第43話 決意

「何ですって?」

 大輔が驚く。


「ちょっと待ってくださいよ鏡子さん。あの二人だったんですか計画の中心人物というのは?」


 直行も理解できなかった。身内の殺人を隠蔽するという、警察の暗部そのもののような存在である財前、そして糸井。二人が実は日本の仕組みをよき方向へ変えようとしていたなどと突然あべこべなことを言われてもぴんとこない。


 鏡子が答える。

「財前誠一と糸井晴信は、自分たちが捨て石となってこの国の警察組織を変える決意をしました。自分たちが隠蔽犯罪を起こし、日本中にさげすまれることによって、外部監査法案成立の機運を高めようとしました。犠牲を無駄にしない為に、自らを滅ぼしてこの国の仕組みを僅かでも変えることでその思いを遺していくつもりだった。けれど五年前、彼らはその目的を果たすことはできませんでした。大騒ぎにはなったけれど、反対勢力の打ち消そうとする力がそれに勝ってしまったのです。二人の敵が二人を無理やり守った」


 彼女の話は続いた。

「二人は時を待ちました。財前は自分の目的を果たす為に心ならずももう一度出世の道へと戻れるよう絶妙な立ち回りを演じました。それによって、いま彼の立場はますます悪くなっていますがそれは彼にとって好都合なことなのです。ねずみ小僧はかれらの協力者。全て知った上で彼らの意思に賛同し、彼らを滅ぼす役割を、宣伝係を買って出ました。ねえ直行くん、あなたが彼の協力を断ったことは聞いています。けれど、この話を聞いても彼に立ち向かうつもりですか? それは正しいことなのですか?」


 その問いに答えたのはマオリだった。

「でも、でも、だからといって」


 彼女は今までこらえ続けたものを吐き出すようにまくし立てた。


「あなたの話は理解したつもりです。父がそれを望んでいるのならば従うのが本当なのかもしれない。でも、それしか道はないんですか? 捨て石って簡単にいうけど、わたしの人生は一度しかないのよ。今回はあきらめて次に賭けるなんてないの。お父さんとお母さんと、三人で幸せになるチャンスは一度しかないの!」


「わたしとパパだって、そうだったんだよ。パパには長生きして欲しかった。でも結果はこんなふうになってしまった。せめてその死に意味をもたせたいと考えることがどうしていけないの?」


「わたしは幸せに、ただ穏やかに暮らしたいんです。あなたにそれをぬけぬけということがどれほど厚顔なことかわかってますけど、でも、それでもわたしは幸せになりたい! 糸井晴信は、世界一優しい人です。その人と、わたしはずっと幸せに暮らしたい!」


 捨て石となって。鏡子はそういった。直行は分からなくなる。


一度しかない人生。それを捨て石として自分以外の者の幸福のために捧げる覚悟が自分にはあるだろうか。


 それはとても尊いものに思える一方で、それを拒むマオリの気持ちとて、痛いほど分かり、鏡子の願いもまた当然に思えた。


 出会って間もないマオリと鏡子が仲良く話している姿を見て直行は心が和んでいた。


 事情がある二人だけど、どうかこのまま最後までなにもおこらず済んでほしいと思っていたが、残念ながらそうもいかなかった。


 今二人は向かい合って互いを見つめている。その目は厳しいものだった。


 いたたまれなくなった直行は他の面々を見渡す。祐樹は真田さんにしがみついて小さくなってしまっている。


 大輔と目が合った。父の心中にも迷いがあることが見て取れた。


 真田さんは祐樹の頭をゆっくりとなで続けていた、そして口を開いた。

「マオリちゃんのお父さんと、それから財前さんはいまどこに?」

「もう、東京への帰途に着いています」


「これから、一体何が起こるのかしら? 鏡子さんは何か知っているの?」

「ねずみ小僧は英雄として世を席巻するでしょう。目的を達する日まで。そうとしかいえません」


 話が少しとぎれたとき、高田さんが部屋に入ってきた。警察が鏡子を再び呼んでいるらしい。


「行きなよ、鏡子さん。話してくれてありがとう。じゃあ、俺らはおいとまするわ。これでよかったんだと思うよ」


 大輔の言葉に何も答えず、鏡子はうつろな足取りで部屋を出て行った。


「しかし、まいったな」

 自分たち五人だけになって、大輔は疲れ果てたようにソファーに

座り込んだ。マオリもその横に座ってうつむいている。


「親父はどこまで知ってたのさ?」

「庄助さんが殺害された原因は知ってた。でも財前がそもそもの黒幕だってことは、いま聞いて初めて知ったよ。俺はな。当時、警察内部にいる外部監査法案のキーマンが誰なのかは強固に隠されていて誰にも突き止めることができなかった。何がなにやら、もうわかんねーよ」

