人たちのテント村に大金を寄付したりして。聖澤からせしめた四億円はあのとき全部はばら撒ききれなかったんですね。途中でヘリが打ち落とされたから。でもその残りの金でこうしてつなぎの活動ができているんだから何が幸いするかわかりませんよね。ところでなんだったら遅れついでに、俺があなたがたをつぶすことになるかもしれませんよ」


 彼の顔を見ずとも、その口元に笑みが浮かんでいるのが分かる。


「もとより、ちりとなって消えるつもりだが、お前にやられるわけにはいかないな」


 財前誠一は立ち去った。大輔はタバコをもう一本だけ吸ってから闇病院を後にした。

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