第42話 明かされる真相

「ねずみ小僧の昨日の計画って、セントジュリエットが福島記念で勝つことが大前提だったよね。負けていたらオーナーの鏡子さんはウィナーズサークルに出てこない。さらうことができなかった」


 直行の言葉に大輔と真田が振り返る。鏡子も目線だけ、そちらに向けた。


 真田さんが腕を組んで上を見て、天井に語りかけるように呟く。

「そうだ、そうだよね。どうするつもりだったんだろ。わざわざヘリまで準備して、劇的にさらう手はずを整えても、鏡子さんが外にいなきゃ始まらないものね。運任せすぎる」


「いや、そんなことないな」

 大輔も天井を見上げる。直行に見えないだけで、そこでは誰かが自分たちの話を聞いているのかもしれない。


「どうして?」 

 直行の問いに大輔は答えた。


「確かに、ウィナーズサークルに鏡子さんが出てこなければ計画はおじゃんだ。人気の少ない来賓駐車場とか、狙いどころはあるけど誘拐の成功率はひどく下がったはずだ。それに昨日の計画は、誘拐して数時間後には身代金の受け渡しをするって言うタイトなものだった。俺たちに対策を考える時間を与えないことと、ヘリコプターをつかっているから、そんなに長い時間は隠れていられないことが理由だと思う。計算ミスは許されない。でもな、直行。もしレースで負けてしまったとしても、その場合、昨日あの場ですぐにセントジュリエットの引退式が行われるはずだったんだよ。サプライズで。引退式っていうのはな。これもやっぱりウィナーズサークルで関係者が馬を囲んでやるもんなんだ」


「そうなの? え、っていうかセントジュリエット引退なんだ」


「知らなかったろ。俺も知らなかった。昨日の騒ぎで結局いまだ世間には公表されていない。だから鏡子さん。このことを知っている人間がこの計画を立てたんだ。もしくは逆に、ねずみ小僧の計画を知っている人間が強引に引退式の段取りまでをした。ねえ、だれにこのことを話しましたか?」


「いじわるですねえ、古橋さん」


 鏡子は拗ねた顔をして、大輔を睨んだ。そして、眉をしかめて微笑んだ。


「わたしとじいちゃんしか知らないって、わたしがあなたに話したんじゃないですか」

 鏡子の言葉が部屋に静かに響き、そして消えていった。


 大輔はうつむいた

「負けたとしてもサプライズで引退式をやるつもりだとあなたは言った。『そのくらいいいでしょ』とあなたは言った。らしくない言葉だと思ったんだ。あなたにはまわりを振り回す権力がある。でもあなたはそれを恥じることができる人だ」


「ほめて殺しますねえ古橋さん」


 大輔をもうひと睨みしてから、鏡子は白いティーカップの紅茶を一口飲んだ。それから椅子に深く座り足を組みなおす。


 女王の気品を纏った鏡子の前に立つ大輔は、猫背で、表情もとぼけっ放しなのだが、不思議と彼女に引けをとっていなかった。


「わたしは悠然と拍手でもするべきなのかしら?」

「いえ、別に。うちの息子と、マオリちゃんにこの事件の本当のところを聞かせてもらえれば、それでいいですよ」

「何でもかんでも本当のことを言えばいいというものではないですよ」

 でも、と言葉をついで、鏡子は話し始めた。


「確かにわたしは外部監査法案の話は以前に聞いていました。以前というのは正確には五年と少し前のことです」


 五年前と聞いてマオリが僅かに反応する。鏡子はその様子に気付きつつも更に言葉を続ける。


「法案提出へ向けて秘密裏に、警察上層部や政治家に対して地道な根回しをしていた人間がいました。彼らは警察の人間でありながら、組織の浄化のために法案成立を自分たちの一生の仕事とするつもりでした。それは内部の人間が動かなければできないことだと考えていたのです。そしてわたしの父、聖澤庄助はそれをどうにか妨げようとしていました」


「どうして?」

 直行は思わず口を挟んだ。


 今の話を聞く限り、なんだかその人たちは正しい行いをしていたように聞こえる。それを東北の権力者聖澤庄助は妨害した? 