 

 その後、少しの間無言の時間が続き、やがて誰ともなくのろのろと立ち上がり、各々の荷物を手にした。


 重い足取りでパオに乗り込む。エンジンをかけながら大輔が言った。

「なあ真田。お前もしかしてレースの前から、財前の姿を見つけていたんじゃないのか?」

「ごめん、実はそのとおり。最初の夜の宴にも隅っこにいたわ、あの人」


「でも俺には言わなかったんだ?」

「ごめんなさい」


 真田さんは祐樹を抱き寄せながら言った。


 屋敷の玄関の前を通り過ぎようとしたとき、玄関先に友三じいさんが出てきていることに気づき、大輔は車を停めた。


 友三じいさんは腰の具合がかなり悪いらしく、高田さんに支えられていた。


「無理しなくていいよ、じいさん」

「やかましい、新聞屋。見送りは立ってするものと決まっているのだ。鏡子が言ってたぞ、じいちゃん、わたし全部話しちゃった、とな。わしとて聞かされたのは昨日の夜遅くだ。まったく驚いたわい」


「そうですか」


「聞いたお前は、これからどうしようというのだ」

「これから考えますよ。頭よくないんでね、じっくり考えます」


「親父、あれ」


 直行が柱の影でこちらを伺っている柏木という新聞記者に気付いた。彼は品のない笑顔で大輔に手招きをしている。


「何だよ、いったい」


 大輔はぶつぶつ言いながら車を降りてそっちに向った。


 それとすれ違うように、扉から鏡子が小走りで出てきた。


「良かった。もう行っちゃったかと思った」


「直くん、ごめん、降ろして」

 後部座席のマオリの頼みに、直行はあわてて助手席のドアを開いて、外に出て座席を倒した。


「マオリちゃん、わたしじいちゃんに怒られちゃった。遠くから来てくれた客人に、そんな別れ方があるかって。・・・・・・ケンカしちゃったね」


「ううん、いいのよ、鏡子さん。わたしのほうこそ・・・・・・」


「でもわたし、あやまらないわよ。マオリちゃん、あなたも謝っちゃだめ。ただ最後にもうひとこと伝えておきたかったの。これもわたしの本当の気持ちなのだということをどうか信じて」


 鏡子はマオリの両の手をしっかりと握り締めた。


「わたしは、あなたたち親子の幸せを願っています」

 

 マオリはその言葉に一度、二度と頷いた。顔をくしゃくしゃにして、涙をぽろぽろこぼしながら。


「精進しろよ、ガキんちょ」

 鏡子とマオリを見守っていた友三じいさんがふいに直行に声をかけた。


 背は直行よりずっと低い友三じいさんだったが、はるか高みから見下ろしたものの言いよう。


 昨晩の馬に乗った勇姿を見せられては直行も頭が上がらない。結局鏡子を助けたのはこの老人だった。


 でも。


「でもやっぱりさ。ああいうときは、あんたはどっしり構えて若い奴らに任せるべきだと思うよ。っていうか、任せてよ」


 友三じいさんの目がくわっと見開いた。別にもう帰るんだし怒鳴られてもいいかと直行は思った。


 しかし、じいさんは「四十年早いわ」とだけ言ってにやりと笑った。そんなにかよ。


「ねずみ小僧と決着をつけるのだろう」

「鏡子さんの話を聞くまでは、迷いなくそうするつもりだったんだけどね」


「手ごわいぞ、あやつは」

「勝てるかどうかは、あまり気に留めてないです」


 やがて、パオは出発して、立ち尽くす鏡子と友三じいさんが遠ざかっていった。


 大きな門のところで、直行たちの車と入れ違いに馬運車が一台、敷地内へと入っていく。


「多分」

 ハンドルを握っている父が前を向いたままで言った。


「セントジュリエットが帰ってきたんだ」



__________________

 

 このとき、ねずみ小僧は東北自動車道を南へと向う貨物トラックの荷台の中に潜んでいたという。


 荷台にはクモ男も一緒に座っていた。


 二人は一言も口を聞かず、ねずみ小僧は頭巾を外し幼さの残る素顔を晒して、小窓から見えた安達太良山をしばらく眺めていた。


 彼の本名は倉貫はじめといった。


 直行とねずみ小僧。彼らはこれから約半年後に再び相対した。


 そしてそれが二人の最後の戦いとなった。

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