 大輔と真田さんは、反応を見せない。新聞記者である二人はその真相をどうやら知っているのだ。


「警察内外の協力者は結構な人数がいたけれど、それは必ずしも一枚岩ではありませんでした。法案に余計な尾ひれをつけようとしたものたちもいたんです。彼らは外部監査の適用範囲を、警察組織だけではなく、大企業まで拡大しようとしました。一般企業には既に外部監査の仕組みは存在します。そこに新しい法案がくっつけば、それは国の介入が極端に強まることを意味していました」


 大輔がつぶやいた。

「大企業を監視することだって大事かもしれない。でもそれはそれだ。他人の計画に後からただ乗りして、自分の都合のいいように書き換えようとする連中がいたんだ」


 鏡子が大輔の言葉を聞いてうつむく。

「わたしの父はそれを認めるわけにはいかなかったんです。元々東北を拠点として一匹狼の立場をとる聖澤家は、東京に本社を置くほかの企業やそれから日本政府からも、商売敵という以上の敵対意識をもたれていました。出るくいは打たれるというやつですね。別の言い方をすれば、歴史は繰り返す、です。そんな状況での法案成立は、それは聖澤を失墜させるいい口実となる。実際具体的なそういう動きを父は掴んでいました。わたしたち聖澤はとてもさまざまな事業に関わっています。はっきり言って、叩けばホコリが一粒も立たないとはいえないんです。政治家のニュースを見ていれば分かるでしょ。汚職や不正な献金は誰でも少なからず身に覚えがあるもので、ライバルを蹴落とす為に、組織に逆らったものを抹殺する為に、お互いが敵のスキャンダルを明るみにしようとして、歯の浮くような綺麗ごとをいっているじゃないですか。道義に反しているかどうかなんていうのは、本当のところ彼らにとっては二の次なんです。そして五年前、結局その計画は頓挫しました。外部監査法案成立を目指す中心メンバーの一人だった小久保学という警察官がわたしの父を口論の挙句に殺害してしまったことが原因でした。それから五年」


 鏡子はそこで言葉を区切った。


 そして一同を見渡す。


「ねずみ小僧の真の目的は、五年前には成し遂げることのできなかった外部監査法案を成立させることにあります。いま話が進んでいる法案は、五年前のそれとは違って純粋に警察のみに対象を絞ったものです。それならばわたしが反対する理由はなくなります。むしろ協力することが義務だといえるのではないでしょうか?」


「わたしのお父さん、糸井晴信もその巻き沿いで滅びていかなければならないんですか、どうしても」

 

 マオリは鏡子の前に進み出た。


「残念だけどマオリちゃん。わたしとあなたは、どちらかしかその思うところを果たすことが出来ない二人なのよ」


「マオリのお父さんじゃなきゃいけないのかよ。あなたの話だと、警察の内部では色んな奴がいろんな悪いことをやっているんだろ?」


 直行の言葉に鏡子はどこか嬉しそうに微笑む。あなたはそれでいいのよ、とでもいうふうに。


「小久保は聖澤の動きを監視する役目にあたっていて、ずいぶん生真面目な人だったそうよ。自分の信じる正義をなんとしても貫く為に、最後には殺人事件をしでかしてしまった。五年前計画の中心にいた二人は、自分たちが小久保をそこまで追い詰めてしまったのではないかと、こうなってはもう自分たちの目的は道半ばであきらめるべきなのかと、深く思い悩み、そしてある覚悟を決めました。ここであきらめたら、自分たちを信じて人生を投げ出した小久保も、そしてわたしの父の死さえも無駄になる。この起こってしまった不幸によって自分たちはむしろこの仕事を投げ出すことの許されない立場になったのだと、彼らはそう悟ったのです。直行くん」


 こんどは直行に、鏡子はむかいあった。

「かつて計画の中心的存在だったふたりというのは、ほかならぬ財前誠一と糸井晴信です」

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